宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

「おカネが要らない世界」とは?

2010年08月14日 | お金が要らない世界

 
精神世界関係者には、「もうすぐ、資本主義が崩壊する」と唱える人が多い。

資本主義が崩壊したら、どうなるのか。昔なら、「社会主義の世の中になる」というところでしょうが、ソ連や東欧の社会主義国が崩壊して久しく、中国が資本主義の道をバク進している現状で、それは言いにくい。

資本主義が崩壊したあとのビジョン。それは、ひとことで言えば「おカネが要らない世の中」ということになるらしい。

おカネが必要なのは、なんらかの形で、何かを買うためでしょう。つまり、「おカネが要らない世の中」というのは、「おカネがなくても、なんでも買える世の中」ということを意味しています。言い換えれば、「あらゆるものが、タダで手に入る世の中」ということ。

でも、世の中には、「需要と供給の法則」ってものがある。売られてるモノ(サービスを含む)が少なくて、それを欲しい人(もちろん、おカネを出せる人・・)が多ければ、価格は上がります。逆に、売られてるモノが多くて、欲しい人が少なければ、価格は下がります。

モノが無尽蔵にあって、コストをかけて生産する必要がなく、それを欲しい人の欲望に限りがあれば、価格は限りなく低下し、しまいにはゼロになります。今の世の中では、「空気」がそれに該当する。空気を吸ったり吐いたりするのは、誰でも無料でできる。空気は、至るところに存分にあって、別に独占したがっている人もいないから。ありがたや・・・合掌。

それ以外は、水道の水ですら、タダじゃありません。でも、蛇口をヒネればジャンジャン出てきて、そんなに高くないのは確か。空気ほどじゃないけど、それなりにコストは安い。それはやっぱり、世の中に沢山あって、人が使う量に限りがあるから。もっとも、水道の水は、浄水したり配管したり・・・にコストがかかるから、それを誰かが負担しなきゃいけない。その上、空気と同じく無料になったら、ひどいムダ使いをされて、すぐ水不足になるだろう。

「あらゆるモノが無料」ってことは、極端な話、高級なワインやブランデーも、キャバクラ嬢によるサービスも無料ってことになる。それを実現するためには、まず、たとえタダでもキャバクラ通いはホドホドにするよう、男性側の意識を改革して、需要を一定限度内に抑える必要があります。そして、十分な数の、男性を無償で接待する容姿端麗な女性を確保しなければいけません。そうすれば、無料かもしくは、非常に価格が安くなるでしょう。

ただし、それだと、もはや「キャバクラ」とは呼べないものになります。それは、「合コン」と呼ばれても仕方がないでしょう。

でも、世の中、「ゼロか100か」で考えるべきではない。「おカネが一切いらない世の中」を考えるから実現不可能に思えるのであって、それに近づけることを考えるのは可能です。

当面、目指すべきなのは、「おカネがなくても、普通に生きていける世の中」じゃないでしょうか。空気がタダで手に入るように、生きていくために最低限、必要なモノだけは、無料で手に入るようにする。例えば、水とか、食料とか、服とか、屋根のある住家とか・・・。それ以上の何かを求める人だけが、おカネを出して高級なモノを手に入れればいい。それ以上の何かを求めない人なら、おカネを出さなくても、とりあえず生きてはいける社会。それが実現すれば、理想へと一歩近づきます。

でも、それが難しい。昔の社会主義国・ソビエト連邦でも(平成生まれの世代にとっては、われわれにとっての『ナチスドイツ』みたいな歴史的存在なんでしょうな・・・)、それを目指してました。食料品の価格や、水や電気などの生活必需品の料金は、極端に低く抑えられていた。そういうのを見て、日本の左翼の人たちも興奮して、「人類は、理想社会に一歩近づいた・・・!!」と叫んだものだ。現在でも、「ソビエト連邦の頃は良かった。食料品や公共料金をはじめ、生活必需品の価格がものすごく安かった。それに比べて、今はなんでも物価が上がってしまって・・・」と、昔を懐かしむロシア人が少なくないと聞く。

でも、世の中では、一見タダに見えるものが、実はタダじゃないことがよくある。そんな社会を維持するのに、ものすごいコストがかかります。1000円の食べ物を、政府が買い取って100円で売れば、そりゃ「理想社会」に近づくだろう。でも、差額の900円を、いったい誰が負担するのか。重い税金をかけるとか、どこかにシワ寄せが行くことになります。

かつて、かの高名なるパナソニックの創業者・松下幸之助は、「水道哲学」を唱えたという。いわく、電機製品を、水道の水みたいに、蛇口をヒネればジャブジャブ出てくるほど、安く大量に販売するのだ。・・・それを聞いて、高度成長期の人々は、みんな感銘を受けていたらしい。

「おカネがなくても生活できる社会」にするためには、生活に最低限必要なものが、この「水道哲学」みたいに、真の意味で安くなる必要がある。本当に、空気みたいにありふれた共有物にならなければいけません。無理を重ねて安くしたところで、いつかどこかでボロが出ます。
 
そのことは、精神世界関係者も分かっている。そこで登場するのが、「フリーエネルギー」。「もうすぐ、おカネの要らない社会になる」と唱える人が、次に口に出すのが、「そのために、フリーエネルギーが開発される」ということ。

今は、石油や石炭を掘り出すのにもコストがかかる。発電所で電気を起こすのには、さらにコストがかかる。発電した電気を使って、いろんな工業製品を作るのに、さらにコストがかかる。人類が、何度も挑んできたにもかかわらず、どうしても「おカネが要らない社会」を実現できないのは、結局のところ、このためでしょう。
 
精神世界関係者にも、いろんな考え方がある。特に、政治的に左派の人は、「必要なモノが、全員に行き渡らないのは、誰かが独占しているからだ」と考える傾向があります。確かに、そういう面もあるでしょう。でも、それだけではない。今の地球環境では、人口が多すぎるのに比べて、必要なモノを十分に確保できてません。どんな風に分配しようが、地球人全員に行き渡ることなど有り得ないというのが、現状での客観的事実です。だから、効率的に分配するシステムとして、資本主義経済が登場する。
 
いまもなお、戦乱や飢餓、貧困や疫病が、特に発展途上国では蔓延しています。でも、現代は、これでもマシになってきた方だ。「一国の人口が半分に減った」とか、「ひとつの都市が全滅した」なんてことが、日本の歴史では考えられないけど、大陸の歴史では珍しくもなんともありません。地球というのは、それほどヒドイ環境なのだという現実を、直視しないといけない。一朝一夕に理想社会を実現できるほど、地球環境は優しくできてません。むしろ、極めて荒っぽくできてます。

いずれにしても、鍵を握るのは、「フリーエネルギー」。コストをかけず、無尽蔵にエネルギーを取り出せるシステムが開発され、そのエネルギーを使ってなんでも生産できるようにならなければ、理想社会の実現は近づいてこない・・・。
  

アースチェンジ情報の宝庫 → にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