毛利元就と三本の矢の伝説

2009-12-12 14:26:41 | Weblog
黒田官兵衛(如水)が戦国時代に頭角を現す一時代前の武将毛利元就が死の間際に3人の息子を枕元に呼び有名な「3本の矢」の例えを語り、毛利家の為に息子たちの結束を促した話であるが、後世の作り話であることは意外と知らない方が多い。
父毛利元就は元亀 2年(1571年) 6月14日逝去(74歳)。
長男隆元は永禄 6年(1563年) 9月 1日逝去(40歳)。
次男元春は天正14年(1586年)11月15日逝去(56歳)。
三男隆景は慶長 2年(1597年) 6月12日逝去(64歳)。
こう見るとよくわかります。つまり毛利元就が死の間際に3人の息子を枕元へ呼び1本の矢、3本の矢の話をして見せたという時には長男隆元はその8年前に既に逝去していたのでその場に居るはずがないのです。3本の矢を束ねて「このように結束したら矢は折れない。お前たちもこのように仲たがいすることなく力を合わせて毛利家を盛り立てていくのだぞ」と言い残したわけですが教訓としては良くできているので好感をもって伝承されてきたのでしょう。ただ毛利元就は長男隆元健在の折、三人の息子に十四ヶ条の書状を送り三人が結束して毛利家の安泰に務めるように諭したことからこの「三矢の訓」の伝説が生まれたとも言われています。因みに次男元春(吉川家へ養子)、三男隆景(小早川家へ養子)はいずれも素晴らしい武将で長男毛利隆元の嫡子輝元(元就の孫)をよく補佐して戦国時代の荒波を乗り越えました。

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