菅原道真公を祀る太宰府天満宮は戦国時代の戦禍に荒廃していました。
黒田官兵衛が豊前国から筑前福岡52万石へ転封した時、福岡城築城の間に2年間ほど滞在した太宰府天満宮の荒れ果てた姿に胸を痛め、社殿を再興しました。
菅原道真は学問の神様だけでなく、茶道、弓道などの神様としても崇められており、官兵衛にとって戦の時代が終わり平穏な世の中になったことから、心ゆくまで和歌や茶道に親しむ日々をおくることができました。
生涯で最も心の安らう日々であったと思われます。
また、太宰府天満宮に滞在していた間、官兵衛が「中津の時代は良かった。もう暫く中津に居たかった」と心境を吐露した文献が天満宮に残っている。
平和な世の中を希求した官兵衛であるが、生涯に最も活躍し天下を窺った中津の時代は殊の外懐かしく、心に残った日々であったのであろう。
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