ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




折角の桜の季節なのに、スカっと晴れてはくれませんで、どうもどんにょ~りしてます。どんにょ~り。・・・ドン・ニョーリ。・・・ニョーリ親分。・・・なんだなんだ、どうした。いきなり壊れたか

・・・。

、夜桜ね(笑)。なんかまー、これはこれで重々しくなって、ある種良いんですけどね。昼間撮ればまた違うのでしょうけれどー

しかし、こうして夜桜などを眺めていると、僕は渋い時代劇が見たくなります。安っぽいチャンバラ劇じゃなくて、ドラマ性のあるやつ。そう、ホロリと泣ける人情物なんかがいいなー。最近は無いですからね。いいんですよ、昔ので。昔の、下さい。鬼平犯科帳とか、剣客商売とか・・・。池波正太郎さん原作の作品は、お話も最高なんですが、出てくる木々や食べ物とかで表される季節感がね、実にこう豊かでね、キュンってくるんですよ。いいんですよ。さいとう・たかをさんの劇画も、とってもいいです。一応、お勧めしておきます。まー、ゆーても読まれないとは思いますけどもー(笑)。

 

で、・・・全然、まるっきり違う話ししちゃう(笑)。

 

脳内メーカー」なんての、流行りましたね。いわゆるジョークサイトの一種ですが、こういうのも中にはしょーもないのもありますが、結構笑えるのもあるので、意外と嫌いじゃないんです

しかし、前に「川村ケン」と入力して見たときは、僕の頭の中は確か8割方「秘密」だったはずなのに・・・。さっきやってみたら、なんだか「悩」だらけになってて、ちょっと凹みました。変わるのですかね?あれ(笑)。

あとなんだかね、同じような名前だけど結果が違う「脳内を分析する脳内メーカー」もあって(どっちが本物かは知らないんですが)、こちらは「愛」で埋まっていたので、こちらのほうが好きです。どうせなら(笑)。

ちなみにこちらのものに「川村」と入れると、頭の中が「忘」で一杯で、しかも目からビームのように大量の「忘」が出ていますが、・・・大丈夫でしょうか

 

 

さてさてあとね。

最近知ったのに「取り扱い説明書メーカー」なんものがあります。色々考える人がいるんですねー。天才。でも、作りながらニヤニヤ笑ってるんだろうなー(笑)。

では早速。

あははー。そーきたか(携帯版もあるらしいですよ。でも、ちょっと結果が違うのはなんでだほい(笑)。http://u.p0k.net/torisetsu/i/)。

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川村ケンさんの取扱説明書

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川村ケンさんをご使用する際には以下のことに気を付けて下さい。

・よきせずに大音量を発することがありますので、ご注意下さい。
・風呂場では使用しないで下さい。

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また、川村ケンさんを以下の場所でご使用にならないよう気を付けて下さい。


・静かなところ
・なにかの上
・人気の無いところ

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川村ケンさんが故障かな?と思われる場合は以下のことを試してみて下さい。

・疲れている可能性がありますので、休ませてあげましょう。

それでも川村ケンさんが正常に動作しない場合は。

・もう少し様子をみて下さい。

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ふむ、おもろい(笑)。

 

じゃ、ケン坊、だとどーだか。

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ケン坊さんの取扱説明書

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ケン坊さんをご使用する際には以下のことに気を付けて下さい。


・男性を近づけてはいけません。
・雷が鳴り出したら動作をとめて、すぐにしまって下さい。
・窓を締め切った自動車の中に放置しないで下さい。

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また、ケン坊さんを以下の場所でご使用にならないよう気を付けて下さい。

・カメラの前
・無人島

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ケン坊さんが故障かな?と思われる場合は以下のことを試してみて下さい。


・黙って少し様子をみて下さい。

それでもケン坊さんが正常に動作しない場合は。


・しょうゆ大さじ一杯、塩コショウ少々で完成です。
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・・・なんか、人っぽくなくなったー(笑)

