チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 352

2020年07月16日 19時04分47秒 | 日記

本日は某大学の経営学部大学生お二人を連れて呉服屋をご案内

彼女たちが「卒論」で着物業界の流通の現状や着物の今後について書きたいということで、チャ子ちゃん先生は何かと協力を惜しまない(えらいよねえ)

結果は「着物を着たいです」「着物を着る日を作りたい」とおっしゃった。聞いたぞ!

 

同行していてこちらも学んだ

つまり小売屋さんは基本的には「地域産業なのだ」ということ

地域の文化を継承するため、着物の普及を根に持たなければいけない、ということだ

 

東京都だけを取り上げても

23区内は上流階級思考とカジュアル志向がある

23区以外はその地域の文化によって店の品揃えが違ってくる(そうあるべき)

 

バブル期から今日まで着物の販売方法が画一になり地域性が失われていた

4万人の町も100万人の都市も全て目指すところが一緒になり、金太郎あめのごとくどこも同じ品ぞろえと売り方になっていた。此れでは着物はすたる

 

都市によっては「晴れ着」が中心、冠婚葬祭の衣服を重要視する。また子供の祝い着は絶対にオーダーにするという県もある、「普段着こそ」着物だと紬や小紋のお洒落着を中心に置く町もある

販売者はその要求を見事に受け付けず、「売りたいもの」を販売した。そういう呉服屋のなんと多かったこと

売りたいものが着物なのに、売る人が着物を着ていない。此れどういうこと?有名ブランドの店では、みんなそのブランドの衣裳を着ているか、ポシェットを身に受けている、何かブランドを身に付けているのだよ

なのに着物の小売屋では「販売会」に無理無理着物を着ているが、通常店で着物を着ていいるお店は少ない

これでは客からの信頼はもらえない

このことはかなり早くからチャ子ちゃん先生は声を大にして言っていたのだが認められなかったにょねーー

 

それはさておき

今この時代でも明るい未来に向かって歩む呉服屋はある。今日はそういう御店ばかりを選んだのだが、期待にたがわずやはり優良店であった。明るく清潔、品ぞろえが豊富で楽しい店だ、第一店主がいい波動の持ち主

 

帰りの道は彼女たちもうれしく声も弾んでいた

イイ卒論が出来ることだろう

「必ず読ませてね」「ハイ勿論です」楽しみだ

今日も感謝

 

 

 

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断捨離

2020年07月15日 17時11分02秒 | 日記

この断捨離という言葉はとても使いたくない言葉だ

自粛の間に各御家庭の持ち物が整理されたくさんの捨て物が巷にあふれた

「お片付け」というジャンルのビジネスが大きく伸びた

広さ半分の部屋に移行するので整理する箪笥やその他の物を持って行ってもらうのに見積をみて仰天!

昔から「引っ越し貧乏」と言われているけどなるほどと変に感心する

 

今は皆さん物を持っていらっしゃるので「差し上げる」といってもうれしくない

日本は富んだ国になった

 

今から35年前はじめてワシントンDCの友人宅に行ったとき、大きな広場に家具や什器などが並べられているので冷やかしていたが、そのすべてが個人のお宅から出たもので、それぞれ好きな値段をつけていて購入する人が値段交渉をしていた。みると、どっしりとしたマホガニー家具や、中世の手の込んだ家具、ガラス製品、勲章まで売っていて、その中から奇麗な彩色が施されている踏み台を購入した(今でも使っている)

 

友人宅に持って帰ると

「確かに日本にはそういう踏み台はないわね、だけどトランクに入るの?」

「大きいトランクに買い替えるわ」

「じゃあその小さいのを明日その広場で売ってきたら?」

「いいの?そんなことできるの?」

「大丈夫よ」

というわけで翌日広場に行き、開催者に会費を払いトランクを出して売ってきた

 

