波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思い付くままに   「二人の姪っ子」

2016-11-09 15:35:11 | Weblog
「今日おじさん、会ってもらえる」突然の電話である。私には自分のほうに二人の姪っ子がいて妻のほうにも二人の姪っ子がいるのだが。電話は妻のほうの姪っ子たちからだった。
妻が亡くなって20年以上も過ぎたのだが、二人は昔と変わらない話し方で若いときに(彼女たちが結婚当時)交わりを持ったままの思いを大事にして「あの時は叔父さんにとてもお世話になった」と当時の思い出を大事に覚えていているのだ。自分はどんな事をしたのかすっかり忘れているのだが、聞いてみるとはじめてアメリカへ行くときに成田まで送って、出発まで面倒を見てくれたと30年も前のことを話すのだが、私は自分がそんな事をしたことさえ忘れて、かえって
何か失礼な事を言ったり、したりしていないかとそんな心配をして黙って聞いている。
しかし、こんな年になって何年に一回ぐらいしか会わない娘たちがこうして会いにきてくれることだけでも幸せを感じるし、死んだ妻の引き合わせかと思ったりしながら数時間を過ごす事ができた。ひとりは病院の検査技師のようなしごとをしているらしく、私の体のことを詳しく聞いて
色々としならない事をアドバイスしてくれて勉強になった。
現在心臓の検査を受けている最中なのでとても参考なったし、これからも何でも分からない事があったら連絡してといってくれる。ありがたい事である。
思いがけずこうして頼りになる人が近くにいることは心強い事で、いよいよ天国の妻が姪っ子を通じて守ってくれているのかと考えたりして、思い出して懐かしく思う。
考えてみればこんな交わりは計算ではない。人は兎角行動に計算が伴うもので仕事などは「話していくら」「歩いていくら」と計算づくのことが多いが、こうして自然な真心だけの交わりほど心休まる事はない。本当におもがけない幸せな時間を持つ事が出来た。

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