神棚はいろんなことを知らせてくれる
先ず御榊
身体の調子が悪いと御榊の枯れ方が半端ではない
精神的に病んでるとこれもまた御榊が枯れ始める
心身ともに調子のよいときは1か月はおろか3か月も保つときがある
でも一応お朔日には新しい御榊にする
つまり御榊は人型となって代わりをしてくださっているということだろう
ありがたい
御榊の様子がいいときは神の御意志に逆らっていない時だと考えている
御榊は荒神様である台所
トイレの神様にも備えている
チャ子ちゃん先生の朝は神棚を整えることから始まる
神棚から一段低いところに両親や家族の写真を置いていて、毎朝感謝をしている、お湯を沸かしお茶を入れ掃除をして――と結構忙しい
しかしこれを実行をしないと一日が始まらない
昨年の夏神棚に備えたお米が散らかっているので、ニ三日様子を見ていたら、ゴキブリの仕業だった
台所には食べ物の残りを置いていないので、なんと!神様のお米を失敬している、ふといやつ!だから嫌われるんだよ
その後は神棚に備えた水もお米もお茶もすぐ取り除くことにした
生家では全員うち揃って神棚に朝の挨拶をしていたので、神棚のない生活は考えられない
生涯を聖書研究に当てた父も神棚に参拝していた、キリスト様ではない
なぜ?
と幼いとき聞いたら
「この宇宙を塑造した神様を拝んでいるんだよ」
と説明を受けたがチャ子ちゃん先生がそれを理解できたのは大人になってから、それ以来神棚に親しんでいる。だからお札はたった一つ、自分で考える創造主の神様だけ
父がまだ存命の時その話をしたら、父は大きく笑いながら
「それでいいそれでいい」と
今日も御榊は生き生きとしていた安心
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