チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

骨をおとした!

2013年01月07日 14時02分45秒 | 日記
生まれて初めての経験ですよ
骨を骨壺に収めるとき二人でつかんで運ぶ
なんとそのとき稔とチャコちゃん先生は
「ポタッ」
順の骨をおとした
「あっ」
周りから声にならない声が聞こえてくる

「二人が仲良くオレの骨を拾いやがって」
と意地悪して存在を示したのかもしれない
などと話し合う二人
ご親族の方に取ってみればとてもおいやだったとは思う
粗相をしてしまったーーーーと反省

「こんなこおともあるのねえ」
と苦笑しながら話し合う二人
更に懲りもせず
「3人で写真を撮ろう」
と順の遺影を間に入れて写真を撮ってもらう
ふざけた二人だがそれだけやりきれない

稔と順は中学校からずっと一緒チャコちゃん先生よりもっと辛い

先日高校の同級生の葬儀の時
「あいつの骨を拾ってやろうよ」
と誘われたが
ふと口を突いて出た言葉が
「私骨を拾うの苦手なの落としそうだから」
と焼き場に行くのをお断りしたのだが

その言葉通りになっている自分にあきれる

しかし奥沢順の偉業は自分の生まれた地に足をしっかりと付け
地域社会に貢献し家業の結城紬をユネスコ文化遺産に登録できたこと
そして昨年の秋には末っ子の長男にすてきなお嫁さんを家族に迎えられたこと

長年の夢だった
「世界染織博物館」の中身はだいぶん集めたが
開館までは行かなかったけど
その夢は必ず遂げられると感じる

通夜から密葬までずっと順のことを考えていたが
「素晴らしく充実した人生」だったと思う
最後の数ヶ月は家族に見守られていたもの
6年前に逝った敦子さんが両手を広げて迎え入れるであろうし

お茶目なところがあったから自分から転がって見せたのかもしれないナ
あの骨はーーー
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関東平野

2013年01月06日 11時51分46秒 | 日記
大宮を越すとそこは関東平野
通夜に赴くのでちょうど夕日が沈むころ湘南新宿ラインの列車に乗っていた
東大宮を過ぎた頃から
壮大な夕焼けシンフオニーが始まった
しかも遠くに富士山がその中心に姿を見せている

その光景が延々と続く
ビルで途切れることがない
だいたい此の時間電車に乗ることがないので
興奮してその景色に見入ってしまった

江戸時代イヤそこまで行かなくても
昭和の30年代までは
此の景色は最ダイナミックではなかったか

大正は?明治は?そして一気に奈良時代は?
と空想しながらその景色の中に風物を入れてみながら眺めていたら
あっという間に日が落ちてしまった

昔から結城を訪れる度に
地図で習った関東平野の広大さを思い知らされていたが
此の景色を毎日眺めていた昔の人たちは
自然との共生が当たり前の日常だったのだろうと察しが付く

人はあまりにも自然を征服しようと躍起になってしまったなあ
と深く反省
便利さとの引き替えに私たちは壮大な宇宙の愛を感じなくなったように思う

親しい人を亡くすとややセンチになりますわね
立ち直るのに少し時間が必要
でも其れを知ってから一週間になるのでぼつぼつ元気になろうかな
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終生の友

2013年01月04日 11時41分15秒 | 日記
新年も4日になったのでーー
50年来の友奥沢順が亡くなった
それを知らされたのは元旦
それ以来チャコちゃん先生沈んでいる

彼の病は肺気腫だった
酸素を持って行動するようになったのは6年くらい前であろうか
最後一緒に食事をしたときは結城のお寿司屋さん
それは一昨年の秋だったお酒も飲んでいた
結城紬の未来のためにいろんな話をした

彼が酸素を持たず普通の状態での食事は銀座で
「どうしても一度は顔を出さなければならないから一緒に行って」
と出かけたが
その店は地下で帰り階段を上らなければならず
一段一段ゆっくりと昇っていた
「そんなに苦しいの?」
「うん」

肺気腫の苦痛を私は初めて知った

それでも
「銀座に結城紬だけの店を持ちたいんだよチョット調べて」
とその時頼まれて
銀座に長いことお店を持っている知人を介して徹底的に調べてもっらたが
彼の体力が持たなくなりその話は立ち消えた

彼には終生の親友がいる
窪田稔
公私共々二人はお互いを良く理解し信頼しあって暮らしている
本当にうらやましい友情だ

しかもお互いに一定の距離を保っているところがまた清い
二人は中学時代からのつきあいで
何もかも良くわかり合えているのだろう
「順は殿様みたいな存在だから、彼を頭に置いておくと全てがまとまる」
と言う存在であったようで
稔は名マネージャーだったのだ

更に順には4つ下の弟がいる専務だ
長男と次男の育て方が違っていた時代の兄弟だから
次男は徹頭徹尾兄を助ける

此の三人のそれぞれの持ち場をわきまえた過ごし方に感銘していた

同じような兄弟が京都西陣の帯メーカー渡文の社長と専務
渡邊隆夫と順は同じ立場にいるので会った瞬間から理解し合ったようだ
「隆夫さん、順ちゃん」と呼び合ってお互いをおもんばかっていた
此の二人も良い関係だ

そうだその昔二人を引き合わせたのはチャコちゃん先生だったぞ

隆夫さんに電話を入れた
しばらく沈黙の後
「惜しいねえ惜しいねえ」と繰り返す

とにかく通夜に行ってきます

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箱根駅伝

2013年01月03日 10時13分54秒 | 日記
チャコちゃん先生応援の早稲田は一区の出遅れでもう応援のし甲斐もないが
此の駅伝のおもしろさは満喫させてもらっている
やはり「母校の襷を繋ぐ」と言うところがポイント
その繋ぐ間のドラマが参考になる

自分が今ナニヲしなければならないかをきちんとわきまえている選手は
自らの実力以上の仕事をする
しかし心ここにない選手はどんなに実力があっても
実力があればあるほど逆の結果が出てくる場合もあった

此の箱根のコースはなかなか面白くできている
平地だと思っているといきなり坂が出てくる
静かに走れるかなと思っていると急に風が舞う
それをラジオできいているとよく分かる
アナウンサーが如何に想像を刺激させるかに気を配って話すので
なるほどなるほどと聞き入ってしまう

家事をしながら聴くにはちょうど良い

矢張り強いところは強い
これは練習のたまものなのだろうけど
精神的な強さも必要
此の精神的な強さは何を基準に選手に教えていくのだろうか
などと考えると監督の存在が強く影響を与えていると思う

学生そのものがどうやったらまとまって力を発揮できるのか
指導力というものがとわれるのだろう
しかし思うには
女の声はこう言う実況には向かない

さてこれからテレヴィ観戦
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穏やかなお正月 おめでとうございます

2013年01月02日 09時54分24秒 | 日記
とんでもない
チャコゃん先生は大不機嫌!
此の早稲田のざまは何?
前田絶好調?
どこが

とヽ(`Д´)ノプンプン怒っている
箱根駅伝だ
お正月はこれこれ
なのにこれだよーーー気をそがれるなあ

去年は絶食を3が日
それでも早稲田を応援して最後に明治に抜かれる

今年は食べた方が良いかと
朝からしっかりしょくじをして待っていたのに
これなに?

箱根駅伝という雑誌までくれに買って用意万端
ああなのにああなのに!

監督の選手起用の失敗か?

100人くらい抜き去ってくれ
そんな選手はいないなあ
いる!大迫だ
彼は3区ぼつぼつ3区
ではごめん

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