 

色々と知り合いやあの人やあの人の名前を入れてみる。

・・・クックック

皆さんも試して見てくださいね。よかったら、結果も教えてくださいね

 

たまにはこんなんで息抜き、息抜きー(←安上がり)。

ぶっはぁぁあああわわわわ~・・・・・・(←抜きすぎ。か、単なる食後(笑))。

 

他にもなんか面白いのご存知でしたら、教えてくださいねー

しかし、写真のテンション感と全然違う内容になっちゃいました。桜よ、すまん(笑)。「夜桜には、ぷしゅ」、ってことで、まとめとくー

ではー。



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お蔭様で、今回のツアーも昨日の仙台公演で無事に折り返しを迎えることができました。ありがとうございます

やっぱりツアーは、生き物。そして生き物だからこそ、育つもの。今回のツアーもとってもいい感じで育ってきているなぁ、と感慨ひとしおです。いや、ほんと、楽しいー

特等席(←僕のポジションね(笑))から見る俊くんの表情からも、実に生き生きと音楽を楽しんでいる様子が伝わってきてですね、見ていてこっちがワクワクしてきてしまうわけです、勿論、他のメンバーの表情も、最高で。圭ちゃん、キム兄、マリオさん、一さん、亘さん・・・そしてスタッフさん達もみんな、ほんと熱くて、カッコいい

そして、お客さんの皆さんの、とびっきりの笑顔といったら

・・・お一人様あたり、ご飯三杯はいけます、僕(笑)。

そんなこんなで、約束の地・武道館を含む来週からの後半戦もどうぞヨロシクです。参加される方は勿論、「行けないけどねー」な方々も、「もう参加しちゃったんだよー」な方々も、どうか、応援よろしくお願いしますです

 

 

えー、ちょっと前になりますが、先日の名古屋公演の時にですね、今回のツアーから新しく仲間入りしたオルガンのXK-3cを貸して下さっているメーカー、ハモンド・スズキさんが陣中見舞い&取材に来てくださいました。今日は、そのレポートをご紹介したいとおもいまするるるー。

題して、「REPORT/清木場俊介 LIVE TOUR 2008 “Rock & Soul“」

でもね、リンクだけじゃ携帯からご覧の方には、見れないんですよね。

ですので、6枚ほど掲載されている写真は無理ですが、文章の方を、全文こちらに引用させていただこうと思います。せっかくですからねー

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  3月5日にスタートした清木場俊介さんのホールツアー Rock & Soul 。 HAMMOND XK-3cもついにキヨキバンドに参加することになり、弾き手でバンマスの川村ケンさんのもとにお邪魔しました。  

   長身の川村さんのセットはすべてのキーボードが高い位置にある。一般的なセットよりも15cmは高いだろう。そして、使われている機材はこだわりの品揃いだ。繁々と眺めていると、「このポジション、最高でしょう。ローズの上にハモンドがあって、その横にモーグがある。たまりませんね。」 と川村さんから声をかけられる。このツアーの前までは別のアナログオルガンがマウントされていたのだが、新たなサウンドを求めていた川村さんによって新参者のXK-3cがそのポジションに収まることになったのだ。
 「オルガンはこんな感じで・・・・、上のモジュレータを通すと・・・・、レスリーは袖にありますよ。 そして、ローズにはこんな風にディレイをかけて・・・・、モーグはこんな風に・・・・。」 リハーサル前のわずかな時間にデモをしてくれる川村さん、奏でるすべての音が輝きを放っている。根っからのロックキーボーディストだ。どのようなサウンドに混ざっても心地良く主張できるサウンドを持っている。

