ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

わたしの守護霊様

2009年06月09日 | Weblog
☆ 心の宝石箱から
 その中には、霊能詩人の竹内てるよ先生に見ていただいた手紙も入っていた。
これはわたしが婦人公論に初めて連載して、物書きの道が開けた頃だった。
 婦人公論に挿絵を書いていたある画家が、突然目が見えなくなり、治療を
しても治らず大変困っていて、霊能詩人として評判だった竹内てるよさんに
調べて頂いたらその原因がわかり、結果として目が治癒して、以前のように
絵を描けるようになったと聞いた。
 その話を聞いて飛びつき、すぐに紹介していただいたが、その頃竹内先生は
あまりにも有名になり、直接は会って下さらなかった。
 教えられた電話をかけると、テープが回っていて、「あなたが調べて欲しいこと
生年月日、写真を同封して送って下さい。でもお返事は1年かかります」との
ことだった。わたしはすぐに「わたしは、家庭にも仕事にも恵まれ、大変幸せ
です。もしもわたしを守って下さる守護霊様が分かりましたら、感謝したいので
調べて下さい」と写真と、お礼を包んでお送りした。
 その返事が届いたのは丁度1年後の、昭和58年、3月6日。
(その頃は、ヨーガ教室二か所とダンススタジオ経営、スタッフ26人)で
の大所帯のとき、またヨーガのすごいブームに続いて、ジャズダンスブーム
すべてが好調だった。さらに講演、取材、指導と、わたしが最も多忙で
自分では「第一のスタート」と感じていた頃だった。 

 ワクワクして開封したお返事を、原文でご紹介すると、
「小池能里子さん あなたにてお供養いたしますは、十九歳結核死亡の
男の人にて、中背にて色白い人にて、頭良く声の低い人也 ご供養いたして
健康安全 祈願をいたして、仕事順調 みなさんと仲良く生活してゆきます
よう祈願す あなたはとても幸せな人です」供養番号 57308
 わたしは多分それは、竹内先生の直筆ではないかと思っているが、今でも
「心の宝石箱」に大切にしまってあり、ときどき取り出しては見ている。
 わたしの感性が異常?に若いのは、もしかして19歳志半ばで夭折した
男性から、自分の分まで「もっとやりなさい」と、コントロールされて
いるのではと思っている。その真実は定かではないが、わたし以外の力が
働いているのは、しばしば感じざるを得ない毎日であることは確かだけれど…… 
 でも、これって、もしかして夢があって良いのかも知れない。

注 多分10年ほど前皇后美智子様が、竹内てるよさんの「頬よ」と言う
 詩を朗読なさってから、すぐにその著書の復刻版が出版されたことがあった。

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