黒田如水の縄張り図

2007-10-13 12:21:37 | Weblog
黒田如水の縄張り図の写し図で貞享二年(1685年)のものである。昨日の縄張り図より古く図も粗く描かれているがやむをえない。水路が周防灘に続いているのがお分かりだろう。この地は高瀬川の洪水の時に氾濫し水浸しになることがあったので、黒田家が筑前福岡へ移封後細川忠興が治水工事をし昨日のブログの図のような町並みを創った。如水は名護屋城(佐賀県唐津市)や高松城(香川県・日本三水城)、広島城の縄張り(城の設計や候補地決め)をし、築城の名人の名をほしいままにした。また、各地の大名に頼まれて縄張りをした。
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