  「フロントのキーボードともミディでつないでいるんですよ。今回は15曲ぐらい・・・7~8割はオルガン弾いていますね。動くと間に合わないときにはシンセからXK-3cを鳴らしているんです。本当にXK-3cのサウンドは素晴らしい。こんなに歪ませても音がきれいですよ。」 と話されながら奏でるサウンドは心地良いうねりを作っている。激しいサウンドなのにうるさくない。むしろ音が立っているのを感じるほどだ。どんなに音を伸ばしても痩せていない。オルガン好きでなければ出せないサウンドを作り上げている。
 ふと、足元を見るとものすごい数のペダルたち。「すごいことになっていますよ。」 と、笑いながら応える川村さんはケン坊という愛称が相応しいキーボード少年のような眼差しだった。  

   2日間に渡り愛知厚生年金会館を埋め尽くした清木場俊介さんのステージ。自らを「唄い屋」と称するように、楽曲個々のメッセージが伝わってくる。本当に歌を大切にされているアーティストである。Rockの激しいビートとSoulのスィンギーなノリに包まれて瞬く間に彼の音楽へと引き込まれていく。ライブハウスからホールに、ホールからアリーナ、武道館へと、着実に自己を積み上げていくが、常に「お客の前で歌う」 という原点を失わないところが「唄い屋・清木場俊介」の大きな魅力だろう。そして、彼をサポートしているキヨキバンドのメンバーたちも猛者揃い。魂のこもったサウンドで会場を熱くする。そんな彼らだからこそ会場をキヨキバコールで埋め尽くせるのだ。ツアーファイナルの武道館まで、キヨキバコールは鳴り止むことを知らないだろう。   

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いやー、ありがたいです。高校生の頃から憧れてたハモンド社のHPに、こうして自分の写真や記事が載るなんて

しかし、ちょっと褒められすぎで、脇腹辺りがムズムズしますが(笑)。

 

あと、追記も書きましたので、よろしかったらららー(←褒められて若干気をよくしている(笑))。ちなにも、今日の写真は、昨日の仙台のリハーサル時に、色・・・イケメン・大庭っちに撮ってもらいましたー。

ではー。



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そのぐらい本当に頂けそうな気分ですわー、あーこりゃこりゃ。

さっき始まる20分前に食べた例の三色ご飯(&またおかずがハンバーグでした(笑))、ムンムンライブですっかり消費したみたいですし\(ΘoΘ)ノ。


いやしかし本当に暖かいお客さんでした。


僕が若干滑っても、本当に生暖か~く(笑)、見守っていただいた様子でー。

さて、行くぞ~。まってろよ~、舌。

---追記。---

最初は、

ふつーだったんですけどね

 

ちなみに、このこリラックマは、何だか元々キャンディーだかが入っていたものらしく、ツアー中、僕の機材を管理、そして毎回きちんとセッティングしてくれる敏腕ローディーの大庭(おおば)くんの持ち物なんですよクマー。「何に使ってんの?」って、訊きましたら、僕のツアー用ベッドフォンのケース入れとして使っているんだそうです。僕のヘッドフォンが、リラックマに入って全国を旅していたとは(笑)。昨日、知りましたクマー

 

その飼い主の大庭っち。ごめんよ、こんな写真しかなくて(笑)。とっても色男なのですよ。あ、イケメン、っていうのか、最近は(笑)。ガムテープで眉毛を作ったのも、大庭っち(27歳←たしか)。

・・・あ、リラックマ、ライブ中はここにはおりませんよ(笑)。

 

昨夜はおいしく舌をいただきまして、お酒はちょっと頂き過ぎなくらい頂きまして、なんだかんだと朝6時まで(←太陽でてたぞー(笑))。でもね、ほんとにいいライブの後は、打ち上げも実に楽しく、時間の経つのを忘れてしまうものなのですよ

ではー。



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「東京駅期間限定発売崎陽ケン特別弁当」

・・・あーもうっ、気になってしゃーない(笑)。

皆さんに見ていただけるように、両手でフタをしっかり支えて、と。

あ、カメラが持てないじゃんか(ё_ё)。

シャッターもどうする!?

