翌日は友人と、ほぼ開館と同時にプラド美術館の中に入る。
といっても10時開館で10時15分ぐらいに行ったら、もう
60名ぐらいがチケット売り場で列をなしていたのだが。
プラドに入るのは何年ぶりに何だろうか。明らかに覚えているのは
フランスに留学しているときに、モロッコからの帰りに一人でふらっと
マドリードに降り立って、プラド美術館を訪れた時のことだ。
あのころまだ21歳とかそのぐらいだったから、もう25年以上もたった
ことになる。本当に時がたつスピードっていうのは・・・。
あのときのことを覚えている。静謐な空間の中で、ボッシュの快楽の園や、
ゴヤの暗い、フランス軍に対する市民蜂起の絵を。
楽しみにしていたボッシュの絵は、あまりにも観光客が絵の周りに
たむろして、その中には集団もいて、なかなか絵に近づけない。
近づけないどころか、ゆっくりと鑑賞なんかできたもんじゃない。
ちょっとがっかりして、ゴヤの部屋に行く。ここはまだ観光客が若干少ないようだ。
ボッシュと違って、部屋の面積が広いのでゆっくり鑑賞ができる。
部屋いっぱいに飾られたゴヤのさまざまな傑作。なんだか見ているうちに
息苦しくなってきた。
宮廷画家であったゴヤは、ナポレオンのスペイン侵攻や、自身の聴覚の
消失などさまざまな人生の苦境の乗り越えて、その画面はだんだん暗いものとなっていく。
いわゆる「黒い絵」と言われているものだ。
半ば亡骸のような描かれ方をされている、「食事をとる老人」。
ゴヤの謎の絵とされている「砂に埋まった犬」。無表情の犬が、砂の中から宙をぼやり
みているだけの絵なのだ。
巡礼に向かう人々の絵。真っ黒な画面で、影深く描かれた人々は
泣いているのか笑っているのかもわからないように、不気味な表情で永遠に
列をなしている。ちょっとフランシスベーコンの絵に似ているのだが、ゴヤは
ベーコンよりも100年以上も昔の時代を生きた人間だ。
こんな風に、写実的に、不気味に、でも的確に人々の人生を絵に収めた画家というのは
いるのだろうか?そこにはどんな感情も、価値判断も働いていないような気がする。
絵に向き合っているだけで、なんだか魂をかきむしられるようなのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/a5/87fe3bd6cc51828f2e9ee0ae3c52b9f9.jpg)
そうやって、ゴヤの絵を何時間も眺めたあと、プラドのカフェでコーヒーを飲む。
なんか嵐に巻き込まれたような気分だ。
でも、またゴヤの絵に会いに来たい。
といっても10時開館で10時15分ぐらいに行ったら、もう
60名ぐらいがチケット売り場で列をなしていたのだが。
プラドに入るのは何年ぶりに何だろうか。明らかに覚えているのは
フランスに留学しているときに、モロッコからの帰りに一人でふらっと
マドリードに降り立って、プラド美術館を訪れた時のことだ。
あのころまだ21歳とかそのぐらいだったから、もう25年以上もたった
ことになる。本当に時がたつスピードっていうのは・・・。
あのときのことを覚えている。静謐な空間の中で、ボッシュの快楽の園や、
ゴヤの暗い、フランス軍に対する市民蜂起の絵を。
楽しみにしていたボッシュの絵は、あまりにも観光客が絵の周りに
たむろして、その中には集団もいて、なかなか絵に近づけない。
近づけないどころか、ゆっくりと鑑賞なんかできたもんじゃない。
ちょっとがっかりして、ゴヤの部屋に行く。ここはまだ観光客が若干少ないようだ。
ボッシュと違って、部屋の面積が広いのでゆっくり鑑賞ができる。
部屋いっぱいに飾られたゴヤのさまざまな傑作。なんだか見ているうちに
息苦しくなってきた。
宮廷画家であったゴヤは、ナポレオンのスペイン侵攻や、自身の聴覚の
消失などさまざまな人生の苦境の乗り越えて、その画面はだんだん暗いものとなっていく。
いわゆる「黒い絵」と言われているものだ。
半ば亡骸のような描かれ方をされている、「食事をとる老人」。
ゴヤの謎の絵とされている「砂に埋まった犬」。無表情の犬が、砂の中から宙をぼやり
みているだけの絵なのだ。
巡礼に向かう人々の絵。真っ黒な画面で、影深く描かれた人々は
泣いているのか笑っているのかもわからないように、不気味な表情で永遠に
列をなしている。ちょっとフランシスベーコンの絵に似ているのだが、ゴヤは
ベーコンよりも100年以上も昔の時代を生きた人間だ。
こんな風に、写実的に、不気味に、でも的確に人々の人生を絵に収めた画家というのは
いるのだろうか?そこにはどんな感情も、価値判断も働いていないような気がする。
絵に向き合っているだけで、なんだか魂をかきむしられるようなのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/a5/87fe3bd6cc51828f2e9ee0ae3c52b9f9.jpg)
そうやって、ゴヤの絵を何時間も眺めたあと、プラドのカフェでコーヒーを飲む。
なんか嵐に巻き込まれたような気分だ。
でも、またゴヤの絵に会いに来たい。
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