ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




あんなに短い旅でも、やっぱり海外ともなると色々とお話のネタとか写真があるもので、日本に居る時と違うなぁ、なんて思います

随分と長くお付き合いいただきましたが、今日は、残った写真をちょっとまとめて載せさせていただいて、これにてグアムの旅の一応の締めくくりとさせていただきたいと思います。

また、親戚の慶事(別に、あちらで結婚式があった、とかいうわけではないんですよ)に関しましては、本人たちの希望で、こちらでは触れずにそっと・・・ということにさせていただきました。僕も、それにかこつけて、ただひたすら、自分がグアムに行きたかった、ということだったんです(笑)。どうぞ、ご了承下さいね

 

ではまぁ、ぼちぼちまいりましょう

 

昨日、ラッシュガードを着ている写真を載せましたが、基本、裸で日には当たらないようにしておりました。また、露出している部分も、完全に日焼けしないタイプのもので、念入りに

南国の陽射しは、日本とは比べ物にならないので、油断して普通に日光浴なんてすると、焼けやすい僕は、すぐに真っ黒・・・っていうか、火傷になります(笑)。いや、そりゃ適度に焼くことだって出来るわけですが、・・・あのひりひりと痛いのと、火照るのと、後からカワがムけてカユいのが、アレで(笑)。あと、もう20代でもありませんから、きっとシミになるよなぁ、それもなぁ・・・とか思ったりして(笑)。で、多分、行く前とまったく変わっていません。サンプロテクター、さすがでした。・・・昔、真っ黒に日に焼ける用のオイルを塗りたくっていた自分とは、別人のようです(笑)。

 

 

お父さんと、小さい娘さんが、楽しそうに遊んでました。いい思い出になるんだろな。どっちにとっても。

 

 

こういうリゾート地のホテルを、一部屋買っちゃう、なんてのに憧れます。そういうシステムがあるんですよね。なんかさ、そんな老後もいいなぁ、・・・なんてね。

 

 

オジサンって魚がいます(笑)。ちなみに、上からの四番目のムラサメモンガラは、人間を攻撃してきます。シューって寄ってきて、カリッって噛むんですよ、脛とか。小さい歯があって、結構痛いです。しぶとく何度も攻撃してきますが、コラー!って、こちらも負けずに強気で何度も怒ってると、そのうちやめてどこかにいきます。・・・でダメなら、こちらがどこかに行くしかありません(笑)。

 

 

いたるところでこういう注意看板を見ましたが、こやつは、・・・自分で滑って倒れてました(笑)。

 

 

プライベートビーチで見かけた、・・・南国系二人組、です(笑)。

「ウタをウタいまーす」というので、どんなものを、と思って見ていたら、「♪サァウィータァ、サァウィータァ・・・」って、「チューリップ」とかね、「♪ゾゥオーシャン、ゾゥオーシャン」、って。朝シャンじゃないですよ。

で、一番ビックリしたのが「♪シャブダマ、トーンダァー、ヤネマデ、トーンダァー」って。

シャブ玉って。なんだか、危険な香りがするっす(笑)。

 

 

大抵あちらには、ハッピーアワーというのがありまして、「17時~19時までドリンク半額」、とかね。いいシステムです。ほんと、いい(←力説(笑))。

陽射しも落ちて、穏やかになった夕方。プールサイドに寝転んで、海遊びで程よく疲れた身体に流し込むビールは、至上であります

 

ただ、この一杯のために、グアムに行くなんてのもいいかもしれない、と思うほど。

 

 

というわけで、さようなら。短かったけれど、楽しい旅でした。

旅行会社では、なんと三泊四日で「二人で二万円」、なんてキャンペーンツアーも発売しているようです。往復の飛行機と、三泊のホテルが付いて、なんと、一人一万円ポッキリ。・・・どうしましょ(笑)。

また、この旅行かばんの出番があるといいなあ

 

 

グアムの出国時の手荷物検査では、全員裸足にならなくてはいけません。そのため、結構時間がかかります。でもね、職員の人も、ただ仕事をこなしてるんじゃなくて、子どもと見れば「かわいいねー!いくつ?グアム、楽しかった?」とか声をかけたり、大人にも色々と冗談とか言ったりしてて、コミュニケーション取ったりしてるからだったりもするんですよね

 

 

帰りはパスタか、フィッシュでした。で、やはりここは、こちらをね(笑)。バジルのテイストでしたが、それでも何かが違う。・・・やはり外国の味なんですよね。

・・・えっとね、正直、日本の方が美味しいですよ。僕は日本の食べ物は、世界一だと、思います

昨日見たケーブルのTV番組で、イギリスのロックスターのロビー・ウイリアムスが「今はロンドンとL.A.に家を持っているんだけど、L.A.は食べ物がすげーウマいんだ」って話してました。

L.A.が「スゲーウマい」なら、ロンドンはいかほどか、とそんなことが行間からわかって、面白かったです。まぁ、世界的に有名ですものね。イギリスの食に関しては(笑)。是非、日本に。ウェルカムですよ、ロビー。

 

 

でも、コーヒーは絶対にアチラがウマいです。なんでこんなに違うのか、と思います。アメリカのコーヒーの味には、ほんと感心します。美味しいだけじゃなくて、ゴクゴク飲めるんですよね。もう、あっという間にお代わりを頼んでしまいました。あと、このクッキー「ChipsAhoy!」も美味しかったです。ナビスコ社が1963年に発売した、僕より年上のクッキーです。

 

 

成田に着きました。着いてしまいました

 

なんだ、お土産、ここで買えるんじゃん。しかも、世界中の有名なお土産はだいたい揃ってるんじゃん。なーんだー。じゃあ、買い忘れても大丈夫だなあ。

 

・・・と、一瞬思いましたが、

 

もしや、と思って裏返してみますと。

バレますねー、これは(笑)。

 

 

・・・そういった感じで、グアム編、終了です。長々とありがとうございました。是非、皆様も機会がありましたら、グアムへ。

たったの3時間半、ことによったら、一万円で(!(笑))行ける、太陽がいっぱいの南の島。オベルトのビーフジャーキーも食べれます(笑)。

 

僕も今回、今までと違う新たな魅力にも触れることが出来て、またグアムが好きになりました。是非、また行きたいと思います。なんなら、すぐにでも行きたい(笑)

 

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今日は、明後日のセッションライブの為のリハーサルがありました。いよいよですねー。

鮫島さん、ICHIROさん、生沢さん、ロジャーさん、そして、喧太くん。みんな、さすがです。たった一度の、短いリハーサルでしたが、それでもこの面子ですからね。かなり楽しいライブになりそうです

 

8/2(日) ぬまづサマーガーデン2009

<<出演>>
18:10~ Tiare Aloha
18:40~ CooL MB
19:15~ The Sons(ICHIRO、鮫島秀樹、ロジャー高橋)
     ゲストヴォーカル 生沢佑一  ギター 原田喧太 キーボード 川村ケン


☆入場無料☆

場所  沼津市狩野川 沼津東急ホテル裏 特設フローティングステージ
主催  ぬまづサマーガーデン実行委員会
<<事務局>>
NPO法人沼津観光協会(沼津市千本港町95-2)
Tel 055-964-1300 Fax 055-964-1301 

 

・・・天気、持ってくれー

 

ではー。



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本当に、毎日、暑いですね。お元気でお過ごしでしょうか。

昨日、ご紹介した横井さんの本が、アマゾンで売り切れになってました。一週間ほど前、在庫は二冊でした。僕が一冊買って、そして今日の朝は、まだ一冊あったんです。

もしかして、昨日、これを読んでくれたどなたかが・・・なんて考えたら、ちょっと嬉しかったりもしてね。・・・全然違うかもですけれどね(笑)。

長々と追記もしました。もう、一回のブログとしての限界一杯の文字数になってしまいましたので、読まれた方も大変だったと思います。読んでくださって、ありがとうございました。

一番にお伝えしたかったポイントは書いたつもりですが、それでも、まだまだ書きたりないことが沢山あるなぁ、とページを繰りつつ、思いに耽ってみたりもしましたが、また、いずれ。

 

 

というわけで、僕も含めて、今日は、ちょっと息抜きということで。

 

 

 

バサッ。

 

 

 

 

 

バサッ。

 

 

 

 

 

 

 

バ・・・、ボ、ボサッ。

 

 

 

 

・・・こういうところですと、一向に、気になりません(笑)。

 

 

ではー。



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横井庄一さんが、戦中から戦後、なんと28年間もグアムのジャングルで誰にも発見されずに暮らしていた事。

僕も、過去にそういう事実があったらしい、ということは知っていました。ただ、・・・それだけしか、知りませんでした。

 

グアムの空港に降り立ちますと、現地の観光地の看板に混じって「英雄横井28年間ジャングル苦難ケーブ(洞窟)」という看板が目にはいりました。歩きながら「あ」と思って、慌ててシャッターを切ったので、ナナメになってしまっています。

現代の僕たち日本人にとっては、日本から比較的近い「行きやすいリゾート地」であって、暖かな気候と美しい海の、明るく楽しい南の楽園・・・グアムのイメージは、そんな感じですよね。

そして、確かに、その通り。

マリンスポーツやショッピングを楽しむ、沢山の観光客で賑わっていて、・・・過去に、ここで二万人もの人が死に、そして、この島のどこかに、28年間も「戦争が終わっていなかった」人が居たなんて、にわかには信じられないくらいです。

 

 

 

僕は、帰ってきてからどうしても気になって、この「明日への道 全報告グアム島孤独の28年」という、横井さんの自伝を購入し、読み出したら止めることが出来ずに、ほとんど一気に読み終えました。

横井さんが、グアムの山奥で現地人に発見されたのが、昭和47年1月24日。僕は4歳。そして、この本が書かれたのは、昭和49年です。

のっけから、大変ショッキングな内容でした。

現地人であるチャモロ人、あの僕もグアムで出会ったチャモロの人たちについて、こんな記述がありました。・・・戦中の日本占領の前のアメリカ占領のさらに前、スペインが統治していた占領していたころ、

「スペインは、現地の男は全部殺し、女だけを生かして、そこへフィリピンと中国から男を連れてきて混血させ」、「その後、日本人や、ドイツ人、アメリカ人等入りみだれ、現在では純潔チャモロ族はもういない」

