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日本共産党兵庫県委員会で働いています。

日韓の歴史をたどる㉙ 在日朝鮮人の権利 治安乱す存在とみて登録・管理

2020-09-22 07:09:21 | 日韓の歴史をたどる
日韓の歴史をたどる㉙ 在日朝鮮人の権利 治安乱す存在とみて登録・管理
鄭栄桓
チョン・ヨンファン 1980年生まれ。明治学院大学教授(在日朝鮮人史、朝鮮近現代史)。『朝鮮独立への隘路(あいろ)在日朝鮮人の解放5年史』『忘却のための「和解」』ほか

敗戦後日本の朝鮮人に対する政策は、植民地支配を反省しともに生きる権利を認める姿勢とはほど遠く、むしろ治安を乱す存在とみる植民地時代の発想を色濃く残すものでした。

参政権奪い取り容赦なしに送還
日本政府はまず、1945年12月に衆議院議員選挙法を改正して朝鮮人・台湾人の参政権を停止します。「天皇制廃絶」を訴える候補が朝鮮人からでるのではとおそれたからです。
さらに「解放民族」としての処遇を求める朝鮮人の訴えをしりぞけて引き続き「臣民」として扱う一方、1947年5月2日に施行された外国人登録令にかぎって、日本国籍を有したまま「外国人とみなす」として朝鮮人・台湾人に登録の義務を課しました。
18歳のときに広島で被爆し、のちに被爆者健康手帳の交付を求めて行政訴訟を起こした孫振斗さんも、1951年に登録をしなかったことを理由に韓国へ強制送還されました。日本生まれで朝鮮語を話すことができなくても容赦なく送還したのです。
とりわけ朝鮮人の強い反発を買ったのは、朝鮮学校に対する閉鎖命令です。1948年1月、文部省は通達を発して、朝鮮人児童にも就学義務があるとする一方で、学齢児童を対象にする各種学校の設置は許さないとしました。これでは独自のカリキュラムを設けて朝鮮語による民族教育を行っていた朝鮮学校の存続は困難になります。



1950年12月20日、守山朝鮮学園(愛知県守山市)に押し寄せて子どもたちをつかみ出す日本の警官たち(「中部日本新聞」1950年12月21日付)=在日韓人歴史資料館提供

民族学校閉鎖で非常事態宣言が
在日本朝鮮人連盟(朝連)は撤回を求めて抗議しますが、大阪や兵庫などの知事はこの通達に従い学校閉鎖を命令します。命令撤回を求めて,さらに抗議を繰り返した人々に対し、ついに米軍が非常事態宣言を発令して、神戸では1900人近くを逮捕し、大阪では16歳の少年・金太一を警察が射殺するという大惨事が発生しました。朝連はこうして学校教育法に従って教育することを受け入れざるをえなくなりました。
四・二四教育闘争(阪神教育闘争)と呼ばれるこの事件には、米ソ冷戦と朝鮮の分断が暗い影を落としています。米軍は民族教育の擁護を求める運動を韓国の制憲議会選挙を妨害するものと考え強硬姿勢に出たのです。日本の同化主義と、米国の反共主義の利害が一致するなか、打ち砕かれたのは子どもたちに自分たちの文化や歴史を教えたいという素朴な願いでした。
1949年9月には、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を支持する朝連は団体等規正令(現在の破防法につながった)に違反するとして解散させられ、朝鮮学校も閉鎖されることになりました。

選択の余地なく一律に国籍喪失
1950年に朝鮮戦争が起こり母国が戦火につつまれるなか、朝鮮人はさらに「権利なき地位」へと押し込まれていきます。1952年4月に対日平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効すると、朝鮮人は選択の余地なく一律に日本国籍を喪失したとされ、外国人登録法と出入国管理令の対象になります。
当時人々の暮らしは貧しく、1952年現在の調査によると、朝鮮人の62%が「無職」でした。このため生活保護の受給者も少なくありませんでしたが、この法令により、貧困者やハンセン病者や精神病者で「生活上国又は地方公共団体の負担になっているもの」は強制送還の対象となりました。
1955年からは外登法による指紋押捺の義務も課されます。条約発効後に生まれた者の在留期間は「3年をこえない範囲内」で認められるにとどまり、外国人であるがゆえに義務教育の権利はなく、朝鮮学校の卒業生も日本の上級学校への進学資格を認められずに学校教育制度の増外に置かれることになります。
すべての政策が「ここにおまえたちの暮らす場所はない」とのメッセージを発しているかのようでした。1959年12月にはじまる帰国事業により、約10万人の人々が朝鮮民主主義人民共和国へと向かった理由は、新天地への希望だけではなく、新たな排除の時代となった日本の「戦後」に生きることへの失望でもあったのです。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年9月16日付掲載


日本の都合で、朝鮮から日本に連れて来た人たち。日本が敗戦後、日本で生まれ、仕事も暮しも日本で定着している人たちを朝鮮へ強制送還。
国籍も奪って。まるで身勝手な扱いでした。

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