のんびりとした時代で、ブロ-クン英語がよかったらしくすぐ売れたので、そのお金で夏のつば広お帽子を購入し、お散歩に重宝した

アメリカは富んでいる国だから物が余ってくるのだろうなあ、おうちもマンションが多くなり、その近代的なお部屋に置くのには、こういう味のある家具は似合わないのだろうなあと思いながら、その広場を徘徊してアメリカの中流階級?の人たちの物調べに集中した3日間だった

ローマに長く住む友人宅に伺ったときは、物を大切に使うヨーロッパの人たちの生活を垣間見ていたので、成長する若い国の消費力のすごさに国の経済力の違いや歴史観のとらえかたを大いに勉強できた

 

そのころの日本はまだみんながモノを欲しがっていた時代で消費力がぐんぐん上がっていた

そして現代はモノを持ちすぎて捨てる時代

そういう時代だからこそいいモノづくりを継承し、捨てないで幾世代にも繋いでいけるものを使っていきたい。江戸時代の日本人が出来ていたことだもの、きっとできる。コロナ以降はそういう社会になりそうだ

 

それにしてもあの見積もりは0が一つ多いよな

 

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着物が繋ぐもの 351

2020年07月14日 16時59分27秒 | 日記

今日は涼しいというより寒い

袷を取り出したいと思うくらいだ

着物は同じ形なので何枚も重ねればいい

江戸時代までは着物は季節によって何枚も重ねていたのだ

そのためには糸が細くなくてはダメ

細い糸で織ったものを何枚も重ねたのだった

 

かなり前エルメスの洋服に凝っていたころ夏の麻のワンピースに重ねの形があり飛びついて購入

薄い麻糸のシンプルなワンピースを二枚重ねて着る

そうするとえり周り、アームホール、裾と重なりが出て何のデザインもないシンプルなワンピースに奥行きが出る

しかしクリーニングに出したら二枚分の料金を取られて面白くなく、それからは自分で洗うことにした、糊付けにフノリを使うと麻がみるみる生き返りいつまでも「真っ白」重ねをこのようにして扱う外国のデザイナーはすごいと思ったが、

「おぬしフノリの存在まで知らんだろう?」と優越感(威張ってどうするの?)

 

この重ねの着物の着方が廃れて久しい

廃れる一番の原因は糸が重くなったことだ

糸は動力機にかけると張力が強くて重くなる

やはり糸は手で引いた方がいいのだ

その証拠にまだ繭の中で蛹が生きている間に繭から引いた糸は1反400グラムあたり

蛹を高温殺傷して、動力機で糸を引くと800グラムにもなる

人間は自分の都合の良い方にばかり物事を考え、モノづくりをしてそれが文明だと意気揚々としているが、結局は不便なものを、窮屈なものを手に入れてしまうことになっている

 

東京博物館で「きもの」を見てからつくづく思うことが在る

日本人の遺伝子について これは特別なものらしい

日本人の不思議さについて これも他の国の人には考えられない思索を持っている

日本人を理解するのにはやはり着物を着ることが必要だとつくづく思う

そうでないと日本がわからん

 

というわけでチャ子ちゃん先生の「着物解体新書」着々と進んでいる

しかしね

「着物」というだけで本が売れないのだという

「着物」と講演の演題に付けただけで客足が遠のく

それは実感逆風の中でよく生き延びているとチャ子ちゃん先生に拍手を送りたい

 

着物が教えてくれたことを総まとめにした「オンラインスクール」もはじまる

アナログとレジタルでラストスパートをかけるよ、らんらん!

 

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武内文書

2020年07月12日 20時26分30秒 | 日記

武内文書が本の整理していたら出てきた

その中に「天の浮舟」UFOのことだけど「羽」という名前のところが着陸場だったみたい

皇尊がその浮舟にのって世界を回っていたのだという、日本の皇尊が世界で一番偉いんだぞ

日の丸だってそう

太陽だけを国旗にしているところは日本だけ、日本が本家であとの国は分家

日本という国は本当に面白い、知れば知るほど愛すべき国だ

この国に生まれて幸せ

 

