【軒丸瓦や灯明皿、奈良三彩の陶器片】
春日大社の南側、志賀直哉旧居などがある奈良市高畑町に佇む新薬師寺。奈良時代の747年(天平19年)に聖武天皇の病気平癒のため光明皇后の勅願によって建立されたといわれる。内外の観光客でにぎわう東大寺や春日大社周辺と違って、ここまで来ると観光客も少なく静謐な空気に包まれていた。国宝の本尊薬師如来坐像を、円形に配置された十二神将立像が守護する。その周りをゆっくり巡りながら久しぶりに天平時代の名品に対面することができた。離れの庫裏では七仏薬師金堂跡の出土品が展示されていた。
この七仏薬師金堂の遺構が見つかったのは新薬師寺の西約150mに位置する奈良教育大学のキャンパス内。新薬師寺は最盛期、約400m四方にわたる広大な寺域を有していたという。2008年に校舎改築に伴う発掘調査で創建当時の基壇跡とみられる柱穴が出土した。建物の規模は東西50m以上。正倉院に伝わる「東大寺山堺四至図」に描かれた七仏薬師金堂跡とみられている。その遺構の南側からは軒丸瓦や土器・陶器なども出土した。
展示中の軒丸瓦は新薬師寺式の複弁八葉蓮華文で、1+8の蓮子(れんじ)を配した中房を二重の圏線で囲むのが特徴。奈良時代後期~平安時代初期のものとみられ、他に出土例がないことから8世紀末の修理の際にこの形式の瓦が独自に作られ使われたらしい。灯明皿は井戸跡から出土したもので、煤で黒くなった部分も確認される。奈良三彩の破片には緑釉と白釉(透明釉)が施されており、底径30cm強の大型の瓶(または壷)などのかけらとみられる。閼伽水や薬草の貯蔵用だったと推定されている。
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