とゆーわけで、気合いで口でくわえて、鼻でシャッターを(笑)。

 

---追記。---

シュウマイが3個に減っているが、大きい。味も違う、・・・ような気がする。

唐揚げが二個になっていて、嬉しい

ご飯が、箱にくっつかないようになっている。

鮪の照り焼きが、なんかジューシーだった点も、重視(←しくったか(笑))。

いやでも、うまーでしたよ

この日は、何が何でもシュウマイ弁当を食べようと、前日から思っていたもので。ちなみに、普通のは売り切れでしたー(笑)。

 

 

あ、そうそう。

鼻でシャッターを押せるようになるには、ご存知のようにインドの山奥での50年にわたる壮絶な修行が必要なわけで

まぁ、僕はクリアしたわけですが、

どうしてもまだまだ私には、という方には「隣のマリオさんに手伝ってもらう」、という手があります(笑)。

ではー。



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東京では、もうすっかり桜が満開だとか。でも、今日はちょっと、花曇り。

でも、桜って本当に魅力的ですね。またあっというまに散ってしまうから、その儚さが、余計に美しい。

 

えっと。あんまりこういう話を続けるのもどうかとは思ってるんですけども、また昨日の流れでちょっとだけ、いいですか。

今日で、一旦区切るつもりでいますが、せっかくの機会なんで、今これを読んでくださっているあなたに、知っておいて欲しい言葉があるんです。

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「当然だが、普通の人間に戦争が好きなものなどいるわけがない。

だが結局、政策を決定するのは国家の指導者であるわけで、民主主義の国であろうと、ファシストの国であろうと、独裁主義の国であろうと、議会制の国であろうと、共産主義独裁政権であろうと、国民を言いなりに引きずり回すのはむずかしいことでもなんでもない。

いかなる声があがろうと、またそんな声はなかろうと、国民というのはじつに簡単に指導者の言いなりにすることができる。それは簡単だ。

国民に向かって自分たちが攻撃されていると伝え、平和主義者たちを愛国心がかけていて、自国を危険にさらしていると糾弾するだけ、ただそれだけでいい。

これはいかなる国においても通用することだ」


ヘルマン・ゲーリング ヒトラーの第三帝国元帥
第二次大戦後のニュルンベルク国際軍事法廷での陳述

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ヘルマン・ゲーリングというのは、ナチス・ドイツにおいて、ヒットラーに次ぐ実力者だった人物です。彼はこの裁判で無罪を主張、しかし有罪、死刑を宣告され、執行前日に服毒自殺をしました。

この言葉は、全然ありがたい言葉ではありませんが、戦争って、そうやって起こされるのか、僕達は、そうやって扇動されるのか、ということを解らせてくれます。

嫌な話かもしれませんが、これが現実なのだと思います。平和を求め愛する人がいるように、戦争を求め、したがる人というのも、いつの世にも必ずいるんです。それは、戦争によって、色々なかたちで「恩恵をこうむる人々」です(そしてこれが、必ずしも好戦的政治家・事業家だけだとは限らないのが、悲しくも、問題を難しくするのですが)。

真珠湾攻撃に始まった第二次世界大戦、9・11に始まったテロとの戦いなどを初め(実際にどちらサイドが仕組んだのか、という事などについは諸説ありますが、ここでは置いておきます)、古今東西、今までに起こった戦争・紛争について、これであらかた説明が付きます。また、今、世界中で起きている沢山の紛争についても、いちいち「なるほど」と頷けてしまうのです。今日の北朝鮮のミサイル発射だって。

このゲーリングの言葉は、我々はきつく肝に銘じておく必要があると思います。「いかなる声があろうとも」なんて、言われようと。そこは、「あの頃とは違う。僕達、私たちは違う」と、時代の、自分たちの力を信じましょう。そしてその力の源は、まず知ることです。これ、いつも言ってますけど、ほんと大事だと思うんですよ。

 

 

そして、もうひとつ。こんな時代に、希望を見出すために。

アメリカの先住民族である、ラコタ(いわゆるインディアンの、一つの種族です)に伝わる話です。

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ひとりの少女があるときあるところで奇妙な小鳥と出会ったそうです。

