原伊予守は初名宝珠山左近太夫、筑前の名族原田氏の一族で香春城主であったが如水が豊前入国のときに早く従い、秀吉の命により黒田家臣となり名を原弥左衛門と称せらる。豊前城井城攻めでは神楽城を守り多くの敵を誅した。朝鮮陣、豊後陣にて殊に武功有り。筑前入国後二千石を拝領。栗山大膳去りし後の上座郡左右良に置いて隣国の押さえを命じられる。寛永16年没。行年83歳。其の弟をはじめ一族はよく黒田家のために尽くし高名をあげた。
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