チャ子ちゃん先生の夢は空気の波動と自分の波動が一緒になって肉体が鳥や猫みたいにいつの間にか消えていく

そういう状態になりたいと切に願っている

ところが何億年も前の人間はそれができたらしいんだ

そういうことも古い文書に書かれている

 

箱根の宿で二十三夜の日そこの宿の女将とUFOを縁側に座って待った日がある

「いつも出るのに比佐子さんに遠慮してるのかしら」

ということで残念無念と言いながら私は翌朝山を下りた

次の日の朝息子さんから電話

「母がなくなりました」

「えっ」

と言ったきり言葉が出ない、きっとUFOに連れていかれたんだな

着物の似合う佳人だったので

「天の浮舟」に乗ったのね いいなあ

 

 

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ねえー後期高齢者はもう人間ではないらしい

2020年07月11日 09時14分41秒 | 日記

いつの間にか自分が知らない間に地球年齢は80を超えてしまった!

80年の歴史を体に刻んだにしては人間としてできてない部分が山とある

その学びのためにまだ生かされていると思って毎日を元気に過ごしている

しかしですな

社会事務的、行政的なことに関して80歳以上はなにもかも「お断り」というケースが100%だ

税金だけはきちんと徴収される

これ実感

いろんなことに挑戦しても全てに厚い扉で閉ざされてしまう

 

昔着物業界の常識を変えたあるメーカーの女社長、早々に施設に入れられ

「私昨日までぼけていたのよ、先生元気ですか?」

という電話が同じ前振りで、月に1回はかかってくる

バリバリまだまだ事業を続けたかったのに、ちょっと気落ちした時期に上手に会社を乗っ取られてしまった

(そこを助けられなかったことに悔いが残るチャ子ちゃん先生)

 

施設に入ると

規則正しい生活が始まり老人の枠の中に入れられて、薬が与えられ「おばーちゃん」と他人に呼ばれよわよわしいことが美徳になっていく

その中にも牢名主がいて権勢をふるい自分とあわない人を苛め抜く(これは別の方の施設を訪ねた時見た風景)

社会にいても施設に入っても地獄

どうせ地獄を味合うなら社会で楽しくすごしゃなソンソン

 

しかしなあ

後期高齢者の動きは行政的に制限されているなあ

 

70年80年90年の経験と体験の知識を「知恵」として伝えられるのはこういう人たちなのだが、人生100年の人生計画など巷では言いつつ、だれも100年元気で活躍できる社会を信じていないよね

 

さて行政的には後期高齢者は人口削減の対象だが

やりたいことはやり抜くチャ子ちゃん先生、以上のような社会風潮の中で野田幸子率いる「㈱カラーリアム」は50代60代の方たちに向けてチャ子ちゃん先生の体験経験の「知恵」の放出番組を作ってくれた

 

「日本人の品格」をテーマに毎週一回「オンラインスクール」を開講 内容は「愛・美・財」楽しそうでしょう?

こういう知恵は着物が導いてくれた、着物に恩返しできる良い機会を与えられ嬉しい、感謝

「チャ子ちゃん先生のオンラインスクール」詳細は後程

 

後期高齢者の皆様

ご自分の宝を日本人につないでいきましょう

 

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超高速の日々

2020年07月10日 08時26分27秒 | 日記

五次元は時間と空間を飛び越えるというけど、今この次元でも時間はあっという間に過ぎ去っていく

こんなに早く時間が行ってしまうのは初めてだと思う

自分の中で考えをまとめるという暇もなく次が待っているという感じ(ただぼけてるだけかなあ)

皆さんはいかが?

