波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

      思いつくままに

2012-12-25 09:57:47 | Weblog
クリスマスの行事が終わると、忘れていたかのように年末の行事が頭に浮かぶ。こうして
一年が終わりを告げようとしているこの時、皆さんは何を思い浮かべられるのでしょうか。私はクリスマスを子供たち(日曜学校)と祝いながら何時知らず今年も一年無事に健康で過ごせたことを無性に感謝しつつ、共に祝えたことの喜びを感じていた。そして来年がどうなるかではなく、今のこの時を覚えて感謝したい。
地元の有志で集まっている老人会を束ねている先輩が「ふらっと」訪ねてくる。正面玄関から来たことはない。いつも裏から突然「元気か」と声をかける。私にとってはかけがえのない「隣り人」であり、時には朝支度をしてない寝起きだったりしてあわてさせられることもあるのだが、構わずあがってくる。
「今年は自動車免許の更新もできたし、車の車検も終わって、大体計算が立った。ただもうひとつ予定が立たないのが、俺の寿命なんだがこれだけは予定が立たなくて困ってるんだ」と言って笑っている。来年正月で満80歳を迎えるのだ。
高卒だが人一倍の勉強家で、若いときにアマチュア無線に凝り、なんによらず自力で勉強してマスターしてしまう。初めての子供が生まれたとき(50年前)ビデオを手がけて以来
すっかりはまり、以来旅行の写真を記録してタイトルから解説までつけている。
記憶力もよく、今でも第二次戦争の宣戦布告の詔書を暗記して聞かせたりする。
どうしても誰かにしゃべりたくなると私のところへ来るのだが、なかなか勉強になって楽しい時間でもある。
人間の性格は遺伝的に私たちの体に組み込まれたものもあろうが、後天的な要素も多い。それらはすべてに神から一人ひとりに与えられたもので、たとえそれはひどい運命のように見えても.贈られた人がそれを使いこなすすべと意欲さえあれば、すべて善きものになりうる、という保証つきなのだと考えたい。聖書にはそのことを「感謝してこれを受ける」という言葉で教えている。この世のことには不公平や不満、不安で満ちており、どこかに責任転嫁を探して愚痴ることが多いいが、本当は「何一つ捨てるものはない」贈り物として私たちが存在していることに気づかなくてはいけないし、神がおつくりになったものはすべて善いもの」であることを知るのが、クリスマスの意義だと考えたい。