斉藤光浩さんの、ソロアルバムが二枚。これは僕にとって、とっても特別なアルバムなんです。
うーん、これ話し出すと、長くなるかなー。うん、なるだろーなー(笑)。皆さん忙しいこの年の瀬に、ゴメンなさいネ。なんなら、お正月の、時間のある時にでも読んでくださいね。
左のアルバムは、光浩さんのファーストソロアルバム「ARISE」です。今から15年前の、1991年にリリースされました。これ、当時の光浩さんの事務所の方から頂いたものです。当時僕は、大学を出るか、出たばかりの、22歳でした。
「BOWWOW(バウワウ)」という、デビュー30周年を迎えた、日本でミュージシャンをやっていたら、その名前を一度も聞いた事が無いという人は、まず絶対にいない、というベテラン中のベテランのハードロックバンドバンドがあります。光浩さんは、そのオリジナルメンバーのギタリストであり、ボーカリストです。このバンドには山本恭司さん、というもう一人のギタリスト、ボーカリストもいらっしゃいます(←こちらが、バンドのリーダー。キャプテン、とかって言いますね。ファンの間では)。
「BOWWOW」は途中、「VOWWOW」と文字を一文字変えて、それまでバンドに居なかったキーボードの入った編成で活動していました。(その時光浩さんは一時的に脱退して、「A.R.B」というバンドで活躍していまして、ギタリストは山本恭司さん一人でした。)そして、そのVOWWOWのキーボーディストこそが、厚見玲衣(あつみれい)さん、という、僕の憧れの人であり、『師匠』にあたる人なんです。
ちょっとVOWWOWを語ります(笑)。
高校生の頃、タイマーでカセット(!)がかかる様にセットして、毎朝VOWWOWのサウンドで目覚めていました。ベッドから見える位置には、レコードの特典で貰った、ポスター貼ってね(笑)。そして、毎日思っていました。
「なんてカッコいいんだろう。キーボードって、こんなにカッコいいことできるのか。」
8月に「ねぇねぇ。」というブログで書きましたが、友人Kにジャンケンで負けてキーボードを弾き始めた僕にとって、(勿論いつも楽しかったんですけど)、このVOWWOWとの出会いは、群を抜いて衝撃的だったんです。本当に憧れて、毎日毎日、これでもか、これでもかぁっ!という位(笑)聴いていました。
同時にこの頃は、毎日のように色々な新しい音楽に出会っていた時期でもあります。何を聴いても、全てが新しくて、言って見れば、驚きの連続でした。アルバムもこれぞ、というのはお小遣いはたいて買っていましたが、当時、貸しレコードで借りまくって録音したカセットは、部屋に千本以上並んでました。(思えば、このころジャンル問わずにやたらめったら「聴きまくった事」が、今になってそれなりにいい糧になっていると思いますが。)
しかし、当時の僕にとってVOWWOWのサウンドはその音楽達の中でもあまりにも強烈で、アルバムが出るたび、発売日に買いに走った、唯一のアーティストでもありました。
さて、そんなこんなで音楽を聴いたり、アマチュアバンドで試行錯誤しているうちに、あっという間に22歳、いつの間にか、大学も卒業の季節です。しかし「プロになりたい。どーにか。」という一心で、バブル経済で就職が売り手市場だった当時(初任給30万、以降、年に最低1万円はアップ、ボーナスもどどーん!なんて話がゴロゴロしてた時代です。)に、仲間ウチでも僕一人だけ就職活動といったものは一切せずでした。親もよく見逃してくれたものです(笑)。とは言え、プロになるって言っても、ねぇ(笑)。「じゃあ、どーしたものか。」だったんですよ。
卒業が間近に迫った頃、バンドが時々お世話になっていた、知り合いのインディーズレーベルの社長さんに、「川村クン、確かクルマ、ハイエース持ってたよね?こんど『G(←語ると長くなるので伏字仕様にて(笑)。キーボードメインの、プロのバンドです。またいつか詳しく書きます)』というバンドのレコーディングやるんだけど、良かったら荷物運んでくれないかな?バイト代、少し出すし、そのままレコーディングも見てていいから。」と言われました。
おお、プロの演奏が生で近くで見れるなんて!「勿論、やります、やらせて下さい、むしろ。」
というわけで、「楽器運び屋 川村ケン」の誕生となりました。まぁ、誕生、ってほどでもないんですけど。とりあえず、何か繋がった感じはしたんです。目標へ向けての、小さな、でも大きくなるかもしれない、第一歩、的な。
レコーディングの間、一ヶ月ほどでしたが、荷物運び&楽器セッティングなんかをした縁で、しばらくして、その『G』というバンドのベーシストの方の結婚パーティーに呼んでもらえることになりました。パーティーはライブハウスを借り切って行われました。薄暗い会場の中は、もうね、プロのミュージシャン達が一杯(笑)。雑誌で見たことのある人、テレビで見たことのある人。そしてこちとら、大学卒業したての、プータロー(笑)。その会場の中に・・・なんとね。なんとね。なんとねー。
居たんですよ、憧れの、VOWWOWのキーボーディスト、厚見玲衣、さんがっ!
