波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

 オショロコマのように生きた男   第99回

2012-05-18 11:22:22 | Weblog
象は死を感じて覚悟を決めるとそっと群れを離れ一頭で誰も知らないところへ行き、そこで最後を迎えるといわれている。
そんな象の姿を思い浮かべながら、以前見た映画の「象の背中」を思い出していた。
役所広司扮する一人のサラリーマンがまだ中年の若さで不治の癌にかかり、次第に弱っていく肉体を覚えながら、職場を離れ
家族との別れ、知人との別れを惜しみつつ死を迎える経緯を生々しく捉えていて、他人事と思わずその映像を見ながら自分をそこに映し出して心を痛めたことがある。
人は何らかの形でこの世の生活を終えて別れを告げることになるのだが、どんな状態であれ肉体の死は簡単には受け入れがたいものであろう。中には夜、眠った状態で死を迎え家人も知らないままでこの世を去る人もいると聞いているが、考えてみれば
人は生まれたときから死への道は始まっていると言わねばならないだろう。だからそれは不条理でもなんでもないことであり、
新しいものが生まれることであり、成長があり、働くことでもあると思わねばならない。
それをしっかりと覚えてそれに耐えてしばし生きていくことになる。
村田も池田も宏のことは気になりながら、久子との話しをしてからは、その後会うことも語ることもなかった。そして消息は消えていた。そんな中、その年の暮れに一通の葉書を受け取った。そこには年賀を失礼すると言う挨拶と共に宏の訃報が書かれていた。オショロコマはその生涯を静かに終えていたのである。それは一頭の象のようにある意味、孤独な死であったかもい知れない。村田の頭には元気で颯爽とした、スマートなイメージの宏しか思い浮かばない。あのニヒルで無口なかっこいい宏が
今でも元気でいるようで、いつでも会える思いである。
人生は一度である。その中にあって出会った友の一人として、悠々と独自の人生を歩き、何時の間にか天上人になった彼を
思い浮かべるのみである。オショロコマは北海道に生息するといわれているが、今、彼はきっとその清流にもどり、元気良く泳いでいることだろう。
古いものが去り、新しく世代が変わっていく姿こそがこの宇宙の約束事であるはずだ。