桐山孫兵衛の先祖は飛騨高山の桐山村、伝えによると鎮西八郎為朝が身を隠していた折、村の長者の娘との間に生まれた子と言われています。
丁度、中津市犬丸中尾の浜の菅原道真公御着船地にある伝説に似ています。
菅公が左遷され都から太宰府へ向かう途中嵐に遭い中津市犬丸中尾の浜に辿り着いた。
船の修理の間、村の長は美しい娘を身の回りの世話をさせたが菅公もひと時心の安穏を覚えた。
船の修理が出来上がり菅公が太宰府へ去ったあと、お世話をした村長の娘の御腹が膨れ玉のような男子を生んだ、、、、。*後年官公のご子孫がこの地を訪ねられ犬丸天満宮を建てた。官公のご従者のご子孫が代々今も犬丸の地に棲まれて犬丸天満宮をお祀りしている。
さて、桐山の子孫は後々長浜に移り孫兵衛は黒田家に仕えた。
黒田家が豊前国へ入府ごは城井谷攻め、文禄・慶長の役、石垣原の合戦で高名を挙げる。
黒田家筑前入国後は五千石を拝領し中老に列し黒田家の重鎮として徳川幕府命による大坂城の大改築などで活躍。
職隆、官兵衛、長政、忠之と4代に仕えた生涯は激動の世を生き抜き、元和10年(1624)72歳の長寿を全うした。
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