僕は下のフロアに居たんですけど、「んー、上は音とかどんな感じだろか。」って、二階席に向かう階段を、ポンポンって、上がっていったら、その階段上がったところに、見慣れた顔が!毎日ポスターで見てる顔が!頭が!その人が!
僕、もう、超びっくりしてね、思わずね、
そのまま回れ右して、ポンポンって階段降りちゃいましたよ(笑)。
そして、ドキドキしながらもパーティーは終わり、続いて二次会の会場に移動することになりました。僕は『G』のキーボーディストのEさんにくっついて、近所だという会場に歩いて向かっていました。
そして、その道すがら、僕にとっての「運命の瞬間」が訪れるのです。
なんと、僕の目の前に、信号待ちをしている厚見さんが。「(あっ)。」
すると、Eさんが、「やあ、厚見くん」って、普通に声かけて。「あ、Eくん、どうも。」って。ご友人同士だったようで。そして、横でなんとなく小さくなってる僕(実際は小さくない(笑))。しかし、こんなチャンスはもう無いかもしれませんからね、思い切ってEさんにこっそり「Eさん、あの、良かったら、厚見さん、紹介していただけませんか?」って訊いたら、「あれ、川村君は厚見くん、知らなかったんだっけ?」って。・・・えぇ、めちゃめちゃ知ってますとも、ある意味では、ね(笑)。
で、「ねえ、厚見くん、この子ね、川村ケン君って言ってね、最近僕の機材とか運んでもらってるんだよ。そうそう、で、彼自身もキーボード弾くんだよ。」って紹介してくれたんです。すると、厚見さん
「あ、どぅもー、厚見です(←普通にフランク(笑))。えー、ってことはクルマ、持ってるの?」「はいっ。」「いいなー。じゃさ、こんどE君の仕事無いときでいいからさ、僕の機材も運んでくれないかな?今、ちょうどそういう人居なくて困ってたんだよね。」「はっ、はい!よ、喜んで(喜)!」「じゃ、電話教えておいてくれる?」「はいっ(飛)!」ハイエース持ってて、良かったぁ~、な一瞬でした。
・・・で、ですよ。そんなわけで、厚見さんの楽器も運ばせていただくことに。ってか、厚見さんから僕の家に電話(←携帯はまだ無い)、とかね。もう、ありえない話なんですけどね。かかってきましたけど、普通に「あ、川村くん?厚見ですけど」って(笑)。今、思い出してもなんかドキドキしますよー。
そして、まずは厚見さんにレコーディング仕事がありました。厚見さんの家に行って(ありえない(笑))、憧れの「VOWWOW」のロゴの入った厚見さんの機材を僕のこの手で持って、積んで(連続ありえない(笑)。もう、何でも感動。)、厚見さんのクルマの後ろを走るわけです。そんな時は「えー、世界中の皆様、只今、僕のクルマの前にはですね、なんとっ、あの厚見玲衣さんがですね、走っているんですよー!」と宣伝したくなる気持ちでニコニコしながら、走っておりました。
そして、レコーディングでは、間近に憧れのプレイを見ることが出来ました。もう、強烈だったのなんのって。なので、空き時間は、さんざん、「今のプレイはどうやったんですかー?」「さっき使った音色はどうやって作るんですか?」「VOWWOWのあの曲のフレーズの指使い、教えてくださいよー」って、質問攻めにしちゃいましたけど。「えー、憶えてないよー、そんなのあったっけ?っつーか川村君、僕より僕のこと、詳しいじゃない(笑)」って笑われました(笑)。だって、目の前に「本物」が居るんですからねですからねですからね、んーっ、これは訊かない手は無いよねっ(笑)。
さてさて、長くなりましたが、まだ続くんです。これは流れで話さないことには終われませんので。あ、トイレとか、大丈夫ですか(笑)?