この一文だけで、しばらくページを捲る手が止まってしまいました。・・・国って、なんて恐ろしい事をするのでしょう。

 

横井さんは、非常に仔細に、グアムへ渡る前(満州から行き先を教えられないまま、連れて行かれた)から、戦中のこと~ジャングルでの生活を、最後に発見、救出(本人はそうは思っていなかった)されるまでを実に克明に綴っています。よくもここまで覚えているものだ、と思うほどです。

 

もう、読んで頂くのが間違いないのですが(とはいえ、残念んがら手に入り辛くなてしまってるみたいです)、ただただ、横井さんの、孤独に耐える強靭な精神力と、生きる為の工夫と根気、チャレンジ精神、そして手先の器用さには、驚愕します。

元々、横井さんは職業軍人ではありません。徴兵されて戦争に駆りだされた、町のいち洋服屋さんです。

日本軍のずさんな指揮、無謀な計画、そして、ただでさえ少ない軍備に、本土からの補給も一切無い中、絶望の中で命を落としていった、兵隊さんたち。

「こんなことでは、到底勝ち目が無いことは、誰の目にも明らかだった」、とあります。

その行き当たりばったりの対応には、「日本の頭が遅れていたのか、それとも、敵をなめているのか、そのどちらかとしか思えなかった。」とも書いています(藁人形を作って畑に並べ、「沢山の兵隊にみせかけて威嚇する」とかね。勿論、米軍は見向きもしなかったそうです)。

当時の軍人は、皆洗脳されていて、日本は神の国だ!と、半ば妄信的に戦ったようによく言われますが、横井さんは、グアムに向かうすし詰めの船の中で「日本は神国だというが、日本だけが神国じゃない。あちらさんにだって、ちゃんと神さまはいるんだ。神や仏の力で、矢玉を避けることはできない」と思っていたといいます。冷静に、自分たちの、置かれている状況を分析していたのです。

 

のどかな南の島に着いて、しばらくは貝や魚をとったり、初めて見るヤシの実をとったり。誰もいない美しい海辺での監視の合間には、海水浴をしたり(←まさに、僕の滞在したビーチあたりでのこと)。しかし戦いが始まってみれば、圧倒的な力の差。後に「玉砕島」と呼ばれることになったほど、一方的で悲惨なグアム戦線でした。

「地上から眺めていると、アメリカの飛行機は、攻撃をくらうと、墜落する前に乗員が空へ飛び出し、パラシュートで海へ落ちます。すると、すぐに潜水艦が上がってきて、その乗員を助け出すのです。一方、日本の飛行機は落ちたら、落ちたまま。これでは勝てないなぁ、と思いました」とありました。死守せよ、との命令だけはあれど、すでに周りの海はアメリカの潜水艦と艦隊に完全に包囲され、日本の船籍はサイパンなどでやられてしまい、グアムにはまったく来れ無かったのです。本土から飛び立った戦闘機も、硫黄島上空でアメリカ軍に待ち伏せされ、ことごとく打ち落とされ、結局一機もグアムには到達しなかったそうです。対してアメリカの艦隊は、「海が真っ黒になるほどだった」そうですから、勝ち目のあろうはずがありません。

 

戦況悪化に伴い、時には重症を負った仲間に、自ら「許せよ」と言いながら、止む無くとどめをさしてやりながら、突破口を探す横井さんたち。

隣を進んでいた仲間の一人が撃たれた時、「せめて最後に末期の水を取らせてやろうと思ったが、どこにも水が無い。やむなくあきらめようとした時、仲間の一人が『水虫の薬を持っております』と差し出したので、それを水代わりに口に含ませた」、とあります。すると、その「上等兵の腹部が急に身ごもり女のように膨れだし、苦しむふうもなく、そのまま息絶えました」。仲間内の僧侶出身の兵士が、経をあげ、皆で手を合わせたそうです。

やがて、やむなく、敗走。そして、バラバラになってのジャングルでの生活が始まります。詳しくは長くなるので書きませんが、本当に、こんなにも人間はたくましいのか、と思います。ただ、自分が同じ事をできるのか、と言われたら、・・・おそらく無理でしょう。それほど、無理だろうな、と思う記述が、沢山ありました。

ただの、のどかなジャングル暮らしではありません。救出後、よくロビンソン・クルーソーを引き合いに出された、と書かれていますが、「確かに、奇しくも同じ28年。ただ、あちらは無人島での生活。いつ見つかって殺されるかという我々の28年とは違う」と。

最後の最後まで、28年間、「独り言などを言って、それを聞きつけられたら発見されて殺される」と、口をつぐみ続け、「歩いた足跡は常に全て消し」ながら歩き、昼間は見つかるから草むらにじっと隠れ息を潜め、夜になると食料を求め歩き回り、湯を沸かし、調理をしていたそうです。

ヤシやカエデ、パンの木の実を主食とし、時には、野生の鶏、牛、豚なども捕まえて食べていたようです。ただ、ちょっとでも昼間に置いておくと、あっという間にハエが真っ黒になるほどたかり、10分でウジがわくのだそうです。

それから、カワズ(カエル)はほとんど主食のごとく食べていたようで、他にも、川エビ、うなぎ、でんでん虫、鼠、猫なども食べたという記述がありました。食べられなくなったら、それは死ぬ時だ、と。

しかも、これらを食べるにあたって、火は通すけれど(時には生で)、調味料は一切なしだったようです。「せめてひとつまみの塩があったらなぁ、と」思ったそうですが、「動物は塩がなくとも食べて生きているのだから」と、動物になりきることで、しのいでいたそうです。次第に「動物化が進み」、聴覚と嗅覚が鋭くなったそうです。

とにかく、想像を絶するサバイバル生活の記録でした。

発見されてからも「いよいよ殺されるのか」と思い続け、「病院でレントゲンの機械に入れられたときは『これは首切り器に違いない』と、それまでで一番恐ろしい思いがしました」とあります。・・・これね、全然笑えないんですよ、ずっと読んでると。そのくらい、緊張感を強いられた28年間の逃亡生活だったのです。

ただ、言われているように、ずっと一人だったわけではありませんでした。最後の8年間は一人でしたが、そこまでの十数年はほかに二人の仲間と暮らしていました。ただ、それもね、仲間うちで上手くいかなくなったりする記述があるんですけれど、これがまた、切ないんですよ。「私が一人で食料を取りに行っている間に、二人はいなくなっていた」、みたいなね。最終的には、その二人は亡くなって、横井さんが骨を持ち帰るんですけれども。

時折、山に登ってあたりを見回すと、民家の光とか、電柱とか、空を行く飛行機が見えたそうです。つまり、ちょっと外に出れば、普通の生活があるのは、分かっていた。ただ、それは「敵のもの」だから、「見つかれば殺される」というもので、「いつか日本軍が迎えに来てくれる。そうすれば、捕虜にならずに、祖国に帰れるのだ」と信じ続け、それらの灯りには、一切背をそむけ続けた生活だったそうです。

 

「あ、家の光だ!誰かいるね!わーい、助かったー。助けてー!」

 

なんて事は、一切無かったわけです。光と見れば、息を殺して、地に伏せ続けたのです。

 

帰国されたときの横井さんの「恥ずかしながら、生き永らえて、帰ってまいりました」 というセリフは有名ですよね(こちらの肉声インタビューにもあります。下のコメントも併せて読んで頂けたら、と思います。)。

 

先日、ネットで横井さん関係の映像などを見ておりましたら、なにやらのバラエティー番組で、横井さんのことを紹介している映像がありました。

そして、「恥ずかしながら、生きて帰ってまいりました」という、横井さんの言葉を受けて、画面上の小窓の中に映されていた金髪の女性タレント(『おバ○キャラ』とか言われてる人かな、と思います、・・・多分)が、

 

「えー、なんでこの人、恥ずかしいのー!?わっかんなーい!」、と言いました。

 

・・・正直、戸惑い、そして怒りを通り越して、泣きたくなりましたよ。バ○を装うのは結構ですが、公共のテレビに出て喋るなら、もうちょっと勉強してください。あるいは、軽々しく、そんなこと言わないで下さい(年配のタレントさんも映りましたが、ただ黙って見ていました)。ましてや、そんなコメント、流さないで下さい、テレビ局も、と。少しも面白くありません。

「私が守った日本は無かった」と言ったのは、横井さんでしたか、小野田さんでしたか・・・。

そして、本の最後で横井さんは「全世界の恒久平和を切に望みます」と締めくくっています。 戦争は絶対に止めるべきだ、と。

 

 

グアムで、横井さんは、とても有名な英雄なのだそうです。

なぜか。

 

「遠く祖国を離れ、一人ぼっちになっても、ずっとずっと、祖国を思い続けた人だから」

なのだそうです。彼らは、横井さんの愛国心に打たれて、「ヨコイこそ真の英雄である」、と心から称えているのだそうです。嬉しいような、皮肉なことのような。

 

ちょっと横井さんからは離れますが、

 

グアムの空港に、若者の写真が沢山飾られていました。

なんだろう、と思って見てみると、

 

「THE FALLEN BRAVE OF MICRONESIA」

とありました。「ミクロネシアの勇敢な勇者たち」、とでも訳せましょうか。ただし、「FALLEN」とあります。そう、彼らは、グアムを含むミクロネシアから、イラク戦争に行って、亡くなった方々なのだそうです。

グアムでは、こうして「国の為に」、と戦いに赴き、そして死んで行った彼らの「英雄」たちの写真を空港に飾り、その功績を称えているのですね。

 

彼らにとって、戦争は、今も、現在進行形なのです。

 

 

 

帰りの飛行機の中から見えた、硫黄島です。光の中の、ひょうたん型の島が、そうです。ここでも、双方合わせて3万人近い人が亡くなりました。そして、いまだに、全ての遺骨の回収は済んでおりません。笑顔で別れたまま、何十年も行方が知れないままの家族、愛しい人。「死んだのです」と言われたからと言って・・・、家族の思いや、いかばかり、ですよね。横井さんのお母さんも、庄一さんの墓が立っても、「こんなはずはない。庄一はきっと生きている!」といい続けたそうです。

 

戦争が終わっていない人は、日本にもまだまだ沢山、いるのです。

 

