日本文化のすごさは「日常の習慣」の中にあると感じる
履き物を脱いで上がる
その履物を後で履きやすいようにそろえる
神社の前を通れば立ち止まってお辞儀をする
小さな祠にも手を合わせる
食事の前に手を合わせ「いただきます」終わったら「ごちそう様」
エレベーターに乗れば荷物を持つ人、乳母車の人たちを先に出しストップのボタンを押し続ける
乗り物なので空いてる席に座る時「失礼します」とか軽く会釈をする
きゃくのくるまえにへやをあたためる、冷やす
出されたお菓子をそこでいただかない場合は懐紙に包んで持ち帰る、だから固いお菓子を出す
箸置きのない場合は、箸袋を箸置きにする
其れすらない場合はきちんと箸をそろえて器の上に載せる
このような小さな何気ない習慣が日本人の霊性の高さだと思う
「最近はないよ」
との反論もあるだろう、それはこの何でもない習慣を日本から消そうとした人たちがいたからだ
確かに敗戦後の80年間で、日常の美しい習慣が途切れている人もいる
しかし
そういう人でも日本人である限り、霊性の高い記憶は残っている。それは遺伝子にのこっているから
だからその記憶が何かの拍子ににじみ出た時、ごく自然に美しい物腰ができる
それが日本人
先日この日本で恐ろしい景色を観た
電車の中の出来事
席に座ってふと前に目線を移したら、若い異国の男女が据わっていて、男が不通に座り、その男の両足(ふともも)に隣でよこむきにすわった女が両足をその男の足の上に載せていた
びっくりしてその女の顔を見ると目線が合い「ニッ」と笑われたが、恥じらうなんて言葉は全くないようだった
日本人が心地よい習慣を思い出すことが世界の平和にもつながっていく気がする
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