で、次の厚見さんのお仕事というのが。どどーん。はい、ここできます。斉藤光浩さんのソロライブのサポートだったんですねー。そんなわけで、光浩さんの事務所の方に、「全スタッフさんにも」ってアルバムを頂いたんですよ。それが、今日の写真の右側の一枚、というわけなんです。このレコーディングでキーボードを弾いているのは、勿論、厚見さんです。
リハーサルは10日間ほどでした。僕も毎日行って、電源入れたり、鍵盤拭いたり、ね。ローディーさんの真似事みたいなことをさせてもらってました。大してお役にたてたかどうかは疑問ですけど。でも、でも、プロのバンド演奏を、リハーサルの進め方を、間近で見れるなんて、ねー。あれは、すっごい勉強になりましたよー。サポートメンバーには当時ZIGGYに在籍していたベーシストの戸城さんもいらっしゃって。ZIGGYさんもファンでしたからね、嬉しかったですね(笑)。(なんとこの数年後、ZIGGYのサポートもしばらくやらせていただいたんですけどね。)
厚見さんはお家が遠かったこともあって、少し遅れることがあったんです。光浩さんはじめ、他のメンバーの皆さんは揃っていらっしゃってね。そうすると待ち時間に、自然と適当なセッションが始まるんです。これは今の僕らも一緒ですが、グルーブ合わせの意味もあるし、結構大事なんですよ。
皆さん、演奏してる。でも、キーボードだけは空いている。
ニヤリ。こーいうチャンスを逃す手は、ないでしょう。逃したら、きっとバチが当たります(笑)。
そーっと、楽器に近寄っていって。なんとなく鍵盤でも拭いているかの様に見せておいて。・・・だんだんと、なんとなーく、気付かれないように(←絶対に気付かれてるって(笑))ボリューム上げていって、しれーっと僕、混じっちゃってたんです。
そしたらね、光浩さんに「あれ?えっと、川村君、だっけ。キミ、ちゃんと弾けるんだねぇ。」って言われて。「じゃあ厚見くんダメな時はこれからキミに頼もうかなぁ(笑)」って、冗談まで言われて。「と、とんでもないですよー。」
そしてライブ本番日。楽器をセッティングして、リハーサルを見学し、「ね、ちょっと客席で音聴きたいから、何か適当に弾いてよ」って言われて、厚見さんの代わり弾いたりして(←これは緊張します。でも、嬉しかったし、楽しかったー)。そして、開場。本番中は、何かあったときにすぐに動けるように、と僕は厚見さんのキーボードセットの陰に居ることになりました。セットの陰とはいえ、そこはステージの上です。もう、とにかく目立たないように小さく身体を折りたたんで、約二時間のステージを、ある意味「特等席」から見せてもらいました。「光浩かっこいいよー!」というファンの方の声、曲が終わるたびに起こる、満員のお客さん達の大きな拍手、身体にじかに伝わってくる、迫力のあるバンドのサウンド。
そして、なんと言っても、僕の目の前、ほんの1メートルのトコロで、憧れの人が、厚見さんが、凄い勢いでキーボードを弾いている。チケット取って、何度も武道館に見に行っていた、あのVOWWOWのキーボーディストが、僕の目の前に、今、確かにここに。この音。大好きな、憧れの、夢にまで出てきた、音。
このライブのほんの数ヵ月後、僕は「SHADY DOLLS」という(プロの)バンドのオーディションを受けることになりました。ある日、事務所の方から、「川村さんですか?あのですね、VOWWOWの厚見玲衣さんから紹介されたんですけど。」と電話が掛かってきたんです。そして、オーディションを経て、その日のうちにメンバーと飲みに行って(笑)、加入。そして、デビューさせていただくことになりました。扉が開いた。23歳になったばかりの時でした。
そして、時は流れて、2006年、暮れ。今、僕の手元には光浩さんのセカンドソロアルバム「SECOND」があります。今回のキーボードは、僭越ながら僕が弾かせていただきました。先日の新宿での打ち上げパーティーで、光浩さんから直々に手渡されたものです。ありがたいことです。信じられないことです。そして、つくづく「縁」、というものを感じます。
厚見さんは、その後、矢沢永吉さんのバンドに参加されたり、アメリカに渡ってアチラのミュージシャンとして「来日」したり(←やっぱ凄い)、ここ数年はずっと忌野清志郎さんのバンドのサポートとしても活動されてます。ほんとね、ぼくの永遠の『師匠』です。あ、でもたぶん「えー、弟子にした覚えはないけどなぁー(笑)」って言われると思いますので、お願いですから外では言わないで下さいね(笑)。
そうそう、まだ決まってはいませんが、来年は光浩さんソロとして、きっとレコ発ライブも企画されることと思います。「ARISE」の曲も、もちろん「SECOND」の曲もやると思います。僕も、参加させていただくつもりでおります。その時は、またお知らせしますが、よろしかったら、是非ー。
というわけで、
「川村君、プロになったきっかけは?」
と問われたら、
「んー、ハイエース(←中古)、持ってたことですかね」
と答えることに、しています(笑)。
ホントに今日は、特に(笑)、長くなりました。読んでくださって、ありがとうございました。
ではー。今年もあと一日だー。