九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

昔の記憶

2007年11月05日 23時00分18秒 | Weblog
自衛隊で規律を学ばせる企業が増えてきている。
その一こまで10KGの荷物を背負い山を歩くシーンがあった。
思い起こせば今から24年前大台ケ原の山道を整備するのに車が入れないから鉄筋を山の頂に運んだ記憶がよみがえる。
重さは40kgから45kgの鉄筋を背負い歩とおすのだ、重さはこれ以上背負うと自分の力では立てなくなる、ようするに休むときに腰を下ろせなくなるのだ。
これを背負い足場の悪い山道を登ること8時間、帰りは1時間から2時間、これを20日間ほど続けた、まさに究極のウエートトレーニングだった。
踏ん張るから呼吸が上がり苦しい、大汗はかくわ、腹は減るわで大変だった、しかも仲間の事は無視、足をすべらせれば死あるのみ、生きるか死ぬかだった。
夏も終わり今度は激寒の大台ヶ原、雪が腰まである中を重い荷物を背負い前進、帰る頃には道は雪でかき消され方向を見失いかけながら帰還、まるで八甲田山のような光景、荷をしょっているから大汗をかき寒さは無いが、一度止まると一気に汗が冷え氷着く世界。
雪で帰れなければそのまま山小屋で息を潜め天候が回復すると帰還。
この時のワンカップ大関がたまらなく美味い、あてはカチカチに凍った弁当に江戸紫だ。




走れてきたぞ

2007年11月05日 20時05分43秒 | Weblog
なんとなく速く走れるような気がしてきたが、気のせいで無かった。
時間が無い為にアップなどしない。
ただひたすらハイペース〔自己満足〕
ここでなんとなく昔の感覚がよみがえる、ダンシングでの速度の維持とスプリントの時のスムーズな加速感。
そうだ尻筋だここを使わねば自転車競技は始まらん。
調子に乗り選手でもないのにハイペースで坂を攻める、
意外といけるじゃん。
今日の走今日距離38km満足。でも腰が痛い、そんなの関係ねい。
この練習中に2日連続であつたレバンに乗る親父レーサー?
お互い頑張るね、でも俺よりスマート。

世界選手権

2007年11月05日 15時32分15秒 | Weblog
15年ぶりに訪れたドイツ、ベンツの工場があるシュッツガルド。
これはこの時にポイントレースとロードレースに参加したが、スタート2週目に集団落車をよけたと所で後続の選手に突っ込まれ自転車が大破してリタイヤ。
その光景は全世界に放映されてしまった。
その時の難コースとは違い、比較的やさしいコース、だが1箇所のみ13%700mの登りが一直線に続く、ここが今回の勝負所で、低速でもじわじわと足を使い、気がつけばすべての力を奪いつくされ切れて行くだろうとの予測は当たった。
前日は緊張もあることだろうと静かに選手を過ごさせ、スターと直前に簡単なアドバイスだけに留めた。経験豊富な日本を代表する選手だ、色々言わなくても言わんとする事はわかるはず。作戦など無い、あったとしても今の実力でどうにも出来ないのが現実だ、ただ完走を目指すのみ。
そんな3人は元気にスタートして行く、新城、宮沢は自分達にできる事はやりますといった分だけ動く、集団のペースは自分が知りえる世界選手権の中では非常に遅く、その分日本の選手は前のほうで走れている、他のアジア諸国の選手も真ん中あたりで走っている、昨年は補給地点を通過するときに風であおられるような勢いがあったが、日本のレースのほうが速いぐらいだ。こんな時は後半が凄くなる。
周回を重ね、13%の壁を登る選手の足取りや顔の表情は次第に苦しくゆがみ、力の差が出てきた。
この選手次に切れるのではと思うとやはり力尽き切れていく。その映像はチームテントの中でも見ることができ何処のチームのスタッフも心配そうにテレビに釘付け。でも有力チームは落ち着いている、切れるはずが無いからだ。
このペースなら未だ未だ大丈夫、他のテントの中も非常にリラックスした状態が続く、俺は前半チームカーで選手の後ろを走り、中盤はメカを車に残しニュージーランドと運転を交代、その分テレビと激坂を見に行く事に。ここで新城、宮沢の梅丹コンビと対照的に苦しそうな別府の姿があった。
その後テントに戻ると補給と叫ぶ別府の姿、即座にCCDを渡す。
次の周回でも補給を要求する別府、選手は無線機が搭載されているからチームカーとも補給員とも話はできる。
ペースが遅い時に選手が止まったりしている状態なのでチームカーにも下がれるから不安は無い。
それより無線だ、チームテントも前だけがドイツの無線事情の為に妨害電波が流れ選手と会話ができなくなる、時に電話も通じないほどだ。
チームテントのベックさん〔西ドイツナショナルチームのマッサージャーで金メダルをいくつももたらしたゴールドハンド〕
別府に食料を渡すように指示、第二ピットにいるセルジョ〔イタリアナショナルチームのマッサーも勤めた事がある〕と中島に携帯電話で補給を渡すように指示する、ここが広く補給が取りやすい。
しかしその数周後、別府は未だレースが始まる前にリタイヤしてしまう。
選手は生もの、鮮度が大事で、調子がいいときも有れば悪い時もある、でもすべてを出し尽くして走るしか表現のしようは無いのが選手と言うものだ。もし何かを言えばそれは負け、選手としては非常に恥ずかしいことだ。
気持ちは十分に判る、でもその場で見ていた人達はごまかされはしない、坂で苦しみ足が動かなくなっている姿、そろその終わるのではないかということぐらい。
これが中盤以降、レースが始まっていれば残念とおもうが、レースが始まる前の出来事でハンガーノックとは唖然とした。
新城、宮沢は中盤で粘るが中盤すぎからじりじりと下がり始める、この頃になるとアジア諸国の選手でも強いといわれる選手のみが残っている、宮沢も坂で苦しんで切れる、新城はこの難関は集団についていくものの頂上の平地ですべての力を使いきりぴったりと止まってしまった。
この2人は普段超一流選手と走る機会も少ない〔コンチネンタルチームの為〕プロツアーの選手の凄さを目の当たりにしたのだ。
宮沢は頭は動いていたが足が限界でしたと振り返る。
結果は完走できなかったけれど、良く戦った、初の世界選手権でここまで走れば十分評価できる、新城はアンダーを卒業して初のエリートだし今後が楽しみだ。
今回の世界選手権はスタップが少なかった、補給に関しては3選手に対し3人も居たから問題は無いだろう、昨年は応援部隊がいて4人だったが。
補給は別としてスタッフは多いほうがやりやすいのは事実だ。
スタッフの人数増やす前に選手の強化が第一だろう、走れないから世界選手権行かなくても良いといわれて今の実力だと弁解のしようが無い。
日本の選手よ現実を見ろよ、ツールドフランス体験シュミレーションは終わりだ。競技選手として恥ずかしくないようになれ。