波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

足跡    「マニュアル人間」

2017-04-07 12:54:07 | Weblog
4月は学校の新学期が始まり、会社は新入社員をスタートさせる時期である。私の孫も短大を卒業して社会人として就職してはたらしていると聞いている。その姿を見ているわけではないので
果たして仕事が出来ているのかと心配もあるが、意外と溶け込んで楽しんで働いているのかもしれない。都庁では小池知事の「安全と安心」をモットーに激励を受けて新しい体制でのスタートをきったと聞いているが、果たしてこのモットーがどのように浸透しているのか、多少心配の向きもある。最近の若者とは接する機会がないのでどんな反応があるのか、そしてどのように受け止めて仕事にかかるのか、もしマニュアル的に一律に右へ倣えでは祖のぞれの良さが見えてこないのではないかと心配もある。つまりマニュアル的に「安全、安心」の枠の中に全てを閉じ込めるのは良い事かどうか、若い人には本能的に独自の行動で動く事もあり、その行動の中に新しい芽生えのようなものもあるのではないかと思う。
そんな時亡き父の話を思い出していた。昭和20年3月10日は東京大空襲の夜で我が家も全滅したが、その夜空襲と共に避難の場所として浜町の明治座と付近の学校が決められていた。
サイレンと共にいっせいにその避難場所へと向かったのだが、父は消火活動に向かう前に母と押さない弟に「浜町公園へ非難するように言った。翌日の空襲後に公園で再会することを約して非難に向かったのである。そして翌朝三人は滑り台の下で再会を果たし、無事に疎開へと向かうことが出来たと聞いている。
マニュアルどおりに指定されていたところへ向かっていたら大勢の人と共に少子の憂き目に会っていたかもしれないのだ。つまりマニュアルを避けてとっさの知恵で空間と物陰をりようすることが浮かんだ父のとっさのアドバイスであったのだが、忘れられないエピソードであった。
いざと言うときに危険予知の行動も必要になる場合もある事は知っておく必要がありそうである。

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