その小鳥は地面にあおむけにひっくり返り、両方の羽根を大きく広げて上に向けて、両足を空に向かって思い切り突き上げていました。

へんな鳥だなぁと少女は思い、もしかしたら死んでいるのかもと考えて、その場から逃げ出したくなるぐらい不安とおそれを感じたそうです。

でもおそるおそる近づいてよく見てみると、小鳥は死んでなどいません。

それどころか全身に力がはいり、目はしっかりと見開かれ、生気がみなぎっているではありませんか。

少女はその不思議な格好をしている小鳥にたずねました。

「小鳥さん、なんでそんな奇妙なことをしているのですか?」

すると小鳥がこたえたそうです。

「なに、空が落ちてくるという話を聞いたものでね」

少女ははたと納得しました。小鳥はそこであおむけになって、両方の羽根と両脚で落ちてくる空を必死に支えようとしていたのです。

「でも」と少女は、そこでうんうんとうなって空を支えようとしている小鳥にたずねました。「できるわけがないことをするためになんでそんなに一生懸命になっているのですか、小鳥さん」

すると小鳥がこたえました。

「君も君にできることをしろよ」

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・・・

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さて、明日はまたライブです。しっかりやりますよー。参加される方、よろしくです!気をつけていらして下さいね。僕も、気をつけて行きますから(笑)。

ではー。



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昨日、そして今日と、皆さんからのコメントを読ませていただきながら、また僕も色々と考えを巡らせておりました。とっても真摯なコメントの数々、本当にありがとうございます。

増え続ける核。

でも、実際に使っちゃまずいって事は、核を持っているどこの国の人間だってわかってるはず。皮肉なことに、それを実証したのは、広島、長崎。

膨大な時間と開発費をかけた新兵器の威力を、どうしても実戦で使ってみたかった。実験的な意味合いがとても強かった。投下後すぐに、米軍はカメラを持って広島、長崎へやって来て記録撮影をしたのが、その動かぬ証拠。実験の結果を知りたかった。そして、被爆者の肉体、解剖された死体なども、病院から接収して、研究材料として持ち帰った。

 

実際に使ってみたら、驚くほどの威力があったから、以後、核は、「抑止力」になった。

抑止力、つまり他国の干渉、武力行使に対する抑止力。「どうしてもって言うなら、こっちにはこれがあるぞ」って、いう、言わば、脅し。

でも、それにしたって、元々は自国を守りたいから、のはずなのに。皆で持ち合ってしまった。

そして、「こっちは○○発あるぜ」「なんの。こっちは△△発もあるんだぞ。」って、これで抑止し合ってるつもりなんでしょうか

・・・あほかー。

暴力をちらつかせたって、最終的に人の心は動かない。でも、やめられない、とまらない。えびせんならいいけれどね。こんな悪循環は、もうここらで断ち切らないといけません。

 

核実験は、抑止の為のデモンストレーションでもあります。「○○国が、核実験に成功」っていうニュースが随分流れましたね。でも反対も多かった。地球破壊ですから、当然です。気づく人は、すぐ間違ってるって、気づきますよ。ですから、さすがに1998年のパキスタンでの実験を最後に、最近は少し自重(?)されていたのに、2006年になって北朝鮮が行いましたね。そしてこの先も、まだまだわかりません。でも、常に監視、そして、反対をしていく必要があります。

 

アメリカは広島、長崎への原爆投下から約9ヶ月後の、1946年6月30日から、1962年までの16年間で、なんと100回以上もの核実験を繰り返しました。実験ったって、要するに、投下したのと同じですよ。そこらにあった木々は、生きていた生き物は、根こそぎ吹っ飛んだわけです。こういった実験の被害は人にも及びました。(←さきの回数は、『大気圏内核実験』の回数。他に地下核実験は、92年まで、なんと825回も行われました)。

