く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<大和文華館> 「富岡鉄斎と近代の日本画」展

2021年05月27日 | 美術

【鉄斎と親交があった松山・近藤家旧蔵品を中心に】

 大和文華館(奈良市学園南)で近代日本を代表する文人画家、富岡鉄斎(1836~1924)に焦点を当てた「富岡鉄斎と近代の日本画」展が始まった。鉄斎作品のコレクションといえば清荒神清澄寺(兵庫県宝塚市)の鉄斎美術館が有名だが、この大和文華館も鉄斎が晩年まで長く親交があった四国・松山市三津浜の近藤家旧蔵品のコレクションで知られる。今展でも展示中の鉄斎作品47点(近藤家宛ての書簡4点も含む)のうち近藤家旧蔵品が43点を占めている。会期は7月4日まで。

 

 鉄斎と近藤家の交流は晩年まで40年以上続いた。鉄斎は1873年(明治6年)、松山を旅し旅館や海運業を営む旧家石崎家を訪ねている。そこで代々番頭を務めていたのが近藤家の当主だった。近藤家は折にふれ京都の鉄斎の元にタイやエビなど地元の海産物を送った。これに対し鉄斎は早速その海産物を描きお礼の言葉を添えて贈った。近藤家旧蔵品に描かれた題材は他にも山水画や吉祥画、大和絵風の人物画、花鳥画など実に幅広い。

 

 〝日本最後の文人〟といわれる鉄斎の作品には必ず毛筆で画賛が添えられている。絵画はあくまで〝余技〟。鉄斎はそう考え、「自分の絵を見るときはまず賛文を読んでくれ」というのが口癖だったという。『福神鯛釣図』の賛は「福神の画は拙いけれども神の御威光は赫々であるから貴家の御清栄を祈ってこの絵を送る」。鉄斎は1891年10月滞在中の名古屋で濃尾地震に遭遇した。倒壊した家屋が燃え盛る様子を描いた『濃尾震災図』の賛は「よそことに火事や地震とききすてな はかりかたきハ人の災厄」。『渡辺崋山獄中図』には「麻縄にか々る身よりも子をおもふ 親の心をとくよしもかな」。『閻魔図』は南画家田能村直入(1814~1907)が死後閻魔大王の前で絵を描いている戯画風の構図。その賛は「直入は地獄の鬼に捉えられ 閻魔の席で何をかくらむ」。鉄斎と直入は共に日本南画協会を設立した仲だが、皮肉を込めたこの賛からは両者の微妙な関係も垣間見えてくる。

 

 鉄斎は82歳のとき画家として最高の栄誉といわれる帝室技芸員に任命された。『山水閑居図』の賛には「聖朝恩遇憐遺逸 八十過時拝画師」などと記して喜びを表している。最も大きな展示作品は六曲一双の『古木図屏風』(制作年未詳)。屈曲する太い樹幹と奇石が刷毛目も残る力強い筆致で描かれている。鉄斎以外の出展作品は鉄斎に傾倒していたといわれる富田渓仙の『野々宮図』や、菱田春草の『晩秋図』、横山大観の『游刃有余地図下絵』、上田麦僊の『洗髪図』など。美術館の周りには「文華苑」と名付けられた自然園が広がる。その一角「梅の小径」では自生するササユリの花が咲き始めていた。これから6月上旬にかけて見ごろを迎えそうだ。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« <オクナ・セルラタ> 別名... | トップ | <エニシダ(金雀枝・金雀児... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