横井さんは、発見された後、観光地化され、若者やカップル、家族連れで賑わうグアムを見て、とても驚いたそうです。「よもや、こんなことになっていようとは」と。グアムは第二次世界大戦中の戦いの中でも、最も多くの爆弾が落とされた島だったのだそうです。横井さんは、「もうこのまま、島ごと粉々になって海中に沈むのではないか、と思った」と残しています。

 

4回もグアムを訪れて、いつもただただ、のんきに楽しく過ごしていた僕は・・・、この本を読んで、非常にやりきれない、もっと言えば、申し訳ない気持ちになりました。知らないということは、ある意味幸せでもあるとは思うんですが、それは、やはり怖いことだ、と改めて思いました。こういう人の言葉を、記録を、消してはいけない、無駄にしてはいけない、伝えていかなければ、と。

 

次にグアムに行くチャンスがありましたら、タロフォフォの滝には、何を差し置いても行ってみたいと思います。・・・いや、ケーブに行くために、横井さんの見た景色を少しでも見るために、僕はまた絶対にグアムに行きたいと思います。

 

では。

 

---追記。---

 

当たり前ですが、Wikipediaに「横井庄一」さんの項があります。僕も、本を読む前にこれを読みました。

ちょっと今改めて見て、気になる点があったので補足しておきたいと思います。

 

まず、「ポツダム宣言による日本の無条件降伏を知らなかった」とありますが、これは米軍が作ったビラ(潜伏している敵に対して、空から撒くもので、本当に「お知らせ」のものもあるし、また、相手を霍乱させる嘘のものもある。戦時ではよく行われる作戦の一つ。この場合は前者だった)で、仲間とそれを見、知ってはいたが「こんなのは嘘だ。そもそも、ポツダムってどこだ?」という程度であり、信じていなかったのです。

また、横井さんらは、何度も拡声器による「戦争は終わりました。日本は負けたのです。だいじょうぶですから、安心して出てきてください!」との元・日本人兵士による呼びかけも耳にしています。ただ、その姿を草むらの中から見ると、後ろにアメリカの軍人がいて、また、アメリカ国旗がはためいており、「あいつはアメリカの手先になっている。これは罠に違いない。」と思い込んでいたということです。

また、横井さんは「自分たちの上官である将校が呼びかけてくれていたら、信じて出て行っていたかもしれない。そしたら、仲間をもっともっと、救えたはず」と書いています。上官たちの中には、責任をとって潔く自ら命を絶った人も多かったようですが、中には早々に投降(降参)し、日本に帰って、商売をして金持ちになっていたというような人もおり、「自分は命令だけ下しておいて・・・」と、幼稚な軍部の伝達システム、そしてその軍部そのものの無責任さを思い、口惜しく思った、という内容の記述もありました。

 

それと、発見についてですが、Wikiには「川でエビを採っていたところ現地の猟師に発見され」とありますが、これはどうも違っているようです。

現地人の山狩りは依然続いており、ただ、山へ入る際には仲間への合図か、鉄砲を一発「ドーン」とならし、また「ホイホイ」という掛け声とともに山を歩き、そして暗くなる前には帰る、というのがそれまでのパターンだったのだそうなのです。ですから、それがわかってしまえば、横井さんとしては、それをやり過ごすことはできていた。ただ・・・。

その日も、横井さんは人の気配を感じていたので警戒していました。ちゃんと警戒しつつ、身を潜め、大丈夫だろうと踏んで、静かに身の丈ほどの草むらを進んでいたのですが、その草むらから草原に出たところで、なんと、この現地人とばったりと鉢合わせしてしまったのです。それまでに例の無かったことだったようです。そしてそれは、猟師ではなく、軍人でした。

横井さんは「あ!」と思って左右を見ると、そこには6~7人の現地人がいて、すでに取り囲まれた状態だったそうです。そこで、どうしたか。なんと、横井さんは、目の前の軍人の銃を奪いに無我夢中でエイ!と飛びかったのだそうです。しかし、食うや食わずの衰弱した小柄の横井さんと大きな現地人では力の差は歴然で、すぐにねじ伏せられてしまったのだそうです。

ただ、この後、現地人は「ニホンヘイカ?」と優しく尋ね、それはそれは大層丁寧に横井さんを気遣い、大切に扱ってくれたそうです。ただ、横井さんは動転していて、「良く覚えていない、ただ、おしまいだ、殺される、と思っていた」そうですが。

つまり、すでに何かをあきらめて、生活のルーティーンワークとして暢気に川でエビを採っていたのではなく、最後の最後まで警戒を怠らず、ぴりぴりした状態の中での発見だったことをお分かりいただきたいのです。

 

それから日本に帰ってきて必ず質問されたことは「性欲はどうでしたか」ということだったそうです。それに関して横井さんは、「敵の目を逃れて生きることだけで精一杯、性欲というのは第二のものです。それだけのエネルギーの補給も、心の余裕も与えられていないところでは、必要のないものでした。普通の生活人がそれを疑問に思うのは自然だと思います。つまり我々は、その(人としての)自然な状態にすらなかった、ということです」と書かれています。

そして、「結局、私にとって一番欲しかったものは、もう少し簡単にできる火起こし方と保存法、それと薬草を判断し得る知識でした」と書かれています。

本の中では、火をどれだけ大切にしていたか、その保存に苦労したかが、何度も何度も書かれています。火が起こせないということは、死を意味することも。また、逆に火事にも遭って、一切の道具、衣服を失ってもいます(・・・また全部自分でこしらえてしまうんですけどね。糸から作って、何年もかけて。これがまた凄いのです)。

今は、・・・マッチなど、言えば大抵タダでもらえます。いたるところで100円でライターが売られ、家でもコンロを捻れば24時間365日火がつく生活をしている僕たちとは、この「火」というものを見る目、そしてそれを思う心は、相当に違うことでしょう。

「人類は火を手にしたときから進化した」、などとよく言われますが、本当なんだということがわかりました。

いやはや、すごいです、本当に。ただただ、感服いたしました。敬礼。

では。



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SHE'S OUT OF MY LILE」(あの娘が消えた)

79年、まだ若いころのマイケルが、失ってしまった恋を歌った名バラードです。

あまりの失意から、マイケルは曲の最後の部分の「彼女は、僕の人生からいなくなってしまった」のところに差し掛かると、どうしても泣いてしまって、レコーディングが終わらなかったといいます。何度歌いなおしても、いつも同じ場所で泣いてしまうので、結局そのままのかたちで今も残されています。

 

今日、歌手の川村カオリさんが、永眠されました。

僕は、直接面識があったわけではないんです。でも、彼女と交流の深かった原田喧太くんや、初期のライブメンバーでもあり、生前最後のライブでもベースを弾いていた満園庄太郎くんらから、ライブや普段の様子などを聞いていました。「すごいんだよ、カオリ、すっげー頑張ってるんだよ」って。

最後のライブでは、椅子から立ちあがれなくても、一生懸命歌ったと聞きました。

 

あなたは僕のことは知らなかったと思うけれど、

苗字が一緒で、イニシャルも「K.K.」で一緒で、歳も近くて、そして、キレイで、かっこよくて。

だから僕は、貴方が「川村かおり」としてデビューした時から、あなたのことを知っていました。

 

とても残念です。

 

川村さん、お疲れ様でした。安らかにお眠り下さいね。

素晴らしい歌を、ありがとう。

いずれ、また。

 

では。



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なんだか、グアムでは順調にコミュニケーションを取っていたように思われるかもしれませんが、あちらからのブログでも書きましたように、やっぱり言葉が通じなくて座礁する事が当然あるわけです

正直、旅行客相手に仕事をしてる人には、いくぶん通じやすいと思います。あちらが、「汲んで」くれますから。逆に、日本人慣れしていない人との会話ですと、あちらは、汲んでもくれませんし、「こちらが何が分からないか、分からない、想像もつかない」ことがあるわけです

日本語でも、例えば、どこか地方の山あいの村に生まれ住んで、一度も外国に足を運んだ事もなければ、そもそもじかに外国人を見たことも無いおばあちゃんがいたとして、そのおばあちゃんとたいして日本語が上手じゃないアメリカ人がいきなり会話するようなものです。「ああん、あんだってぇー?」(←志村○ンさん風(笑))な感じですよね。歩み寄り方が、わからないわけですよ。でもそれは、仕方ないわけで。どちらが良いとか、悪いでもありません。だからこそ、コミュニケーションが成立した時が面白いわけです

 

滞在したホテルには、ジャグジーがありました。海やプールで少し冷えた体を、温めるのにもってこい。ちょっと贅沢気分も味わえますしね。

ある日の夕方、ジャグジーに一人で入っていますと、褐色の肌をしたカップルが、入り口の方からちらっとこちらを伺ったのが見えました。そんなに大きいわけではないですから、混んでしまう事もありますが、せっかくのジャグジー、出来たら自分たちだけでゆっくり入りたい、と思っていたのかもしれません。

でも、僕も入ったばかり。手を広げ「よかったらどうぞ」という意味で微笑みかけますと、ちゃんと伝わったらしく、ちょっと二人で会話したあとキャッキャと入ってきました。「どうする?入る?」「いいんじゃない?大丈夫そうだよ」みたいな感じでしょうか。わかんないですけど(笑)。

「ハイ!」「ハイ!」お約束のご挨拶をして、ご一緒することになりました。

 

ほどなく、女性の方が

「どこから来たの?」

「日本だよ」

「そうなんだ、東京?いつから居るの?いつ帰るの?」

「えっとねー」

みたいな、他愛のない会話をして、ひと和み。楽しいひとときであります。

彼らは地元の人で、恋人同士で、彼氏はスーパーのガードマンをしているとこととか、僕は日本では東京で生まれたけど、今は隣の神奈川ケンっていうところに住んでて、自然が多くていいところだよーとか、そんな感じで、しばし「順調に」会話は進みました。

そして、ココからが問題でした。

 

やおら、

「Hey, Do you have many フォー in Japan now?」

こんなことを訊かれました。

 

「あなたは日本に今、沢山のフォーを持っていますか」

直訳すれば、こうですね。

 

「・・・ス、ォー ?」

「イエース、Hey, Do you have many ォー in Japan now?」」

同じ事を訊いて来ます。

 

・・・おいおいー、「ォー」ってなんじゃらほいー

 

「ア、アー、ウェール、ソー、えーっとー、What is ォー?」(ォって何?