例えば、1954年のビキニ環礁での水爆実験による日本のマグロ漁船・第五福竜丸が「死の灰」を浴びた事件、ご存知の方もいらっしゃることでしょう。戦争中じゃないのに、核爆弾によって、被爆させられたわけです。

しかも、100回もの実験があったわけですから、実はこのように海で被爆したのは第五福竜丸だけではなかったのです。

 

藤井節弥さん、という方がいらっしゃいました。

節弥さんは、小学生の時に、長崎の原爆で被爆しました。その後、母親とお姉さんと高知の実家へ帰りましたが、ままならない納屋暮らしだったんだそうです。高校を卒業した年に「お母さん、僕が働いてお母さんに家を建ててあげる」と、マグロ漁船に乗り込みました。そして、ビキニ環礁での水爆実験に遭い、・・・また被爆してしまったんです。「二重被爆」といいます。

節弥さんは、怖くなってマグロ船を降りました。でも、身体はやられてしまっているし、となれば仕事も見つからない。でも、お母さんに家を建てるって約束したんだから、と節弥さんは再度、マグロ漁船に乗ることにしました。そして、三浦沖で、・・・また核実験に遭います。そしてまた、被爆。節弥さんは、怖い怖いと、海に飛び込んだそうです。でも、その海は・・・。

節弥さんはその後、久里浜の病院に入院することになりました。被爆者特有の呼吸器障害、視力障害に酷く苦しみ、そして・・・。1960年8月の夜、節弥さんは、病院を抜け出して、近くの海に身を投げたんだそうです。まだ、27歳だったそうです。(藤井節弥さんについての記事。こちら、そして、こちらなど。また前回購入した「ノーモアヒロシマ・ナガサキ」内の記事を参考にさせてもらいました。)

 

 

YouTubeから、核実験の映像をふたつほど(こちら、とこちら)。身体が震えるほど恐ろしい。でも、本当に恐ろしいものなんだって知らないと、それを知らない人が・・・また実験したくなったりしたら、困るのです。

 

こんなこと書いて、信じてもらえるかどうか分らないんですけど、先日、夢を見たんです。バンドメンバー数人と東京の喫茶店のようなところで、普通に話しをしていたんです。そしたら突然、何の前触れもなく、空がピカッ!って真っ白に光って、そして、ドーン!って、大きな、ズーンと響く音がして。

瞬間的に、分りました。僕は、目の前にいた圭ちゃんと目を合わせて、

「核爆弾だ。」

そして、

「あ、とうとうやりやがった。あーあ、終わりだ」

ってすっごく残念に思った、その次の瞬間、目の前に物凄い爆風が迫ってきて、

・・・目が覚めたんです。寝汗を一杯かいていて、まだ心臓がドキドキしていました。

21日、広島のホテル、朝8時半過ぎのことでした。

 

 

今日は献血に行ってきました。

帰りには、近所でもあちこちに桜が。

暖かいですものね。今年もいよいよ、春ですね。

 

ではー。



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広島に原爆が落とされたのは、何年何月何日でしょうか?

なんと日本人の5人のうち3人が、広島でも4人に1人が答えられない、という調査結果を知りました(2005年 NHK調べ)。

日時を正確に知っている、とか、知らない、ということが問題じゃないのですよね。その日に広島で、長崎で、何が起こったのか、何故起こったのか、そして、どうなったのか。それを知らないことは、まずいんです。

何があったのか。それを知っていくと、その段階で、自ずと、いつのまにか日時くらいは頭に焼きついてしまうと思います。でも、それだけの日本人が、その日時すら知らないと言うことは・・・原爆のことを知らないということにも繋がっているなんじゃないかなって思います。怖いことだと、本当に思います。

もしも今「いつだったっけ。・・・答えられなかったよー」、でもいいんです。でも、だとしたら・・・せっかくですから、今日、覚えて頂けたらなー、と思います。これからの子供たちに、いや、世界中の誰に訊かれても、すぐに教えてあげられるように。