 

この早い時間とともに次々と行動を起こしている男がいる

アメリカ大統領のトランプだ

日本のテレビでは新聞ではほとんど取り上げないけど、彼は毎日新しいことに着手している

何をそんなに急いでーーとも思っていたがその行動とともに世界が希望の方向に向かっているので最近は注意して彼の動きを観察している

 

誰の身にも時間は早いようでその方の目的が宇宙法則とあっているとすぐかなうようにできている

そういう流れがすでに始まっているのでその流れを認識しないと幸せ道に乗れないなあーーなどとおもう

昨日お会いした方もそうだった

この3月に始めた企画があっという間に整い7月スタートにいとも簡単になってしまったという。内容はこれから最も重要になる「農業」しかも恐ろしく知的産業の道になっている

 

もう間もなく

今までと全く同じ道を歩む人と

未来の輝かしい日々の道を歩む人の二つになっていくのだろうなあーとおぼろげながら見える気がする。見えた限りにおいては輝く道に歩を進めよう。そして死ぬまで現場だ

 

とにかく原因結果がくっついている、いい原因(宇宙法則に適っている)を作れば結果はもうそこ、これからは原因の作り方にコツがあるようだ

 

「これをやりたい」

これは自分自身が本当に好きなことか

これは人々にとって益があるだろうか

これは自然を尊ぶことになるだろうか

これは地球にとって喜ばしいことだろうか

それらがクリア出来たらもう結果が待っている。そういう高速の時代が訪れた

 

こんなすごい時代に生きているんだものテレビや映画を見ているより日々感じることの方が刺激的

本には書いた人の魂が込められているので良書は永遠だとおもう

そういう意味でチャ子ちゃん先生の蔵書もあるところでまとめて下さることになった(詳しくは後程お知らせします)

この話も5日で正式に決まった

まさに五次元の時代が訪れた

 

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着物が繋ぐもの 350

2020年07月06日 17時59分07秒 | 日記

昨日東京博物館で開催されている「きもの」を見てきた

植物染料の力強さに改めて感動、特に茜と紫根それに山藍と苅安で染めた緑、檳榔樹の黒、室町時代からしっかりと残っていて、万葉時代の高貴な人々の茜と紫根 武士の茜と紫根、江戸時代の紅花や橡色イヤー日本って本当に素晴らしい。若いお嬢さんはウコン染めの地色の着物が好まれたようで、年月たったら色が退色して渋くなり、計算されたのか差し色も刺繍の糸の色もほどほどに年老いて渋くなっていた

幻の「打ち出し鹿の子」と手絞りの「鹿の子」の比較もできて有意義。縒り糸をっ使わない刺繍の見事さ、糸目が今ほど精密ではないけどそれだからこそダイナミックさを示す友禅染

久しぶりに皇女和宮の打掛にも出会えてうれしかった!

この打掛が芝の増上寺に保管されていたころ取材で伺いなんとなんと肩にかけて写真を撮った!しかも柄をパクリ今でも色留め袖として着ているふふふ

内親王の着物選びの感性と姑である武家の息女天璋院の選ぶ着物の違いを、現物を手に取りながら、学芸員の方と語り合った増上寺の内庭の美しい芝生の色とともに思い出しながらその場所に一番長く足を止めてしまった

 

やんごとなき方は繻子や綸子など艶のある生地を使うことが多く、ちりめんは豪商の息女の物が多い、素材の選び方ひとつ階級があったのだとつくづく感じた、財力は豪商の方があったので縮緬が多いのかも

それにしても昔の一越ちりめんは美しい、縮緬糸が出来たときはみんなどんなに驚いたであろうか、そのころは友禅もあり一気に着物キャンバスが華やかになる

 

ずいぶん昔久保田一竹さんが見た安土桃山の時代の「辻が花」の端裂にも出会えた、その裂に魂を奪われて「一竹辻が花」を構築したと熱っぽく語ってくれたその部屋の様子までが思い出されて思わず顔をガラスにくっつけてしまった

「もしもし下がってください」と無粋な声が耳元に(昔この裂触ったんだよバカ)でもにっこりと「あらごめんあそばせ」何回も注意された。(ガラス越しに見てるんだもの顔を近づけてどうしていけないのかしらね、ようわからん)

 