 

それでも彼女は

ー!!ォー!!」

と、僕の顔を見て、繰り返します。・・・ほんとにわかんない、聞けば聞くほどわかんない(笑)。

 

ォー、ォー、ォー

 

ワイン?違うな。ワイ、ワイ、・・・あ、ワイフか?奥さんがいるかって、訊いてるのか?ちょっとイントネーションが違うんだな、彼らは、現地の人だしな。

・・・思考が、自分勝手になりました(笑)。でも、とりあえず、あてずっぽうでも、当たるかも。で、

「ノーノーノー!I don't have ワイフ in Japan. I am single!」(僕は日本に奥さんいないよ。独身だよ!)

 

「・・・(彼女、怪訝な顔(笑))」

 

そして、「NO、I heard the news you Japanese have many ォー in Japan now !」(違うわよ、私、ニュースで貴方たち日本人には沢山のォーがいるって訊いたもの

 

あ、なにか制度のことかしらん。でも、なんだろ。とにかく、説明してみよう。

 

「いやー、そんなことないよー、そっかー、それは勘違いだなー。僕たち日本人は一夫一妻制だよ。奥さん、何人も居る人はいないよ。一人に、一人だけね、アフリカとかじゃ一夫多妻制のとこもあるよね。でも、日本は違うんだよ。一人だけ。ジャスト、ワン、ワイフ.

 

「ノーノーノー!ノット、ワイフ!ォー!!ォー!!!

 

ちなみにですね、欧米人は「ゆっくり喋る」ってことをほとんどしません。特に英語はリズムの言語ですから、「え?ゴメン!わかんない!もう一回言って!」とお願いしても、スピードが変わらないんです。日本人なら、ゆっくり言うでしょ?でも、あちらの人は、スピードは変わらず、「ただ声が大きくなるだけ」なんです(笑)。いや、全員だとは言いませんが(笑)。

とにかく、わかんない。ォー疑惑。

「えっと、ゴメーン、わかんないやーォーって何だろう?辞書でもあればいいんだけどさ、今持ってないし・・・。なんに関係する言葉?

 

すると物凄いは早口で説明してくれたんですが、その中に「desease」「sickness」という言葉が聞こえてきました。

うーむ、奥さんと病気?いや、まてよ、奥さんからは離れよう(←ちょっと酔ってる(笑))。で、えーと。

すると、

「貴方はォーのためにグアムに来たの?

 

と言います。僕は考えました。何かの病気なのか。

あ、そうだ、昔、ハワイとかに病気の治療のために滞在する人たちがいるって聞いた。気候がいいしね。あれか。うん、きっとそうだ。グアムにもそういう目的で滞在する人がいるんだ。きっと彼女は、僕がそういう目的で来ているんだと思ったんだ。

 

で、「いやー、僕は健康だよ。あ、そうそう、日本にはね、温泉ってのがあってね、日本人は外国に行かなくても、温泉に病気を治しにいくことがあるよ。湯治って言ってね、日本にはとっても沢山の温泉があってね、あ、分かる?温泉。ホットスプリングね、あ、そう、わかる。良かったー。で、それで病気を治すってのが、とってもポピュラーなんだよ。お年寄りが行くんだよー。でも、僕は大丈夫、健康、イエー。」

 

「・・・(彼女、そして彼氏も怪訝な顔)」

 

 

反応が恐ろしく薄い。

・・・なんとなく変だと思ったんです、僕も。彼女たちが、ちょっとよそよそしい(笑)。

 

なので、「明日は晴れるかな?」とか「LONE STARでステーキ食べたよ」とか、関係の無い話をして、あ、これは成立しました。ちゃんと。「LONE STARはいいよ!美味しかったでしょ!?」とかね。で、「じゃ、またねー。楽しい会話をありがとう!」と、一足先にジャグジーを後にしました。

 

「スォー」の疑惑はそのまま残して。

 

部屋に帰って、思い当たる限りのスペリングで単語を調べても、辞書でもヒットしませんでした。

 

そして、翌日。

 

英語と日本語の話せる人に、「ォーって何ですか?」と訊きますと、

 

「スワインフル?あぁ、豚インフルエンザ、ですよ」

 

と。

 

swine influenza スワイン「豚」 インフルエンザ。

略して、

swine flu ォー

 

 

・・・しまったー(←僕(笑))。

 

ではー。



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ステーキを食べにいった時の話です

お店に電話して迎えを頼むと「では21時15分にロビーで」とのことでした。僕が時間より少し位早くにロビーに下りると、すでに彼はそこにいて、目が合った瞬間に「ヘイ!ミスターカワムラ?」と、チャーミングな微笑みで迎えてくれました。ちょっとだけ、オバマ大統領に似ていました。

「あー、ごめんねー。待たせちゃった?」と言うと、「ノーノー!大丈夫!僕が早く着いただけだよ」と。そして、「わお、君のパンツ、ナイスだね(Your jeans are so nice! I like them!)」と、僕のフレアのジーンズを指差してウインクしたんです。

うーん、確かにね、グアムは南国ですからね、フレアのジーンズなんて履いてる人は居なかったです。でも、僕の持ってるの、こんなんばっかりだから(笑)。

 

クルマは8人乗りの大きめのバンだったんですけど、乗っているのは僕だけでした。ですから、お店に着くまでに、「グアムは何回目?」「四回目ー」とか「日本では何してるの?」「ミュージシャンなんだー」とか、そんなことをつらつらと話をしているうちに、ほどなくお店に

「着いたよ」「おー、ここかー。ドライブ、ありがとね。」「ノーノーノー!食事、楽しんでね」。

にこやかな彼にドアを開けてもらって、僕はクルマを下りて、ほんとに、楽しく・・・よく食べたわけです(笑)。

 

そして、帰りのことです。ちょっと遅い時間になりました。お店ももう、閉める準備をしていました。日本と比べると、結構レストランが閉まるのは早いのです。

お会計を済ませ、送迎つきということで、キャッシャーの人に「あのー、帰りもホテルまで送ってもらえますか?」と訊くと、「勿論ですよ」と、レジの横のテーブル慌しくハンバーガーを食べている若者に、何やら早口で話しかけました。

彼はナプキンで口元を拭いながら顔を上げ、僕と目が合うと、「ヘイ、君かー!帰るの?オッケー、じゃ、すぐ送るよ!」と席から立ち上がろうとしました。そう、迎えにきてくれた、あの彼だったんです。また会えた

でも彼は、まだ食事中。おそらく仕事の合間に、慌しくハンバーガーを詰め込んでいたところだったのです。僕は慌てて、「ノーノーノー!食べて!ゆっくり食べて!食べ終わってからでいいから!全然、待つから!」と、手で彼を制しました

ちらっと見ると、まだハンバーガーは二口程度しか食べていません。週末でしたし、お店も随分賑わっていましたから忙しくて、きっと今やっとまかないにありつけたところだったんでしょう。お腹が減っているとことに来て、やっと食べ始めたと思ったら、それを一口、二口でやめるなんて・・・僕には・・・とても(笑)。だから、「とにかく君が食べ終わるまで待つよ。全然、急いでないから。ね、食べて!お願い!」と何度も言ったのに、彼は「いいんだ、いいんだ。もう十分食べたから、お腹一杯なんだ。」と言うのです。

・・・そんなわけ、あるかい。あんなにがっついて食べ始めてていたのに。

でも、「そう言ってくれてありがとね。よし、行こう、行こう!」と、食べかけのハンバーガーにナプキンを掛け、席を立ちました。

ホテルまで、往復したら25~30分はかかります。せっかくのハンバーガー、冷めちゃうのに・・・

 

彼に促されるようにクルマに乗ろうとしたときに、彼は僕が裸で持っていたドギーバッグ(doggy-bag、持ち帰り用の容器)に目をやりました(・・・そう、実はさすがに全部は食べ切れなくて、少し持ち帰ることにしていたんです。皆さんの期待を裏切ってすみません(笑))。そして、「アレ、袋は?」と言うので、「あー、大丈夫だよ。まっすぐ持ってるから。サンキュー」というと、「・・・ちょっと待って」と、クルマを離れお店に戻ると、わざわざ僕のためにビニール袋を持ってきてくれたんです。なんて優しい青年なんでしょう

すると、やおらお店の人がクルマに駆け寄ってきて、何やら彼に。すると彼は僕に「ゴメン、ちょっと待ってね」というと、外に回ってクルマのドアを開けました。ほどなく、6人ほどの日本人観光客がクルマに乗り込んできました。年のころ、45~55歳位の男女のグループでした。

おそらく、食事の後、自分たちで送りを頼めずにお店から出てしまい、しばし途方に暮れていたようです。会計をしたからと言って、あちらから「あ、もしかしてホテルにお帰りですか?では、お送りします」とか、さすがにそこまではないですからね。現地のお客さんも沢山いるわけですし。帰りたかったら自分で、「ホテルに帰りたいから、送りお願いします」と言えばいいんですね。

でも、彼らは少し外で「どうなってんだ?」的なことを言っていたようなんです。で、誰かがようやくお店の人に訊いたら、「今、ちょうど送りのクルマが出るとこですから」という事になったんだと思います。まぁ、推測も入っていますが。

 

彼らはクルマに乗り込むと、「あーあ」とか、「ふー」とか言って、ドッカと、僕の後ろのシートに腰を下ろしました(僕は運転席のすぐ後ろに座ってました)。

「オマタセシマシタ。ミナサン、イイですか?デハ、シュッパツします」と彼は日本語で言い、僕は小さく「OK、サンキュー」と言いました。後ろは無言。彼はクルマを出しました。そして走リ出してすぐに、後ろからコソコソと、でも大して遠慮した風でもない音量の声がしました。

「・・・ねえ、アイツ、迎えに来たヤツだよね」(←女!)