 

広島への原爆投下は、1945(昭和20)年8月6日のことでした。長崎に投下されたのは、その3日後の8月9日でした。

そして戦争の終了を告げる玉音放送が行われたのは(いわゆる終戦の日は)、そのすぐ後の、8月15日のことでした。

 

平和記念資料館の地下では、期間を区切って様々な企画展が行われています。今は、「菊池俊吉写真展」が行われています(~7月15日まで)。原爆投下2ヵ月後と、2年後に広島を訪れた写真家の写真展です。これらの写真は戦後長らくアメリカに接収されていましたが(←こういう事にも不条理を感じますよね。当然、証拠隠しです)、そして、30年近く経った1973年に返還されたものです。

 

原爆がこの上空600mで炸裂(原爆ドームのすぐ側です)。真下にあった島病院の厚さ1mのレンガが、「一瞬」で砕け散った様子だそうです。病院の真上に原爆を、いうのもあまりにも腹立たしいですが(軍施設じゃないですからね)、それを言ったら、そもそも何故、広島に、何故、長崎に、ということになりますが、・・・今日はそこは置いておきます。

写真にもどりますが、日本にも、こういう光景が存在したんですね。今時折テレビで放送される、イラクやアフガニスタンなどの爆撃被害にあっている場所と、そっくりではないですか。こんな光景を前にして、人は・・・どのくらいしたら絶望から立ち直れるのでしょうか。

 

見渡す限り、吹き飛ばされています。まさに、破壊、です。そして、この何十、何百倍もの威力を持つ原水爆が、今の世界には、何百、何千とあるかと思うと、背筋に冷たい汗が走ります。

写真展では、かなりショッキングな写真もありました。僕の後から入ってきたカップルの女性の方が、突然座り込んでクスンクスンと泣き出してしまいました。もしかしたら彼女は、・・・写真を見てるうちに、写真の世界の中に入ってしまったんじゃないでしょうか。だとしたら。でも・・・こんな光景を前にしたら、泣き崩れるのは正常な感覚だよな、と思います。彼氏がしばらく介抱して、また二人は歩き出していましたので、一安心でしたけれど。

中国新聞のこちらのページの一番上のボックスに、「ヒロシマの記録 菊池俊吉が撮った原爆写真Ⅰ~Ⅲ」というリンクがあります。菊池さんの写真がいくつか見れますので、ご興味のある方はどうぞ。僕も数十枚、複写させていただいてきましたが(平和公園内の施設では、基本的にフラッシュを使わなければ撮影は許可されています)、直接載せるのは止めておきます。僕がここに載せることで、ご覧になられた方の具合が万が一にも悪くなられたらまずいですからね。

 

平和記念公園内には、何度か訪れている平和記念資料館のちょっと奥に、国立原爆死没者追悼平和祈念館という建物がありました。僕は、今回ここを初めて見つけて、初めて入りました。今まで、なんで知らなかったんだろう。

 

入るとすぐ、「しまってはいけない記憶 -助けを求める声を後にして」という企画展が催されてました。被爆直後に、家族や友人を「助けたくても助けられなかった」という体験が30編ほど寄せられており、うち3編が映像化され、室内でリピート放送されていました。

 

外国人の方も、沢山見ていました。どこから来た方で、実際に広島の地を踏んで、こういう場所で、こういうものを目にして、いったいどう感じるんだろう、と興味があります。この方々は、ご夫婦のようでしたが、とても真剣に見入っていました。ほんと、ゆっくり話し合ってみたいです。勿論、平和的にですよ。

 

このような感じの落ち着いたスペースで、被爆者の方の直筆の文章を読むことができます。直筆は、痛かったです。生の言葉と同じで、ずっしりと響いてきます。内容は、すぐ先ほどのリンクからも2編、読むことができます。是非。

 