で堪能したけどカタログの貧弱さに呆れかえった

入館するとき「マスクしてない方はお帰りください」と言われたチャ子ちゃん先生、おもむろに紅絹のマスク入れから麻のマスクを取り出しつけて黙って最敬礼してはいった(お帰りくださいはないだろうこのあほ)とは口にしなかったが、入り口でつまずいたが、西洋の絵画に詳しい友人と一緒だったので、屏風絵と洋画の遠近法のとらえ方の違いなど教えていただき有意義だった

 

着物は日本の歴史を黙って語ってくれる

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着物が繋ぐもの 349

2020年07月05日 10時38分53秒 | 日記

とにもかくにも本の種分けを始めた

神保町の古本屋さんに見ていただくことになり、そうすると「本の方はいいか」もう怠け心が芽吹き

「お茶道具を整理しよう」姉の宗静先生がひところ毎月お手前の指導に来ていたので腕が上がるたびにお道具も増える

更に取材に行った先で「これっ」と思う茶わんなど購入していたので増えること増えること

昨年半分は茶道を教えている方に差し上げたがまだある。それも友人の茶道の先生に連絡をしたら引き取ってくださるというので、いいものと処分するものの仕分け

 

「アルバムがこんなに積み重ねてるよ」とK嬢の声

「へっ!」

「あらー可愛いヒサコちゃんだ!」

黄色くなった写真の数々、初節句のひな壇の前で可愛いおべべ着せられて大口あけて笑っている

姫と殿の並び方が向かって殿が右

「ちゃんと古式にのっとってるんだわ」

七歳までの誕生日の写真、覚えていなかったが必ず着物を着せてもらっている、絽の小振り袖、朝顔の柄だったり、撫子、桔梗モノクロなので色はわからない、きっとピンクとかブルー地なのだろう(夏の着物が好きなのはここが原点だったのか――と変に納得)

一つひとつ歳を重ねていくわが娘を愛しんでいたのだと胸が熱くなる

写真の裏に母の文字で撮影日の年月日と「可愛い比佐子ちゃん」「ご機嫌な比佐子ちゃん」「おすまし比佐子ちゃん」「大きくなった比佐子ちゃん」などその時の感想が書き記されていて

「愛されていたのだなあー大事に育てられていたのだなあ」と今更ながら感謝の気持ちが大きくわいてきた

九歳で終戦なのでその前後の写真は皆無、きっとそれどころではなかった時代なのだ

 

思春期、半端ではない反抗し母を天敵と思って過ごしていた時間の長いこと、「着物など死ぬまで着ない」と言って着物好きの母を悲しませたのだが、7歳までの着物生活が私の体の中にきちんと埋もれていたのだと、これらの写真を見ながら思った。着物を着るという基本はここだったのかとーーー

小学上がってすぐのころ病気がちだったので着物を着せられていてその時の写真も出てきた、集合写真で私一人が着物を着ている。怒ったような詰まらなさそうな顔をしているから面白い、しかものどに包帯を巻いている、それでも学校に通っているのはなぜ?(兄に言わせるとお前は体操が嫌なだけだろう?だから着物着ていくんだろう?そうだとすると賢い娘じゃあないの!誰も傷つかない)

 

思いがけず母の深い愛に出会え感謝感謝の一日だった

 

 

 

 

 

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夢破れて―ー

2020年07月04日 10時25分35秒 | 日記

こすもす着物図書館を作りたいと思っていた

設計図も書いて取材した写真や記事なども整理して展示し、日本の民族的な本、また古代史なども多くの物を陳列してだれでも自由には入れてゆっくりできる場所。そこでゆりイスに揺られながら、鼻眼鏡かけてのんびりと訪れた人と過ごし話合いたい、と思っていた。温泉も引いて宿泊もできたらいいなあと思い熱海の地をいくつか探しても見た

 

学生のころ仲良し8人グループで学割を最大限に使い(そのころは半額)日本中のいたるところに休みになとる出かけていた、ある日そのころ新婚旅行で名高い熱海に行って、寛一お宮の海岸でバカみたいに寸劇して遊んでいたら、裕福なご夫婦が「あなたたち面白いことして遊んでらっしゃるのね、うちにいらっしゃいよ」と豪華な別荘に案内してくれた

