宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

赦し

2009年11月10日 | 神の使者
    
「神の使者」によれば、人々を輪廻転生へと縛りつけ、分離を固定化させている元凶は、「罪悪感」。そして、罪に対する罰を恐れることから生まれる、「恐怖」だ。
 
なんだか、ドストエフスキーの「罪と罰」を思い出す。殺人事件を起こしたラスコーリニコフは、恐怖に駆られて、悶々とした日々を送っていた。彼は、もともと度胸満点な上に、アコギな金貸しの老婆を殺すのは正義だと信じる確信犯。だが、ついでに他人を巻き添えにしてしまったおかげで、激しい罪悪感が生じた。それは、ラスコーリニコフの心をズタズタにしてしまった・・・。彼を精神的に追い詰めたのは、罪悪感。
 
もちろん、人類が潜在意識に持つ罪悪感というのは、「人を殺した」とか、そういうことではない。それは、大いなる神から離れて、分裂した世界を創り出したという、神に背いた罪。自分は全知全能の神に罰せられるのであるという、底知れない恐怖。これは、太古の昔から人間の意識にがんじがらめに絡み付いている、想像を絶するほど根深い問題だ。それは、あまりにも意識の奥深くに食い込んでいるため、一見すると打つ手がなさそうに思える。
 
だが、打つ手はあるらしい。これらの症状に対する効果バツグンの治療法は、「赦し」(ゆるし)だというのだ。
  
旧約聖書の時代は、まさしく「罪」といえば「罰」の時代だった。神様は、厳しい罰をもって古代人に向かい、人々にさらなる罪悪感と恐怖を植えつけた。それは、神と人間との距離を、途方もなく広げてしまった・・・。

だが、今はそんな時代ではない。われわれは「赦し」の時代を迎えた。いまや、「山」といえば「川」、「罪」といえば「赦し」というのが合言葉だ。神と人間との距離が、急速に縮まっていく時代・・・。

人間は、たびたび罪を犯すものだ。そんなときは、神にむかってザンゲする。「わたしは、思い・ことば・行い・怠りによって、たびたび罪を犯しました。罪深いわたしのために、どうか祈ってください」・・・。
 
敬虔な信者が、神の赦しを乞う姿は美しい。だが、赦すのは、神だけが持つ権能ではない。人間だって、神の一部だ。小さな神なのである。罪を赦すことは、人間にもできる。

「ACIM ~ 奇跡のコース」にいわく (出典は『神の使者』)、

>赦しは救済を貫く中心的なテーマで、すべての部分を有意義に関係づけており、まっすぐに続く道程であって、その結果は確実である。

「赦しなさい」という教えを受けたゲイリー・レナードは、毎日、あちこちで赦しを実践した。「バカ、アホウ」と罵られても、「バカはオマエだろ」と思いながら赦す。行列で待たされても、イライラしながら赦す。ひたすら、赦しまくる。このような赦しの実践を、何ヶ月も続けたという。
  
>赦すとは、兄弟があなたにしたとあなたが思っていることは、実際には起こっていないと認識することだ。・・・それは罪などないと見抜くことである。

言われてみれば、確かにその通り。そもそも、「世界はない」というのが、「奇跡のコース」の教え。世界そのものがないのだから、この世界で起きることなど、実際には何も起きていない。罪など、最初からあるわけがない・・・。
 
赦しの実践に熟達したら、苦しみや居心地の悪さはだんだん減っていって、いつかは消えるという。そして達人は、自分自身を赦し、このデキ損ないの世界をも赦す。その先には、大いなる神との一体化が見えてくる。
 
ありがたや・・・・・。合掌。
 
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
赦し (サラ)
2010-01-04 05:31:01
そうかも! 今や"神"といえば"人間"! 一番難しそうなのが "自分を赦す"事らしい。(大雑把なコメントでごめんなさい)
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赦し (コンサル星人)
2010-01-05 08:26:50
     
「自分を赦す」というのも、奥が深そうなテーマですね。
  
>(大雑把なコメントでごめんなさい)

いえいえ、一行レスは個人的に好きです(笑)。
 
 
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