波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

随想    アジサイとユリ

2008-07-02 13:46:58 | Weblog
6月の末から咲き始めたアジサイがいよいよ終わろうとしている。
私はこの花にあまり関心をもてなかった。第一地味であるし、これと言うほどの特徴があるわけでもないし、雨と言うイメージも手伝って何となく敬遠していた。
しかし、花暦でも寒い冬から春にかけて楽しませてくれた花もこのアジサイとユリで一応終わることになり、暫く暑い夏をすごすことになる。
そんな思いでアジサイを見ると一入、とても此花に対する思いが強くなり、関心を持って観察するところとなった。
よく見ると色の変化もさることながら、種類もあり、大きく分けると「ガクアジサイ」と西洋アジサイと言われる「ハイドランジア」とある。元々日本が原産であることも嬉しい。そんなわけで色も土壌によるものでアルカリ性と酸性のいりまじりから生まれると言うのも楽しいものである。
そしてこの花暦の最後を飾るように「ユリ」が咲き始めている。ユリも日本独特の花と言うイメージで「大和撫子」と言われる日本の女性を「立てば芍薬,座ればボタン歩く姿はユリの花」とあるように日本女性の立ち姿を連想させるものでとても落ち着くのである。
さて、このように私たちを楽しませてくれた野の花を聖書ではこのように書かれているのを読んだことがある。「野の花がどのように育つのか注意して見なさい。
働きもせず、紡ぎもしない。……今日生えていて明日炉に投げ込まれる野の草でさえ神はこのように装って下さる。ましてあなたがたにはなおさらのことではないか。」私たちは毎日あれが欲しい。これがあればとぜいたくを考え、又装ぅことを考えるが、自らが美しい花の一つであることに気づけばそんな愚痴やわがままは感じることはないのだがと自らを考えるとこの花を見ていてすがすがしい思いになれるのである。