チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 349

2020年07月05日 10時38分53秒 | 日記

とにもかくにも本の種分けを始めた

神保町の古本屋さんに見ていただくことになり、そうすると「本の方はいいか」もう怠け心が芽吹き

「お茶道具を整理しよう」姉の宗静先生がひところ毎月お手前の指導に来ていたので腕が上がるたびにお道具も増える

更に取材に行った先で「これっ」と思う茶わんなど購入していたので増えること増えること

昨年半分は茶道を教えている方に差し上げたがまだある。それも友人の茶道の先生に連絡をしたら引き取ってくださるというので、いいものと処分するものの仕分け

 

「アルバムがこんなに積み重ねてるよ」とK嬢の声

「へっ!」

「あらー可愛いヒサコちゃんだ!」

黄色くなった写真の数々、初節句のひな壇の前で可愛いおべべ着せられて大口あけて笑っている

姫と殿の並び方が向かって殿が右

「ちゃんと古式にのっとってるんだわ」

七歳までの誕生日の写真、覚えていなかったが必ず着物を着せてもらっている、絽の小振り袖、朝顔の柄だったり、撫子、桔梗モノクロなので色はわからない、きっとピンクとかブルー地なのだろう(夏の着物が好きなのはここが原点だったのか――と変に納得)

一つひとつ歳を重ねていくわが娘を愛しんでいたのだと胸が熱くなる

写真の裏に母の文字で撮影日の年月日と「可愛い比佐子ちゃん」「ご機嫌な比佐子ちゃん」「おすまし比佐子ちゃん」「大きくなった比佐子ちゃん」などその時の感想が書き記されていて

「愛されていたのだなあー大事に育てられていたのだなあ」と今更ながら感謝の気持ちが大きくわいてきた

九歳で終戦なのでその前後の写真は皆無、きっとそれどころではなかった時代なのだ

 

思春期、半端ではない反抗し母を天敵と思って過ごしていた時間の長いこと、「着物など死ぬまで着ない」と言って着物好きの母を悲しませたのだが、7歳までの着物生活が私の体の中にきちんと埋もれていたのだと、これらの写真を見ながら思った。着物を着るという基本はここだったのかとーーー

小学上がってすぐのころ病気がちだったので着物を着せられていてその時の写真も出てきた、集合写真で私一人が着物を着ている。怒ったような詰まらなさそうな顔をしているから面白い、しかものどに包帯を巻いている、それでも学校に通っているのはなぜ?(兄に言わせるとお前は体操が嫌なだけだろう?だから着物着ていくんだろう?そうだとすると賢い娘じゃあないの!誰も傷つかない)

 

思いがけず母の深い愛に出会え感謝感謝の一日だった

 

 

 

 

 

コメント
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