「あー、・・・たぶんそうじゃねえか?よく覚えてねぇけど」(←男)

「ったくさ、遅いよね」

「ああ」

 

 

「(・・・・・・)」(僕、そして、彼)

車内、無言のまま10分ほど走って、グループのホテルに着きました。ロビー前にクルマを停めると、彼は急いで運転席から下り、回って外からドアを開け、「トウチャクです。オマタセシしました」。グループは、ゾロゾロとクルマを下り、そのままホテルに入っていきました。

 

「(・・・サンキューとか、ないの?)」

僕は、顔から火が出るほど恥ずかしかったです

 

クルマに戻った彼は、「よーし!行こう!君のホテルは○○○だよね!」と、突然笑顔になって、僕も、「ゴメンねー!食べてたのにー」(←そればっかし(笑))。車内のムードがガラっと変わったのがわかってね、なんか、なんともいえない気分でした。いや、和んだことは、とっても嬉しかったすけどね。

彼が今22歳で、他にもアルバイトをして稼いでいて、バイクが好きで、日本製のスズキのバイクが欲しいと思ってること。そして、日本語の勉強をしていて、いつか日本で働いてみたいと思ってる事。そして、僕のことを25歳位だと思ってた、ということ(・・・本当に驚いたみたいで、信号待ちででまじまじと僕を振り返って、見ては「Really!?」と何度も(笑))。

「また、グアムに来て、お店に来てよ」と言うので、「うん、絶対に来る。じゃその時も、君が送ってね!」というと「勿論!」と言って笑ってくれました。

 

ホテルに着きました。

「君の名前は?」「ケン。君は?」「僕は」

すると彼は、いきなりシャツを捲くり、背中を出しました。それがトップの写真です。

そして、この姿勢のまま「クリストファー!」と言ったんです。

 

そうか、クリストファーね!覚えたよ

 

・・・んー、でも、よく見ると、

 

・・・クリストフ「ア」。

 

「ア」が大きいのと、棒が一本足りないかなーなんてことは、もちろん言いませんでしたよ(笑)。

 

背中に日本語(カタカナは日本独自の文字です)で刺青。こんなに日本を愛してくれている彼が、よもや、

 

「アイツ」「ヤツ」とかいう言葉が分からないとは、とても思えません。

 

なんで、あんなに上から目線で、横柄なんでしょう。恥ずかしいこと、この上ありません。せめて、絶対にああいう人間にならないように、反面教師に。

 

ドアを開けてくれたクリスに(あちらでは、ドアは内側からは開かないようになってることが多いです)、「サンキュー!」そして、「ほんっと食べてるとこ、ごめんね。お店に帰ったら、ハンバーガーゆっくり食べてね!」と言うと、「分かった!食べるよ!」って、なんか、すっごく笑ってました(笑)。

そして、クリスはクルマに乗り込み、運転席の窓を開けると「ヘイ、ケン!」と呼ぶので、「なんだい?」と言うと

「・・・君のそのジーンズ、マジで好きだよ(I really like your jeans!)!」と、もう一度ぼくのパンツを指差して言うと、ゆっくりと走り去って行きました。

 

え、チップ?そうですよね、食事を中断させてまで送ってもらったんですものね。ビニール袋も持ってきてもらっちゃったしね。楽しい会話もしてもらったしね。

 

うん、ちゃんとね、彼にわからないように、彼のハンバーガーのプレートに、1ドル挟んで置いて来ましたよ。お店の人には「これ、彼へのチップだからね」って、言って。 

 

クリス、驚いたかな。

 

なんか、ちょっとかっこいいことした気分・・・

 

なーんてね(笑)。たった1ドルじゃ、大してかっこよくないね(笑)。

でも、気持ちってことで

 

ではー。



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MTVをつけると、マイケル・ジャクソンの追悼番組がやっていました。

 

ついつい、観てしまうわけですが、どうしても、・・・涙が。どうしても、信じられない。信じたくない。

 

もう、何度でも言いますが、僕たちは、世界は、本当に素晴らしいアーティストを失いました。

まがりなりにも音楽に関わった仕事をしている僕が、こんなことを言ってはアレなんですが、

マイケルのライブ映像などの合間のCMで流される、今売り出し中の日本のアーティストさんの映像などを見て、

 

・・・いや、やっぱり、やめておこうかな。

 

ただただ、もう、なんとも、やりきれない気持ちになってしまうんです。

 

マイケル・ジャクソンというアーティストを失ったことは、もしかしたら、

 

・・・国が一つ消失してしまった、くらいのインパクトがある出来事だったんじゃないかと思えてしまうんです。

 

亡くなったことで、ここまで唐突に世界的評価が高まった(再評価された)ことは、なんだか皮肉で、悲しい事でもあるのですが、理由はあるわけです。単なるノスタルジアなどではなく、彼のパフォーマンスは本物。本当に、凄「すぎ」ます。歌の音程、完璧なリズム、誰にも真似できないダンス、そして、彼のフォギュアの美しさ。見れば、聴けば、一目瞭然の、色褪せない、魔法のようなマイケルの魅力。今まで彼に触れたことがなかった人たち、この死の報道をきっかけに新たに彼を知った人たちが、20年も30年も前のCDを手に入れようとショップに走ったことは、少しも理解に難くありません。

 

 

グアムでのある日の朝食時、レストランにマイケルの曲がずっと流されていました。有線でしたか、ラジオでしたか。なんかね、「ヒール・ザ・ワールド」「ユーアー・ノット・アローン」・・・日本で聴きなれていた曲たちが、こうして異国でも当たり前のように流されていることを感じて、勿論、これは世界中で今、こういうことなんだろうな、って思って、胸が熱くなりました(人種や言語の違いが大きいかとは思いますが、・・・アジア、これは日本も含めてです、は・・・もしかしたら、世界的に見たら、彼の死に対してのレスポンスが薄い方かもしれないな、とも思いました)。

しばらくじっと聴いていますと、スリラーがかかりました。そして、曲が間奏まで差し掛かった時です。

 

普通に、僕たちのケアをしてくいれていたウェイターの一人が、あのマイケルのダンスを踊り始めたんです。トレイを持ったままね。

といっても、そんなに大げさなものではなく、他のお客さんに気付かれるか、気付かれないか程度の、軽くステップを踏んだ、真似した、程度ものでしたが、僕にはすぐにそれと分かりました。

すると、同僚の女性のウェイトレスが

「イエイ、ゴー、マイケル!」

って、小さな声で笑って彼をはやしたんです。

 

なんかね、銀のお盆を持って、仕事中のレストランで踊った(ムーンウィークまでしてみせた)褐色の肌の彼を見てね、

 

ちょっと涙が出ました。

 

後から彼の名札を見たら、そこには「Micheal」とありました。

 

 

世界中が一人のアーティストの死を、こんなにも悲しむなんて。

 

一人のアーティストの死が、こんなにも世界中の人にインパクトを与えるなんて。

 

先ほど、国がひとつ消えた、と書きましたが、

 

訂正します。

 

 

星が、

 

一つ、

 

消えたんです。

 

 

グアムでも、彼のTシャツが、売り場の一番目立つところに置かれていたりしていました。

 

改めて、合掌。そして、偉大な彼に、Thank you, そして、R.I.P.

 

では。

 

 

---追記。---

 

マイケルは、かの喜劇王チャールズ・チャップリンが大好きで、そして彼が作曲した「Smile(スマイル)」が大好きだったそうです。

映画「モダン・タイムス」の為に作られた曲ですが、このとても美しく、どこか懐かしいメロディーには、曲名は知らなくとも、「ああ」と、聞き覚えのある方も多いかと思います(つい最近、日本でもNHKスペシャル「マネー資本主義」シリーズのテーマソングになっていました)。

チャップリンの映画の映像をバックに、マイケルの美しい歌声を聴いていたら、また涙がとまらなくなりました(こちら)。なんという歌唱でしょう。彼のいち歌手としての実力の高さを、改めてまざまざと思い知らされる素晴らしいトラックではないでしょうか。

 

去る7月9日に、ロサンゼルスのステイプル・センターでとり行われたマイケルの追悼式では、兄のジャーメイン・ジャクソンが、涙をこらえながら亡き弟マイケルにこの曲を捧げていました(こちら)。震える声と、右手にはめられた「あの」グローブ、そして、映し出される家族の肖像が、涙をそそります。

 

92年に、勿論世界規模で行われた”デンジャラス・ツアー”では、マイケルはその収益の全てを、貧しい国の子どもたちの為に寄付し、また、ツアー中、忙しいスケジュールの合間を縫って、各国の病院や孤児院などを慰問していたといいます。

いくつかは報道などでもご存知かもしれませんが、その莫大な財産ゆえ、また、大成功をした彼を妬む(黒人ゆえの)偏見からか、マイケルは生前、なんと2000件ともいわれる訴訟を抱え、500回以上、裁判所の証言台に立たされていました。

考えてもみてください。毎日のように弁護士から「あなたは、また訴えられました」そして何度も何度も「裁判所へ出頭してください」という電話も受けなくてはならないのです。その全てが、はたして正しい(・・・というか、根拠のある)訴訟だったのでしょうか。想像の域はでませんが・・・、彼は、そんなにも人から訴えられるような悪い人間だったのでしょうか。そんな人間に、あんな歌が歌えるでしょうか。

心中、察するに余りあります。普通の人間なら、まともな神経を保つことすら難しいでしょう。とても、耐えられようはずがありません。

でも彼は、人前ではいつも笑顔だったように思います。露骨に不機嫌な顔を見せたり、怒ったり、激昂して怒鳴り散らしたり、誰かに暴力を振るったりしたマイケルを見たことは、少なくとも僕はありません(もしそんなものがもしもあれば、繰り返しメディアが流すことでしょう・・・)。

 

ただ、曲の中では彼は、辛らつなメッセージを送り続けていました。そのキャリアの後半では、インタビューも「修正のきかない」生放送のものしか受けませんでした。勿論、それまで何を言っても、ちゃんと正しく書いてもらえなかったからです。ゆえに、彼は大変なマスコミ嫌いでした。

先ほどご紹介した、マイケルの歌う「スマイル」は、95年に発表されたマイケルのベスト盤であります「ヒストリー パスト、プレズント・アンド・フューチャー ブック 1 」の2枚目のラストに収録されています。

実は、この二枚組みとしては歴史的な大ヒットを記録したベストアルバムに収録された曲の多くには、もしかしたら意外と思われるかもしれませんが、マスコミや一部の彼を攻撃した人びとに対する、彼からの強烈な「怒り」のメッセージが込められているんです。機会がありましたら、是非とも歌詞を読んでみていただければと思います。

ただ、実際にマイケルが誰かを訴えた、訴訟を起こした、ということは、ただの一度もありませんでした。2000件も誰かから訴えられていたのに、彼はその生涯で、ただの一度も、誰かを訴えたりしたことはなかったのです。

 

スマイル。

微笑みと、素晴らしい音楽と、いくつかのもどかしい疑問を残して、突然、彼は逝きました。

 

最後に、もう一度この曲を、こちらの映像と共に、ご覧いただければと思います(この映像では、残念ながら途中一箇所、音飛びしてしまっています。それでも、素晴らしい映像だと思いますので、ご紹介させていただくことにしました)。

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~Smile~

Smile, though your heart is aching
Smile, even though it's breaking
When there are clouds in the sky
You'll get by...

