波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

   思いつくままに 「飛目長目」

2015-02-12 10:59:34 | Weblog
遠く離れた地の情報を見聞きして収集するという意味で使うそうである。初めて聴いた言葉だが中々含蓄のある言葉として読んだ。この年齢になると動くというエネルギーが不足する。言い換えれば余程のことがなければ動きたくない状態になる。しかし、そんな時こそ本当は「老化防止」に備えて動くことは大事なのである。それは自分のためだけではなく家族を含めて近所の人たちへの配慮でもある。その為に何か情報を得たいと思う気持ちが働くのだが、その方法としてはパソコンによるインターネットの利用、新聞、文献などしか思いつかない。中でも一番関心があるのは自分が会社人間として仕事をしていた世界のことは小さな情報でも大体内容がすぐ分かる。狭い業界だったことでそんなに大きな変化が無いこともあり、小さなニュースでも実感として理解できるし、自分がまだその世界の一員のような錯覚さえ持つからだ。不思議なもので時々夢の中で自分が現役で働いている姿を見て、まだ自分は仕事をしているとさえ思うときもあるほどだ。
しかし、夢が覚めて現実に戻ると自分の姿を老いた一人の老人として、口の出せる機会は無い。そしてその移り変わりを懐かしむばかりだ。
しかし、その一方でじっとしていても何となく物事の流れが見えるような気がするときがある。「ジジババ会」のジジの一人が軽い認知症になって一年半が過ぎようとしている。一種間のうちに何回も顔を合わせる機会があったのにさいきんはそのきかいもめっきり減ってきた。寒さのせいかと思っているがそれだけではなさそうである。その言動に少しづつ変化が見える。2月の食事会であれほど「酒は嫌いではないがアルコールが受け付けない」を宣言し、乾杯のときもストローでビールに口をつけるだけだったのが、いきなりコップに注がれたビールを飲む始末でそばに置いたコーラには手もつけないほどになった。
そして三人で話す会話も自分のこと以外はぜんぜん会話に混ざらず、聞いているのか、いないのか、関心を示さない。つまり社交性が乏しくなっている。
人間は各々変化していくものだとは思うが、自分もその一人として現実を受け入れながらその立場をしっかりと自覚しなければと思っている。
全てのことがあまり見えてもよくはないし、分かりすぎても良いことはないだろう。
静かに自分の成すべき事をわきまえて隣人を大切に自分より優れた人と考えへりくだった気持ちで注意を払うことが出来る人間になれればと思っている。、