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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

神戸製鋼 不正の病巣⑤ 軍事企業としての顔

2017-12-14 16:25:07 | 政治・社会問題について
神戸製鋼 不正の病巣⑤ 軍事企業としての顔

国内3位の鉄鋼メーカーである神戸製鋼所は別の顔を持っています。軍事企業としての顔です。
検査データが改ざんされた製品は航空機や誘導武器、魚雷など自衛隊の装備品にも広く使われていました。

朝雲新聞社の『自衛隊装備年鑑2016-2017』によると、潜水艦から魚雷を発射する装置である「水中発射管」や戦車を含む重車両を川の対岸に渡す「92式浮橋」、クレーンやショベルカーなどの重機を、神鋼は防衛省に直接納入しています。
人事面でも神鋼と防衛省は深く結びついています。防衛省が公表している「自衛隊員の営利企業への就職の承認に関する年次報告」によると、07年から自衛隊員5人が神鋼に天下りしています。天下りした自衛隊員は主に、潜水艦に搭載する装備品など防衛省関連の事業について助言をする「顧問」の地位に就いています。



神戸製鋼所の神戸製鉄所

戦争と共に発展
神鋼の歴史をひもとくと、軍事生産をするために生まれ、発展した企業であることが分かります。
神鋼の前身「小林製鋼所」は、日露戦争が終結した1905年に創業しました。当時は、政府の軍備拡大政策によって重工業が盛んな時代。神鋼の社史『神戸製鋼100年』によると、創業者の小林清一郎氏は呉海軍工廠(こうしょう)に勤める知人に勧められ、鉄鋼業を立ち上げました。
しかし、事業はうまくいかず1カ月もたたずに鈴木商店に身売りしました。当初は民間向けのいかりや、炭坑用トロッコの車輪などを製造しますが、工場設備の不備が多かったため赤字の連続だったといいます。
立て直しのため、鈴木商店支配人の金子直吉氏は、懇意にしていた元海軍少将を介して海軍幹部に働きかけ、呉海軍工廠からの発注を得ました。軍事生産に切り替えることで息を吹き返したのです。『社史』は当時をこう振り返ります。「当社に順風が到来する。呉海軍工廠との取引である」
この追い風を受けたことで、「神戸製鋼所」として独立を果たしました。
初代社長には黒川勇熊(ゆうくま)元海軍造船少将が就任。3代、4代社長も海軍関係者が務め、海軍お抱えの企業として歩んでいきました。
14年に第1次世界大戦が勃発。武器需要の高まりを受けて、神鋼は魚雷発射用の空気圧縮機や潜水艦のディーゼルエンジン、砲弾など兵器の製造を手掛けました。満州事変など侵略戦争が拡大すると、軍事生産への傾斜をさらに深めました。
38年には、工場事業場管理令に基づいて、軍の管理工場に指定されました。35年から軍事生産が拡大し、45年には売上高を12倍に、利益を20倍に増やしました。
神鋼は全国各地に工場を増設。満州や朝鮮半島、マレーシアと海外にも工場を建設しました。製造品には魚雷用空気圧縮機、爆雷投射機、戦車、弾丸、照準機などさまざまな武器がズラリと並びます。

朝鮮特需で復活
戦後、GHQ(連合国軍総司令部)は軍事生産の停止を命令しました。神鋼はフライパンや厨房用冷凍機など多くの民需品を製造。「とにかく作れるものは何でも作ろう、お金になることは何でもやろうという時代であった」(『社史』)と振り返っています。
経営難に陥っていた神鋼は、50年の朝鮮戦争を契機に復活しました。『社史』は「これ(朝鮮戦争)を機に、アメリカを主体とする国連軍に多量の物資やサービスを提供する“特需”が発生し、輸出が一気に増大した」とつづっています。(おわり)(金子豊弘、斎藤和紀が担当しました)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年12月14日付掲載


神戸製鋼の前進といえば、「鈴木商店」の名前が出てきますが、本当の前進は軍需産業なんですね。
もう一つの裏社会との結びつき。

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