If you smile
With your fear and sorrow
Smile and maybe tomorrow
You'll find that life is still worthwhile
If you just...

Light up your face with gladness
Hide every trace of sadness
Although a tear may be ever so near
That's the time you must keep on trying
Smile, what's the use of crying
You'll find that life is still worthwhile
If you just...

Smile, though your heart is aching
Smile, even though it's breaking
When there are clouds in the sky
You'll get by...

If you smile
Through your fear and sorrow
Smile and maybe tomorrow
You'll find that life is still worthwhile
If you just smile...

That's the time you must keep on trying
Smile, what's the use of crying
You'll find that life is still worthwhile
If you just smile

さぁ、笑って  たとえ辛い時でも

そう、笑うんだ たとえくじけそうになっても

空を雲がおおっていても 笑顔を忘れずにいれば

きっとどんな困難だって乗り越えられるさ

もしも君が いつでも心に笑顔を忘れずにいれば

将来への不安やつらい事にだって

自分に負けないで ちゃんと立ち向かえるはずさ

そうすれば明日にでも お日さまはニコニコと

君に笑いかけてくれるはずだから

 

いつも喜びに満ちた笑顔で

顔を輝かせているんだ

悲しみの影なんて 人に見せちゃだめだよ

たとえ涙がこぼれそうになっても

そんな時こそ 頑張ってでも笑顔でいるんだ

そう、君は笑顔のほうがずっと素敵さ

泣いたって、何の役にもたたないだろう?

どうかこのことを信じていてほしい

いつも笑顔を忘れずに生きていればこそ

素晴しい出会いや生きがいに

めぐり合えるのだということを・・・

----------------------

 

彼を、心からの笑顔で送れたら、と思います。

 

・・・が、まだ涙がとまりません。

 

では。



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えー、どうも、今日はまず始めに、ちょっと。

今しがた、THE PRODIGAL SONSさんのツアーファイナルにお邪魔してきました

本当に素晴らしいロックンロール・ライヴでした。そして、・・・ステージの上の悪い(笑)アニキたち、凄みは勿論本物のそれなんですが、同時にとっても艶っぽかったです。同じ男なのに、なんだか見とれてしまいましたよ。かっこよかったな・・・。終演後の楽屋にお邪魔すると、お疲れでしょうに、「おー、ケン!入れ入れ!」と快く迎えてくださって。見た目がかっこいいだけじゃなくて、心が優しいんですよ、とっても。最高っす

 

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さて、ではネタにも旬というものもあると思いますので、今夜も行きますよ(笑)。

 

トップの写真は・・・、まぁね、ほら、やっぱりさ(笑)。って、財布の中身を旅行モードに整理して行ったたんですが、でもこれはわざわざ入れて行ったのか!というね。だって、こういう写真が撮りたかったんです(笑)。

 

プールで夕日が沈むのを見届けた後、クルマで15分ほどの、ローカルの人が行くというステーキハウスまで足を伸ばしてみました。電話するとホテルまでクルマで来てくれてね、一人からでも送迎してくれるんですよ。でも、なぜか席の予約はできないんです。「とにかく来るだけはこい」というね。ちょっと不思議でしょ(笑)。

 

 

ホテル街からは少しですが離れていますので、メニューは、「ちゃんと」英語です(笑)。目当ては、T-Bone20oz.

 

 

でもその前に、アペタイザーとして、ブルーミングオニオンとフライドマッシュルームを。本当に花が咲いた(ブルーミングした)ような、丸ごと玉ねぎのフライです。マッシュルームも、一個ずつ丸ごと入ってまして、とってもジューシーなんですよ。ただ、多いです、まじで(笑)。

 

 

サラダは、こんなのを頼んでみました。ざっくりとカットしただけの、よーく冷えたレタスに、ブルーチーズとトマトを添えて、シーザードレッシングでいただきます。ナイフでカットしながら食べるんですが、どんどんレタスが広がるので、これまた、恐ろしく、多かったです(笑)。

 

で、こういったものが出て来ます。20oz(オンス)は・・・約600g。アメリカ人は、大きくなるわけです。ま、頼む僕も僕ですけれども。

 

でも、真剣に、

 

美味しかったです

 

ちなみに昼間の海では、こういうものを食べます。一応、現地のチャモロ料理(のはず)ですが、普通に美味しくいただけます。ちなみに、このカレーはね、もしかしたら日本のものではないかと(日本文化、ほんとに沢山(笑))。

 

あ、これは間違いなく、チャモロ料理です、特徴はレッドライスというこのご飯です。アチョーテという実で色味を付けた、言ってみればバターライスの仲間です。美味しいですよ。マカロニサラダにチキンやホット春雨、野菜の甘煮なども乗せてもらって、これで7$50でした。ちなみに、こちらはショッピングセンターのフードコートにて。

 

朝からビーフジャーキー。

 

 

昼間もビーフジャーキー。

 

 

夕方にもビーフジャーキー。どんだけだ(笑)。

 

 

これにもビーフが挟んでありますな。で、この横のフラスコみたいのは、

 

こんなんです。気をつけないと、最後のあたりで、ビールがコポンッ、って波打って飛び出してきますよ。僕、やられましたから(笑)。これは、空港で飲めます。普通に「生下さい」って言うと、これで出てきますので、見てると、皆ちょっとビックリしてます(笑)。

 

深夜0時過ぎに、ラーメンを。なんとホテルのロビーでね、24時間食べれるんですよ。匂いに魅かれて、つい(笑)。

しかもこれ、絶品でした。 まじで、お奨めです。

 

 

作ったのは、この彼。元横綱の曙関にちょっと似てたので、ボノくん、と。夜勤みたいで、夜中はいつもいてね、毎晩ちょっと話をしました。着いた最初の夜には「ビールは買えないのか」ということについて。翌日は「インターネット、速度が遅いねぇ」という件について。その翌日は「きみ、ラーメン作りの天才じゃないのか!?このスープはちゃんとしたものだな!?どこで習った!?」という件について。で、このブイ(笑)。

いや、ほんとに美味しかったよ、ボノ。サンキュー。君はいいやつだ(←そこでか(笑))

・・・いえね、「だよねー、ネット遅いよね。でもあのパソコンだけ、やたら遅いんだ。だから、いいよ、まけておく。」って基本料金しか受け取らなかったんです。だから、いいやつ。

 

そして、ホテルからの、

 

夜景です

 

(これ、12時過ぎですが、肉眼ではもう真っ暗なんですよ。でも、一眼の面白いところでね、シャッタースピードを遅く設定することで、こういう風に明るくも撮れるんですよ。)

 

 

 

 

朝は、ビュッフェで。日本で言うバイキングですね。でも、ご存知の方も多いかと思いますが、バイキングって、日本でしか通用しない言葉なんですよね。で、ちょっとこの写真だと飛んでしまってますが、これを食べながら見ていた景色は、

 

こんな感じです。

朝の風が気持ち良かった。コーヒーが、とてつもなく、美味しかった

世の中には、こういう景色を見ながら新聞なんか広げてね、毎日朝ごはんを食べている人だって、いるんでしょうねぇ・・・。世界の見え方が違ってきますよね、きっと。

 

そんな生活は望外だとしても、せめてこうして、たまのたま、・・・くらいには

 

しかし、

 

・・・よく食べました(写真で全部では、もちろん、ない(笑))。

 

餃子は食べ損ねましたけどー(笑)。

 

ではー。 



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海で遊ぶのは楽しいです。

いや、山でもどこでも、きっと「自然と遊ぶ」「自然で遊ぶ」のって、楽しいんじゃないでしょうか。本来的に。僕たちも、動物。自然の生き物なわけですから、やっぱり機械と遊ぶよりも、自然と遊ぶ方が、自然で、きっと楽しい、はず。

・・・そんなことを、ちょっと忘れてしまっていた自分に気付きました。

 

さて、また時間を巻き戻しまして

 

タモンを離れ、バスで15分ほど走ります。遊ぶところへ、行くのです。

ちなみに、目の前の路面電車のようなかたちをしたバスには、「H・I・○」と書いてありますね。そう、日本のあの旅行会社が、グアムに路線バスを走らせているんです。すごくないですか?外国の旅行会社の、路線バスですが、ちゃんと10分~20分おきに走っているんです。停留所も、現地のバスと一緒です。この旅行会社でグアムに来た人は、乗り放題なんですよ。

例えば日本に、中国からの旅行者しか乗れない、中国の旅行会社の名前入りの路線バスが走っていたり・・・なんてことを想像すると、ちょっと不思議な感じがしませんか

 

 

さて、そんなこんなで、ほどなくプライベートビーチに到着です。勿論、ぼくの、ではないですよ(笑)。あたりまえか(笑)。

こういうビーチを持っていて、そこで色んなアクティビティ(マリンスポーツがメインですが、ビーチバレーとか卓球とか、さらには文化的なことも学んだりできます)を提供している現地の会社がいくつかあるんです。一日中遊べるんですよ

 

見上げれば、この空。これでテンションが揚がらないわけはありません

 

 

現地の人です。大きくて、とってもにこやかな人でした。

右奥に見えるのが、バナナボートというもので、モーターボートで引っ張ってもらって、海上を凄い速度で走るのですが、これ、ハンパじゃないですよ(笑)。頭からバンバン水しぶきを浴びて、右へ左へ、上へ下へ。同乗者の方たちと、キャーキャーワーワー言いながら、海へ投げ出されないように必死で手綱を握り締めるので、かなり体力を使います。で、・・・翌日の筋肉痛はお約束します(・・・運動不足の人はね(笑))。お勧めです。・・・写真なんて、撮る余裕はありませんでした(笑)。

 

そして、海へ。グアムのビーチは遠浅なので、どこでもシュノーケリングはできますが、ちゃんとやろうと思うと、ちょっと浅い。そこで、ボートシュノーケリングです。15人乗りくらいの船で、ポイントまで行って、ボチャン。深さは3メートル~10メートルくらいでしょうか。深いところで浮いているだけでも、海の中を飛んでいるような感じがします。

僕は・・・この時はつけていませんが、フィンをつければ、7~8m位は、どうにか潜れるようになりました。いつか、10mくらいを自由に潜れたらなーって思っていますが、息がねー・・・。普段から走りこみでもして肺を鍛えないと、10mは無理かも知れませんなぁ。うぅ。

 

さて、お次は・・・。

 

これ、やばかったです。パラセイリングです。ボートに引っ張られて、簡単に言えば、自分が、凧揚げの凧になるわけですが・・・

 

準備は、簡単なベルトに身体を通すだけ。水着でOKです。促されるままにボートの後ろに座ります。「Are you ready?」と訊かれて、「Yes」と答えた次の瞬間には、ハーネスが、このパラシュートにカチャンとはめられ、・・・と同時に、

 

 

ビューーーーーーン!