 

温泉が引かれていて昔やんごとなき方の別荘を買い取ったということで貴族趣味にあふれたおうちだった

そこで宿泊することが決まりメイドさんたちの手を煩わせながら浴衣に手をとして海が一望できる広い応接間に集合して

「もしこの館を差し上げるといったらあなたたちどうなさる?」

「ハイ、宿泊付きの図書館をはじめまーーす」

「図書の内容は?」

「チャ子はきっと歴史書ね、いや時代小説よ、意外と哲学系かも、わかった漫画だ!音楽関係かな」

と友人たちはがやがや勝手なことを言っていたが

「比佐子さんご本人は?」

「本は何でもいいんです、若い時ではなく60過ぎてここでいろんな方とお話ししながら一日を過ごしたいなとおもって」

「いやーだバーさんみたいなこといってるよこの子」

 

なかには秘密の恋人たちが集まる場所にするとか、失恋した人の癒しの場所にするとかたわいのないことで盛り上がり、例えばといいながら寸劇が始まり、館の方々を大笑いさせながら、大いに楽しんだ時間だった

 

この想いではずっと残っていてその持ち主のご夫妻との交流もあったのだが、お二人がなくなりお子達の手によって壊されてしまった

 

そして20年前から着物図書館の夢を実現させたいと思いつつ仕事をしてきたが、ついに挫折

今日はそういう図書の整理を始める、すべての図書は5000冊くらい

引き取り先を探さなければ

雨も上がった重い腰を上げよう

 

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着物が繋ぐもの 348

2020年07月03日 09時50分22秒 | 日記

先日問屋を経営していた社長がある大学の教授と学生をお連れになった

その学生が着物の流通を卒論に書きたいということで調べているという。その前に着物の知識を知っていたいということでいらした

着物は着たことがないが経営学を学んでいるので着物の流通に目を付けたそうだ

 

まず着物の素材のことから、産地のこと、着物の色や柄についての考察、日本の冠婚葬祭における着物、私が着物の仕事を始めたころの流通と、昭和の流通、そして平成、更にコロナ以降の流通についてーー4時間の特急セミナーだった!

 

今でも現金買取をしている小売り屋、問屋取引の小売や、チェーン店、古着屋などをさらにご紹介することにして、その場でそれぞれの社長さんに連絡を取り伺う日を決めたフーー

問屋の紹介は元問屋社長にお任せ、しかし総合問屋、小物問屋とこれまた問屋の種類も多く、着物の流通というのは複雑なのだなあと今更ながら驚く

 

そして分かったことは桑の木から養蚕、製糸、機織り、染織,買継問屋、卸問屋、小売店などのことを詳しく取り上げていた「業界紙」は着物に従事する人達にとってありがたい新聞や雑誌だったのだろう。本来ならそこの記者に聞くのがいいのだが、今はない。チャ子ちゃん先生はこういいう業界紙の記者たちとも懇意だったので、取材の時はいろいろとお世話になった。もちろん記事連載も引き受けていた

 

「私は着る立場から着物の考察をしているのです!」と常に「着る側、消費者は神様」みたいな態度でこれらの流通のすべてに顔を突っ込み、偉そうに生きてきたのだなあと、学生さんに話をしながらわが傲慢不遜の態度をいまさら恥じている始末(いまさら反省しても遅いんだけどね)

 

学生たちに解説をしながら「着物を通してみた日本」という宝をたくさん着物からいただいたと今更ながら感謝をする。こういう立ち位置に立たせてくれた大いなるものの存在を身に感じた。村上先生がおっしゃるサムシンググレートなのだが私はストレートに「神の存在」という

 

頂いた使命を全うしないとあちらに帰れない

豊かな老後を送りましょうなんて言葉はチャ子ちゃん先生にはない

学生たちと話をしていて「死ぬまで現場」だと痛感した。教わった日本人の知恵や文化はきちんとつないでおかねばならない。こんな尊い国ないもの!突然現れた学生たちは天使だった!ありがとう

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