波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくまま

2008-12-24 09:37:33 | Weblog
この時期、クリスマスを迎える。クリスマスを迎えると不思議に思い出すことがある。「靴屋のマルチン」という話だ。ご存知だろうか。トルストイの原作で有名なのだが。マルチンは店の窓から見える道を通る多くの靴だけを見ながら毎日仕事をしていた。靴を見るだけで男か、女か、そしてその人がどんな人かも分かり、毎日の出来事も分るようになっていた。
ある日、教会の牧師さんが聖書の表紙の修理を頼みにやって来た。「マルチンさん、大事な聖書なのでお願いします。」マルチンは丁寧に破れかけていた表紙を直し、見るとも無く聖書を見ていた。そして、そのうち私もキリストを通じて神様に会って見たいものだと思うようになっていた。「イエスさまが来てくれないかなあ。」すると、どこからか「マルチン、明日、お前のところへ行くことにしてあるから、窓の外を見ていてごらん」そんな声を聞いたのです。
翌日、雪かきをしていたおじいさんを見て、そのおじいさんを迎え入れ、お茶をご馳走します。今度は赤ちゃんを抱いた貧しいお母さんが目に留まります。マルチンは出て行って、家に迎え入れ暖かいショールを上げました。
そして、最後にりんごを奪って逃げていく少年にりんごを返すように教え、少年のために共に祈りました。「イエス様は来てくれなかった」とマルチンはがっかりして寝ようとしていたとき、マルチンの心に、おじいさんが、お母さんがそして少年の姿が影絵のように見えたのです。そしてマルチンは、その貧しい人たちの姿の中に神の姿を見たことを知ったのです。
クリスマスはプレゼントやイベントの行事だけの日ではないことを考え、静かに自分を見つめ自分の心に厳しく思いをはせ、問い詰めて見ることも大事なことではないでしょうか。
ある女性実業家が子供二人を抱えて、離婚し、毎日生活に追われ子供たちを育て、寝る時間も無く暮らしてきた。努力が報われ、子供たちは立派に成長し、母の元を離れていった。これで少しゆっくり、のんびり出来ると思っていたら、不眠症にかかり、悩まされた。そして「虚しくて、虚しくて、何故自分が何のために生きているのか分らなくなった。」と思った。
満ち足りて、与える必要がなくなったときに不満が生じたのである。
人間の心はいつでも与える立場になっているときにのみ満足することが出来る事に気づきたいものである。