 

 

見る見るうちに身体が上空へ舞い上がっていきます

 

 

 

はだしの足の下は、

 

 

 

6~70m。

 

 

 

はっきり言って、

 

 

 

ちょっとビビりました(笑)。

 

そして、途中で海へ落とされたり、ガクンガクン!ってされたりね。勿論、お遊び、サービスの一環なんですが、「オーマイガーーーーッ!」です。

でも、これ、後で訊いたら「全然ビギナーの高さだ」そうで、慣れてくると100mオーバー、さらにエキスパートクラスになると、240mとかまで上がるそう。240mって、サンシャイン60と同じ高さじゃないですか!この景色の4倍、・・・あの、高さの、4倍・・・

考えただけでも、こえーっす(笑)。

 

でも、もしもどこかで見つけたら・・・絶対にやってくださいね、これ。超楽しいですから。ご参考までに・・・Youtubeにあった映像を。下から(←ちょっと感動的)、そして、上から(見てても、感動的ではあるんですが、・・・スリルが勝ってる気が(笑)。でもまさにこんな感じでした。ひゃあ)。

 

ここまでの三枚の写真は、使い捨ての水中カメラで撮ったものです。余談ですが、なんか、フィルムっていいなー、って思っちゃいました

 

さて、海の上と下で、遊んだら、

 

 

地面でちょいと休憩です。でもこれは、地面のちょい上、かな(笑)。椰子の木陰のハンモック、風に揺られてウトウト・・・。思い出しても、気持ちいいー

 

 

お馴染みの、このヒラヒラを発見。日本語がそこら中にあるのには、すぐ慣れます(笑)。この海と空と、このヒラヒラのミスマッチが、また(笑)。

 

とかいいつつ、

 

 

僕としては、結局、こちら。いやー、最高です(笑)。

でもね、ちゃんと全てのアクティビティ(ハードなやつね)が終わってからじゃないと、アルコールは買えないようなシステムになってるんですよ

 

完璧な天気。海、空。充実。楽しい。最高

 

 

さて、そろそろ戻りましょうか

 

 

ホテルの周りは、こんなです。でっかいビルもビールもたってます(笑)。けっこう現地の人も歩いてますが、この辺りをどう思っているんでしょうかね。

 

 

実弾射撃は、有名です。かなりの数のお店があります。僕も30年だったか25年だったか前に、連れられてやってみました。でも今は・・・、なんだかね、「お金を出して、銃を撃つ」というのが、「んー、楽しいのかな」って思ってしまいます。ってか、普通にレストランやDVDショップの二階で、誰かが拳銃を構えて、実弾を撃ってるという。

 

 

回転寿司はわかります。でも、回転焼肉って、なんだろう(笑)。

 

 

もはや、英語のえの字もない(笑)。でも、テラスでビールを飲んでいた二人は、白人さんでした。10ドル(930円くらい)で、二時間半飲み放題は、安いですね。かなり、テンプティング(笑)。

 

ビールと、とあるものを買いに、昨夜のコンビニへ。隣へは、行ってませんよ(しつこいか(笑))。

 

お店に入ると、

 

店員さん同士で、おしゃべりしてました。そこ、コーヒーがサーブされる台ですが・・・(笑)。僕の前にも、他にも店内にお客さんいたんですけどね(笑)。

まぁ、こういうのも文化の違いですね。ファーストフードとかでもそうですが、無駄に笑顔とかは無いです(マクドナルドでも観光地はともかく、田舎に行くと、多分そんなにないと思いますよ。0円じゃないです(笑))。もう、ガムとか噛みながら、「はいはい。何?買うの?食べんの?え?持って帰んの?」みたいな(笑)。でもそんな扱いを受けても、ビックリしてはいけません。日本のサービスに慣れてると、面食らうかもしれませんが、こういうところに確実に外国を感じて、僕はむしろちょっと嬉しかったりします(笑)。

 

チョコレートにも、燦燦とに西陽が(笑)。でもね、店内はビックリするほど冷房が効いているので、全然大丈夫・・・だと思います(笑)(・・・ただし、グアムでは食べ物、飲み物は、消費期限を確認してから買ったほうがいいそうです。結構、いい加減なんだそうですよ)。

とにかく、こういう南国では、外が暑い分、室内の冷房の効かせ具合は物凄いです。設定温度は、確実に18度とかなんじゃないでしょうか(笑)。前に、台湾に行った時に聞いたんですが、あちらではデパートやホテルなどでは「冷えていること=サービスがしっかりしていること=高級」という感覚があるのだそうです。

 

お目当ては、これ。大好きなオベルトのビーフジャーキー。あー、持って帰ってきたかった・・・。訊いたら「まだダメ」なんだそう。にっくきBSE。

 

 

・・・なんじゃこりゃ(笑)。これ、触ってみた感じ、そのまま、大きい飴でしたよ。なめきるのに、どんだけかかるんでしょうか(笑)。鏡餅みたいに、割って食べますか(笑)。

 

 

ホテルに戻ると、そろそろ、夕暮れでした

 

 

こちらは、ホテルのロビーから、海を望みます。人も少なくて、静かな時間が流れていました。

 

・・・言葉はいらないです。

 

 

プールに入って、ブイ。気持ちよかったなー。

 

・・・あー、こうして写真見ていたら、行きたくなってきてしまいました。って、帰ってきたばかりでアレですけど(笑)。

 

さてさて、長くなりましたが、本日はこれにてー。

 

ではー。



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昨夜のうちに荷物のバラしまではしたのですが、なんだかんだとありまして、今日、皆既日食があったことすら知らないまま、夜になっております。・・・正直な気持ちですが、日本にいると時間があっという間に過ぎる気がします。やっぱりここは、時間の速度が速い場所なのでは、と思ったりします

はい、ではサクッと行きますよ。終わらないといけないですからね、なんたって、時間が経つのが速いのですから(笑)。

 

さてトップは、・・・えー、砂浜とくれば、やはり画伯としては自画像を書かずには、ということで・・・なんちゃって(笑)。今回は素足で書きました

 

では、ここで、ちょっと時間を巻き戻しまして、

 

成田空港から。僕ね、ここの天井が好きなんです。この天井を見ると、初めての海外だった、25年前のワクワク感を思い出すんです。「何が始まるんだろう」って。

 

搭乗口に向かう通路にて。この女の子は、動く歩道で色々と遊んでまして(ダッシュしたり、こうして、ベルトに耳をつけて音を聞いていたりね)、目が合ったので、「いえーぃ」って小さな声で言ったら、同じように指を立てて、笑ってくれました。前を行くのはおにいちゃん(左)と、お母さん(右)。隣の搭乗口だった「ヌーメア行き」の便に乗って行きました。「あれー、ヌーメアってどこだっけな」って、この時はどうしても出てこなかったんですけど、帰ってきて見てみたら、ニューカレドニアの首都でしたね。日本に来ていて帰ったのか、それとも、遊びに行ったのかな。どちらにしても、いいな。ニューカレドニアは僕も一度は行ってみたいところなのです

 

搭乗したら、さっそくドルを出して、ぷ、の準備(笑)。アルコールは有料で「5ドルか、500円」なんです。円高の今、勿論、5ドルの方がお得でありますゆえ

 

すぐにサーブされた軽食と共に。頂きます。・・・二本目を(笑)。

このサンドは、もうアメリカの味でした。・・・ま、ある意味において美味しいですし、ある意味においては、やはり大雑把なお味といいますか(笑)。でも、旅気分は出ますよ、やっぱり

 

ワインも、一本5ドルです。なかなかに重たい、美味しいカリフォルニア・ワインでした。上空で飲むお酒は、いい感じでまわります

 

硫黄島を通過しました。映画「硫黄島からの手紙」を思い出します。サイパン島は「バンザイクリフ」などでも有名な、やはり過酷な戦争の悲劇があった島です。グアム島も、日米双方で二万人を超える戦死者を出し、また、故・横井庄一さんが、28年間も終戦を知らずにジャングルで、たった一人で過ごした島なんですよね(追記:当初は二人であったが、一人の方は亡くなったようです。また、「終戦を知らずに」・・・と一部で言われていて今まで僕もそう思っていましたが、実際は、米軍の撒いた宣伝ビラで終戦はわかっていたが、出たら軍法会議で処刑されると思って怖くて出られなかった、のだそうです。それにしても・・・なんという人生!)。

 

深夜1時過ぎ、グアム国際空港に到着です(時計は、日本より一時間進みます)。入国審査って、なんかこう、緊張感ありますよね。人のこと、「ネクスト!」って、指でチッチってやってるじゃないですか(笑)。でも、嫌われたら入国できなかったりで大変だから、「は、はいー」って、みんなおとなしくしてますよね。

僕ね、このとき、入国審査官のおじさんに(・・・僕もおじさん!?)、「グアムは何度目?」って訊かれたから「四度目です」って答えると、「四度目?そうか、どこがいいんだ?」って言うので「海が綺麗だしー」なんて説明して、なんとなく空気が和んだので、「こんな夜中まで、大変ですねー」って言ったら、「ノーノー。悪くないよ」というので、「えー、それって、その分サラリーがいいってこと(笑)?」って訊きましたら、「うん、悪くない(笑)」ですって。

