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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

日韓の歴史をたどる㉗ 光復運動 “時局”に背 怠業で抵抗した民衆

2020-08-16 22:09:37 | 日韓の歴史をたどる
日韓の歴史をたどる㉗ 光復運動 “時局”に背 怠業で抵抗した民衆
趙景達
チョ・キョンダル 1954年生まれ。歴史研究者(朝鮮近代史・近代日朝比較思想史)。『植民地朝鮮と日本』『近代朝鮮の政治文化と民衆運動』ほか

1937年7月の日中戦争以降、朝鮮にも総力戦体制が敷かれた。総督府は人々に戦争協力を強い、知識人の中には心ならずも協力させられる者が現れるようになった。戦争が朝鮮人の立場を強くするとして積極的に日本に加担する者も少なからずいた。韓国にはこの時の後遺症が今でもある。いわゆる親日派問題の淵源(えんげん)である。
民衆も戦争協力を強いられたのはいうまでもないが、民衆の場合は「面従腹背」する者が圧倒的であった。日中戦争が開始されるや、総督府は時局認識を徹底させるために時局座談会なるものを各地で開催した。しかし、民衆の関心は「時局に関するもの極めて砂なく、其殆どが農事に関するもの、食糧に関するもの、あるいは物資需給竝(ならびに)物価生活当面の問題のみ」であった(「最近に於ける農村民衆の動向」『高等外事月報』12号、1940年)。朝鮮には日本の隣組に相当する愛国班が整然と組織されたが、その活動も不活発であり、当局をやはり嘆かせた。
経済事犯いわゆるヤミ行為も増大し、39年から43年にかけて10倍以上に増えた。食糧供出に対しても民衆は、体刑をもともなう懲罰を覚悟の上で、「業務執行妨害」や「反時局的言動」などのさまざま抵抗を試みた。村ぐるみで、警官などの供出部隊がやってくるのを警戒し、米穀の「不正」販売や「不正」隠匿を行った。
また工場労働者も、敢行困難となったストライキに替わって怠業戦術を駆使した。工場労働者の1人当たり生産額は、36年を100とすると、43年には74にまで激減している。集団逃走も後を絶たず、深山幽谷に逃れて解放(日本の敗戦)を待った徴用者も少なくない。



1941年12月10日に日本が太平洋戦争に突入したのを受け大韓民国臨時政府の名で発表された対日宣戦声明書(『独立紀念館』から)

日本敗北預言の新興宗教広まる
こうした中、民衆の間では流言が広まり、日本の敗北を期待する「不穏落書」「不穏ビラ」「不穏投書」などが出回り、当局を過敏にした。わけても、日本の敗北と教祖による新王国の誕生を預言する新興宗教の活動は、際立っていた。植民地朝鮮では終末宗教がはびこり、それに救いを求める者が少なくなかった。ほとんどは貧窮農民である。
40年11月~41年9月の間にも18教団が検挙されている。それらは、もっぱら民族運動弾圧の悪法である保安法違反での検挙である。37年7月から39年4月までの2年足らずの間に保安法違反で検挙されたもののうち、70%は新興宗教関係者であった。総督府は、知識人の民族運動より新興宗教の活動の方をはるかに警戒していたかのようである。

国民服脱ぎ捨て「独立万歳」叫ぶ
もっとも知識人も地下に潜って秘密結社活動を展開し、朝鮮内と日本内を含めて地下組織は200あまりに上っている。中でも有名なのが、44年8月に呂運亨(ロウンヒョン)を指導者に結成された朝鮮建国同盟である。呂は1919年の三・一独立運動後、上海で結成された元大韓民国臨時政府の要人であり、逮捕されて帰国を余儀なくされた後も、新聞社主などとして活躍し、抜群の人望を誇る人物であった。
この組織は全国に細胞組織をもち、農民同盟も作った。農民同盟は戸籍簿焼却や鉄道破壊、徴用徴兵忌避支援などの活動を展開した。また、建国同盟は独立宣言文を起草する作業まで行っていた。
そうした中、45年7月24日の府民館爆破事件が起きる。これは、秘密結社の愛国青年党が起こしたもので、時局大会であるアジア民族憤激大会を破壊するためになされた爆弾事件であった。大会は修羅場と化した。
こうして解放の日が訪れる。総督府政務総監の遠藤柳作は8月14日夜、ひそかに呂運亨を招き、ポツダム宣言受託にともなう治安維持協力を求めた。呂はそれを受諾した。翌15日、正午を迎え「玉音放送」が流れると、すぐに国民服やモンペを脱ぎ捨て白衣の民族服に着替えた人々が、京城(現ソウル)の街に繰り出して「独立万歳」の歓声を鳴り響かせた。それはまさに、日本「内地」とはまるで違う光景であった。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年8月12日付掲載


朝鮮にも、日本の侵略戦争に協力させる「隣組」の様な組織されるが不発に。
ひいては、日本の敗北を期待する新興宗教まで広まったとか。
だからこそ「玉音放送」が流れると「独立万歳」の歓声が。

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