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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

日韓の歴史をたどる⑭ 土地の収奪 強引な国有地化で強力な地主制

2019-11-27 11:42:33 | 日韓の歴史をたどる
日韓の歴史をたどる⑭ 土地の収奪 強引な国有地化で強力な地主制
洪昌極
ホン・チャングク
 1987年生まれ。一橋大学大学院博士後期課程(朝鮮近代史・農業史)。主な論文に「植民地期における朝鮮内農業移民政策と干拓事業」「植民地朝鮮における水利秩序と植民地権力」

日本帝国主義は、朝鮮植民地支配を通じて、米の生産に特化した経済体制を朝鮮社会に強いていきました。

日本に大量の安い米を送る
植民地から大量の安い米を日本本国に送ることで食糧価格を安く保ち、それを通じて自国の労働賃金が高くなるのを極力抑えようとしたのです。急速に工業化を推進したい日本国家と、なるべく人件費を削減したい日本の財閥・企業、双方の利益に合致するものでした。
日本が植民地経済の制度的基盤を確立する上で、まずおこなったのは、〈米〉生産の源となる〈土地〉を掌握することでした。日本は、1905年(明治38)に第2次日韓協約で韓国の外交権を奪い、ソウルに統監府を置いて朝鮮を間接統治下に置いた後、朝鮮に新たな土地制度を確立するために本格的に動き始めます。
帝室有及国有財産整理局という統監府の直轄機関を通じて、1907年から、「韓国併合」の年である1910年までに、全国に散在していた「国有地」を調査し、国有地台帳と国有地実測図を作成しました。この際に「国有」と判断された土地の中には、さまざまな経緯から国・民有の区分が曖昧な性格を持っていた土地や、元々宮家や国有地であったものが耕作権の成長に伴って事実上民有地となっていた土地が多く含まれていました。
土地所有権に関する調査が、民有地の調査に先んじて「国有地」の調査から着手されたこと自体が重要な意味を持っています。
同時に日本は、「国有未墾地利用法」(1907年)を通じて、民有地であることが証明できない「原野、荒蕪地(雑草の茂った荒地)、草生地、沼沢地及干潟地」などの土地が国有地であると宣言します。
その上で「韓国併合」と同時に土地調査事業(1910~1918年)を開始して、全ての土地の所有権を最終的に確定していきます。この事業では、民有地の所有権の申告が義務づけられましたが、それ以前に「国有地」と判定された土地は大半がそのまま「国有地」として処理されました。申告者本人はもちろん、地域住民全てが民有地であると訴えた場合でもこれが覆ることはありませんでした。
民有地と判定された土地でも、「誰の土地か」をめぐって紛争が起きました。日本人・朝鮮人の間で所有権紛争が起きた場合、多くは日本人の所有権が認定されました。
「韓国併合」以前には、日本人の土地所有に法的な制限が課せられていましたが、ひそかに朝鮮人名義で土地を買い占める悪弊が横行していました。そうして手にした日本人の所有権が、この事業によって合法的な権利として法認されたのです。
朝鮮人同士で所有権紛争が起きた場合、それまで実質的な所有権を行使していた耕作者たちの権利は否定され、地主の所有権が一方的に認定されました。耕作権がことごとく否定されることで、耕作者は単なる土地の貸借人に転落し、地主の立場は一層強化されることになりました。



全羅南道務安郡の土地を測量する日本人土木技師(米昇右『日帝 農林牧奪相 写真証言』、緑苑出版社)

耕作地の半分3%の地主が
このようにして日本は、朝鮮総督府と日本人大地主を頂点とする強力な地主制を朝鮮に打ち立てたのです。土地調査事業が終了した1918年(大正7)時点で、わずか3%の地主が耕作地の約半分を所有することとなりました。
朝鮮最大地主となったのは、朝鮮総督府を除けば、「国有地」を譲り受けた東洋拓殖株式会社(陸軍中将が初代総裁を務めた国策会社)でした。事業が始まる前の1909年時点で約5万2千ヘクタールであった日本人の土地所有面積は、1915年時点で4倍の約21万ヘクタールへと増大しています。
言うまでもなく、こうした土地収奪の過程は日本帝国主義の武力を背景としていました。土地調査事業がおこなわれた1910年代が「武断政治」と言われる憲兵警察制度下にあったことを忘れてはなりません。
例えば全羅南道のある地域では、1912年、李回春という老女性が東洋拓殖会社に対して「どうして人様の土地を無法に強奪するのか」と抗議すると、「憲兵上等兵の中島という者が李回春の首を絞め、軍刀と棍棒(こんぼう)で狂犬のように乱打」し、その結果「李回春は水田に血を流して即死」しています。(「東亜日報」1926年7月12日付)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2019年11月19日付掲載


日本は、韓国併合を機に農民の土地をかたっぱしから国有化、そして日本の企業や大地主に払い下げ。
小作料を絞り上げ、生産された米を安く買いたたき、日本に送った。

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