く~にゃん雑記帳

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<長崎の〝迷い子石〟> 諏訪神社の参道脇に佇んで140年

2019年02月14日 | 旅・想い出写真館

【江戸~明治時代中期、各地の有名寺社や繁華街に建立】

 長崎の総氏神、諏訪神社(長崎市上西山町)の参道の鳥居脇に鉄柵に囲まれた古い石柱が立つ。正面に刻まれた文字は「まよひ子志らせ石」。今から140年前の1879年(明治12年)に建立された。由来を記したそばに立つ「長崎県警察」の案内板(1987年設置)によると、参拝者の往来でにぎわう雑踏の中で迷子が続発し、それを見かねた当時の長崎県警察課、警察署に在勤する警部たちが資金を寄せ合って建てたという。

 子どもを見失った親は「たつぬる方」と刻まれた迷子石の左側面に住所や子の名前を書き記す。一方、迷子を見かけた人は右側面の「おしゆる方」に情報を記す。この石柱は迷子とその親をつなぐためのいわば〝告知板〟だったわけだ。案内板は「やがて子は再び親の懐に抱かれ、人々の暖かい思いやりに涙を流して手を合わせ、しっかりと手を握り合って去るその姿は数知れなかったといわれる」と結ぶ。

 調べてみると、同様の〝迷い子石〟は京都や東京など各地に残っていることが分かった。京都では八坂神社や北野天満宮、誓願寺(新京極)、東京では湯島天神や一石橋(日本橋)など。戦災で石柱が倒壊した浅草寺にも戦後に復元された石柱が立つ。三重県桑名市でも「上げ馬神事」で有名な多度大社や「石取祭」で知られる春日神社に残っているという。全国では30基ほどが確認されているそうだ。

 石柱正面に刻まれた表記は「迷子みちしるべ」「迷子しるべ石」「迷子しらせ石標」「満よひ子の志るべ」「志類べ以志」など様々。ただ石柱の左側面が「たずぬる方」「さがす方」など迷子の捜し手、右側面が「教しゆる方」など情報を持つ人の告知面になったものが多いようだ。縁を取り持つ仲人役の石柱ということで、京都の八坂神社や北野天満宮、東京の湯島天神などでは「月下氷人石」や「奇縁氷人石」などとも呼ばれている。


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