ちなみに、日本の入国管理官とこういう話をしたことは一度もありません。・・・できる雰囲気ではありませんのですよ。お国柄ですね(笑)。

 

空港からホテル街のあるグアムの中心地までは、わずか15~20分程度のドライブです。成田は・・・遠いですねー(笑)。 

 

ホテルに着いて、荷物を置いて、少しくつろいだあと、近所のコンビニ「Kマート」に。あ・・・ほんとにコンビニに行ったんですよー。ってわざわざ言わなくてもいいか(笑)。「り」だけ平仮名ですね(笑)。

 

コンビニには勿論、ビールとか買いに行ったんですけど、「ノー、売れない」って言われました。「ん?20歳イカに見えたか?」と思い・・・いや、さすがにそんなわけはなく(笑)、時計を見ると、深夜2時10分。

そうだ、うっかり忘れてました、グアムでは2時以降はアルコールの販売してくれないんでした。勿論、ホテルでも買えません(部屋のミニバーにあれば別だとは思いますが)。ちなみに、金曜、土曜の夜は4時まで買えます。・・・しかしこれ、旅のしおりに大きく書いておいて欲しかったなー(笑)。

仕方ないので、コーラとホットドッグを。ホットドッグコーナーで自分で作って(チーズやオニオン、ピクルスなどは乗せ放題です)、それからレジに持っていって買うんですよ。これはとっても美味しかったです

しかしグアムで、寝る前にアルコール無しだなんて、思いもよりませんでした(笑)。でも早起きして遊びたかったし、となればわざわざ探してまでどこかのバーに行くのもアレだな、と思いまして、・・・じっとベッドで朝を待つことにしました。まぁ、お腹は膨れましたしね(笑)。

 

深夜過ぎから、雷がピカピカと光っておりました。朝日で起きようと、カーテンを開けていたのですが、部屋の中まで真っ白になるような光で、あまりにまぶしいのでカーテンは閉めました。

そう、19日にも書きましたが、出発前に日本で見たグアムの天気予報は、どれも全然よろしくありませんでした。滞在中雨、雨、曇りのち雨。グアムの中心地、ハガーニャ発の天気予報でも、曇りのち雨、雨、雨・・・。良くて曇り時々雨、へたすりゃ雷マークまで

でも、「グアムでは、日本のように一日中雨が降るなんてことはまず無い」というのは有名ですし、また「日に一度、30分でも雨が降る可能性があったら『今日は雨だよ』っていう予報を出す事もある」ということは聞いていました。日本なんかと比べて、天気予報自体、かなり大雑把なようです。YAHOOとMSNでも全然違うし、見るサイトによっても全然違ったんですよ。いったい誰が出してるんだ(笑)。

ということで、「グアムの天気予報はあまり信用(・・・ってか、悪くても心配)しない」というのが、経験者の見方のようです。

 

・・・というわけで、翌朝は、

 

 

 

 

はい、こんな感じでしたー。朝の七時、ホテルからの眺めです。

 

 

逆側です。タモンという、ホテルが立ち並ぶメインビーチです。ハワイで言えばワイキキですね。素晴らしい海の色

 

そしてこちらが、正面です。晴れた、晴れたー。いえーい

 

日本からほんの三時間半のフライトで、この空と海に、出会えるんですよね。

 

さて、今日はこのあたりまでにてー

ではー。



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どーもー。

ただいまですー、お元気ですかー

 

お蔭様で、とっても楽しかったです

日程が短くても、ほんのちょっとの時間でも、日本語だけでまったく問題ないくらい日本語が通用しちゃうGuamでも、それでもやっぱり違う文化のところに身を置いてみるというのはいいものだな、と再確認。そして、同じもののはずなのに、やっぱり全然違う、太陽と海。まだ目とあたまがフワフワしております

 

・・・成田に着いたら前も見えないような大雨で、遊びすぎで眠い目をこすりながら(笑)、アワアワしながら帰ってまいりました

 

写真とか整理して、またゆっくり更新しますね。ってか、今日はまだついさっきまで、まがりなりにも,違う国にいたというのもあってか、全然フワフワ頭ゆえ(笑)、これにて失礼しますー

 

日本からほんの三時間半・・・別にたいした時差があるわけじゃないんですけどね。気持ちの時差みたいなものは、けっこうありますねー(笑)。

なわけで、お風呂に浸かって、少し早めに寝てみます

ではー。



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Hi everyone!

Thank you for your message.

People in Guam are very nice and kind.
Their smiles make me happy.
I am enjoying talking with them by using my poor English...but we can understand each other well. (well...well...well, I hope so (wara) )


When I think about communication with somebody, we sometimes worry about our language skill at first too much.
But, that is not the first priority thing to communicate with them.
The difference of language is not always the matter.

The most important thing is keeping my mind like..."I want to communicate with you!"

However, sometimes they cannot understand my English completely!
Actually I am struggling everyday!
ha ha ha...so.....I try my best!

I will be back tomorrow.

Take care.

Dewa-.



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Hello!! My friends!

I had a great time under the perfect blue sky!!

The weather forecast of Guam that I checked in Japan before I left said it would be raining. BUT!! The sun was smiling at me all day today!

I am having a lot of fun!


from Guam.

Dewa-.



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「お。」と思うものに、世代が出ますなあ(笑)。

それでは皆さま、行って参ります。

ではー(‘∇‘ )ノ”。

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突然ですが、ちょっと親戚の慶事がありまして、明日からグアムに行ってくることにしました

このところ、原稿書きやら、自宅で友人のギタリストのソロアルバムへの録音をしたりしていたのですが(詳細はいずれ、ご本人が発表するときに、こちらでも是非紹介させてもらいます)、上手い具合にそれらも丁度、無事に終えることができ、以前に声をかけて貰ってた時は「いやー、わからないなー」だったのを、「やっぱ行くー」と急遽参加することにしたのです。

 

海、行きたかったし

 

出発三日前の追加申し込みでしたが、どうにか、滑り込みセーフでした。

 

来月の頭には沼津でのイベントもありますし、その翌日からは椎名へきるちゃんの恒例の夏のツアーのリハも始まります

うん、このタイミングはありだなー。これは、行っておこう、と。せっかくですからねー

 

グアムは、母と今の父が再婚した記念にと、小学校4年生の時に連れて行ってもらったのが最初でした。僕にとって、初めての海外旅行でした。

それまで、いわゆる江ノ島とか湘南とか、都会近辺の海しか見たことがなかった僕にとっては、海が衝撃的でした。「なんだなんだ!海って、本当はこんな綺麗な水でできてるのか。プールみたいじゃないか」と。以来、すっかり海好きに

 

二度目のグアムは、やはり親戚の慶事がありまして、中学三年を終えた、高校に入る前の春休みに行きました。

グアムの海って、ホテルの目の前でも、あまり人が居ないんですよ。ハワイのワイキキみたいに、わいわいとは賑わってないんです。この時のグアムで一番印象深く覚えているのが、遠浅の綺麗な海を50mくらい泳いで行ってね、一人でプッカリと浮かびながら見た、真っ青な空と太陽の光景なんです。耳に入るチャポチャポという海水の音を聴きながら、しばらくの間、じーっと波に揺られて浮かんでいました。見渡す限り、辺りの海には誰も居なくて、砂浜にも誰もいなくて、本当に僕一人だったのを、よく覚えています。・・・ちょっと怖くなるくらい、静かだったんですよ。あんな風に、気持ちいい海と太陽を独り占めなんて、なかなか現実にはできない事ですものね。贅沢な体験をさせてもらいました

あ、でももう随分昔の話ですから、今はどうなんでしょうね。超、わいわいしてたりして(笑)。

 

三度目は、大学の卒業旅行みたいな感じで、仲の良かった男友達三人で行きました。この時の一番の思い出は、ケンタッキーです。そう、あのフライドチキンです。なんたって、毎日食べてましたからね(笑)。

というのもね、当時、まだ日本にはなかったチリペッパー味と言いますか、ホットチキンとでもいいますか、とにかく、辛いやつがありましてね。三人して「おお!」と、大感激。毎日大量に買いこんで、毎日そればっかりホテルで食べまくってました。ハードロック聴きながら(笑)。あとは、もう、ひたすらビーチでボーっとしていましたね。学生ですからお金とか、ほんっと無いですからね、レストランとかは行った記憶が全然ないんです。ひたすら、ケンタッキーパーレー・イン・グアム(笑)。

 

そして今回、ケンタッキー・グアムから18年ぶりの、4回目のグアムになります。三泊四日のショートトリップですが、出来るだけ楽しんできますね。できたら今回は、ケンタッキー以外のものも食べてきたいと思っています(笑)。

ちなみに、僕のパンダは海外では使えませんので、ブログは中二日、どうにか、ビジネスセンターなどを見つけてみようとは思いますが、もしかしたら、お休みになってしまうかもしれません。何せ昔はインターネットとか、無かった時代。グアムのネット事情がよく分からないんですよ(笑)。部屋にLANはあるみたいなんですけどね、僕が持ち歩けるパソコンを持ってない、というね(笑)。最悪の場合、悪しからずご了承くださいませ

 

 

これ、二回目のグアムで撮った写真です。慶事のあった、教会でね。15歳の時の僕です。

今からもう、25年も前なんですね・・・。まだ、人生初めてのバンドを組む前です(笑)。

この時のグアムでは、帰りの日に、ホテルのエレベーターで乗り合わせた日本人に、英語で話しかけられたのを覚えています。「あ、8階お願いします」って答えたら、「うわ、日本人か」って、ビックリされました(笑)。なにせ真っ黒でしたしね(ケアしないでいると、どこまでも黒く焼けるんですよ(笑))、あとなんか、・・・もしかしたら顔つきもあっちの方に近いのかもしれませんね(笑)。

 

日付が、4月9日となっています。学校、8日からでした。そう、この時・・・高校の入学式、サボっちゃったんです。親も「いいんじゃない?別に、授業があるわけじゃなし」って感じで。そういう家でした(笑)。・・・僕だけでしたよ、入学式欠席してたの(笑)。

 

明日は、飛ぶ前に成田から更新しますねー

 

「ハファ・ダイ」とはチャモロ語(グアムの原住民の言葉)で「こんにちは」の意味です

 

ではー。



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