く~にゃん雑記帳

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<ジオウ(地黄)> 花の美しさから古名は「佐保姫(サオヒメ)」

2016年06月16日 | 花の四季

【漢方に不可欠な生薬、主産地大和には名残の地名「地黄」も!】

 古くから薬用として栽培されてきたゴマノハグサ科ジオウ属の多年草。原産地は中国で、日本には奈良時代に渡来したといわれる。5~6月頃、高さ20~30cmほどの花茎を伸ばし、淡紅紫色の筒状花を数個つける。花冠や葉、茎など全草に白い腺毛が密生する。和名は漢名地黄の音読みから。太く肥大した赤褐色の根茎に因む。その根茎は利尿や増血、血糖降下作用などがある成分を含み、多くの漢方処方に欠かせない生薬になっている。

 ジオウにはアカヤジオウとその改良種のカイケイジオウの2種がある。アカヤは「赤矢」で、赤みがかった筒状の花が矢を連想させることから。カイケイは「懐慶」。中国の主産地だった河南省の地名に由来する。このうち日本で古くから栽培されてきたのはアカヤジオウで、日本でジオウといえばアカヤジオウを指した。花の美しさから〝春の女神〟を意味する「佐保姫(サオヒメ)」とも呼ばれた。ただ栽培の主力は戦後、大型種のカイケイジオウに移り、さらに現在では国内での栽培量はごく僅かになって中国産の輸入に頼っている。

 貝原益軒著『大和本草』(1709年)は「和地黄ノ上品ハ大和ヨリ出ツ唐より来ルニマサレリ 大和ニ地黄村アリ多ク産ス」と記す。この記述から江戸時代、奈良がジオウの高級品の栽培地で、中でも「地黄村」が主産地だったことが分かる。また『西国三十三所名所図会』(1853年)にも古く地黄を初めて栽培し、上品を作ったことから地黄村という地名になった、と村名の由来に触れている。

 この「地黄」の地名の初見は鎌倉時代の永仁2年(1194年)の東大寺文書まで遡るという。その頃には既に奈良で栽培されていたとみられる。ただ名所図会には今では地黄を作ることなしとも記されており、江戸時代末期には地黄村での栽培も途絶えていたらしい。しかし、奈良県橿原市には今も「地黄町(じおちょう)」という地名が残っている。かつて一帯が有力な産地だった名残だろう。地黄町には万葉歌人、柿本人麻呂を祭神とする人麿神社がある。西日本の山地に自生する「ヤマジオウ(山地黄)」はシソ科の多年草で、葉の形などがジオウに似ることからその名が付いた。

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