ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

悪意のない罪?

2009年06月02日 | Weblog
☆ 自分自身の中の不可解
 世の中にはまったく悪意がないのに、人を傷つけている事実もあるようだ。
これはわたし自身のことだが、なぜか昨年長年付き合っていて、尊敬して
いる「ある友人」から「あなたにはときどき腹が立つ」とか「傷つけられた」
と言われたことが度々あった。
 わたしにはまったく覚えがないのだが、昨年わたしが初めてプレゼン
テーションをする「北京の世界心理治療学会」に参加した。
 その二日目の夜に二人で楽しく食事をしていたとき、何の脈絡もなくいきなり
強烈に批判された。なぜそうなったのか、わたしにはまったく理解できなかったし、
友人の言うことは一理あったし、彼女を尊敬しているのであまり腹は立た
なかった。そのため、一切反論もしなかったが、場合によっては口論になった
だろう。後でいろいろ自分自身の言動を分析しても、思いあたることはない。
 でも、もしも心あたりがあるとしたら、わたしは天性の天真欄慢な性格だと
いうことだ。そのためか「天然の悪女」とか、「あなたが自分の言動のすべて
を、もしも計算しているのだとしたら凄い悪女だね」など、親しい男性から
言われたこともあった。

 天心欄慢は辞書で調べると「子供のように無邪気で憎めない様子」だが
半面「無知のえんきょく表現に使われる」ようだ。
 そんな経験は初めてで驚いたが、わたし自身も反省するべきかとも考えて
自分の気持ちをコントロールした。
 世の中には何となく可愛げがない性格と、憎めない性格とがあるが、これは
年齢、性別に関わりなく、その天性で得している人と、逆に損しているタイプ
があると思う。
 わたしは後述のタイプで、そのため気がつかずに「悪意のない罪」を
犯しているのだろうか?過去にも全く計算したわけではないが、気がつくと
わたしのペースで動いていた物事もかなり多かった。
 親しい友人は「まるで天使のように無邪気」「可愛らしい我儘」など
好意的に表現してくれる。それは心理カウンセラーとして十分認識して
いるが、シャイでないし、比較的表現がストレート(ことに褒め言葉)
な方だから、多少我儘を言っても、今まで許されてきたのだろう。

 そんなわたしの態度は、自己表現できず、本当の気持ちを素直に言い
表せない人達には、多分鼻もちならない存在に思えたのかもしれない。
 もしかしたら、友人もそう感じたのだろうか?
でも彼女はかなり歯に衣着せず、ハッキリしている方だが……
 それとも海外の国際心理学会には、二人で何度も参加したが、高学歴で
学者としては最高位まで上り詰めた彼女は、単なる心理カウンセラーのわたしが
同じ土俵の上で対等に発表するのが、愉快でなかったため、突然態度が変わった
のだろうか?何がそんなに友人を怒らせたのだろうか?
 それを思い出す度に、これからはより、自分の言動をコントロールし「悪意の
ない罪?」を犯さないよう留意しなければと、思う反面(そんなの疲れるなあ)と
投げ出したいのも事実で、揺れ動く気持ちを持て余している。
 でも先日そんな「ある友人」から、思いがけなく新しい著書が送られてきた。
「おめでとうございます。ますますご発展をお祈りします」とお礼のメールを
したが、改めて昨年の忘れられない経験を思い出してしまった。
 わたし達はもう再び会うことはないだろう。もしかして、わたしの不徳の致す
ところかもしれないが、尊敬している友人を失ったのは淋しいことだ。
 でも、これもまた人生かもしれない。

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