とある方の体験談。ページの中ほどに、こう書かれていました。「・二度とよみたくないので誤字もあり よみにくいけど書きなぐっただけですので失礼します」

この方は、瓦礫にはさまれて動けない母親を助けることができず、迫り来る火の手に「このまま母さんと一緒に死のうと思う」と母親に言ったそうです。すると母親が弱々しい声で、「おまえが逃げられるのなら、逃げなさい」とキッパリといい、この方は「ここで逃げたら母さんに永久に会えなくなる、とガックリしました。それから一度、二度、三度と、助けることができないという事しか、母さんに言えなかった。そして最後には『もう行くよ』と言って、道路の方へ逃げていった。猿股だけしかはいていないので、火の粉がふってあつかった」とありました。

この方の体験談は、映像化されていました。

 

僕は7~8編を読ませていただきました。途中で、涙が止まらなくなり、読めなくなることもありました。身内を、言葉は悪いですけど、・・・見殺しにしなきゃいけない。あまりにも残酷で、無慈悲で、痛烈に悲しい体験談ばかり。でも、これがついこの間、ここで現実にあったことなんですよね。そして、これは、絶対に受け取らなきゃいけないメッセージなんですよね。

 

建物内には、追悼空間なるものが。ここには、何だかひんやりとした、厳かな空気が流れていました。

 

中へ入ると、螺旋状に地下へ続く薄暗い廊下になっています。そして、壁のところどころに、原爆に関するメッセージがあります。僕はこの「誤った国策により」という文章に強く共感します。

どの国の、とは明記されてはいません。ですから、日本の、や、アメリカの、という具体的な事ではないでしょう。参戦した世界中の国の「国策」が問題だったわけで、これからも「国策」が問題なのです。そこに住む人々そのものではなくてね。

例えば僕はアメリカが嫌いではありませんが、戦争をするというアメリカの国策は大嫌いです。他の国を思う時も、同様です。そしてまた同様に、日本に対しても、時々憤りを感じることがあります。憲法改正、なんて言葉を聞いた時には、特に。

 

廊下を抜けると、亡くなった方と同じ数のタイルで作られたという、広く静かな空間が広がっています。ここを訪れたら、是非とも中央の水の湧き出るモニュメントのすぐ側まで進んでみて欲しいです。僕もビックリしたんですが、音が、空気が、ここだけ違うんです。そこに立ってみると、耳がツーンとして、静寂と水の音に包まれるような感じがします。

 

そして、ホールを出ると、そこには。

壁一面に、原爆で亡くなった方一人一人の、お名前と、顔写真がゆっくりとスクロールされていました。数十万人とも言われている犠牲者は、一人一人の積み重ねであるという、現実を改めて突きつけられます。

またここでも、涙が止まらなくなり。

ここで感じたのは、強い怒りでした。何故、この人が、何故、この子が、という。

 

ロビーに戻ると、被爆直後の街の様子や、10万編を超える被災者の方の体験談をビデオで見ることができる「体験閲覧室」という部屋があります。

今、僕が見ているのは、当時の動くカラー映像です。「撮影:米軍」とありますが、馬が、荷車が、本当に動いています。人が横切っていきます。作り物でも映画でもなくて、こうして本当の当時の映像を、まさかカラーで見られるとは思っていませんでした。

 

昭和21年、下村時計店、とあります。天気が良い様ですね。38秒の無音の映像です。時折、やはり馬車や人が通ります。

じっと見ていましたら、

 

映像の中を行く子供をおんぶした女性が、・・・突然、こっちを振り向いたんです。

変な言い方ですが、僕は62年前の彼女と、今、目が合ったような気がして。

ドキっとしました。

 

「どうですか、62年後の世界は。大丈夫ですか?」って言われてるような気がして。

 

どうかな。

・・・どうですかね?おばあちゃん。

 

僕はー・・・、正直なところ、憂いています。

だって、核爆弾は、あれからずっと、増え続けているんですから。

「彼ら」にとっては、広島や長崎が、その威力の実証にでもなってしまったかのように。

 

止めなきゃ、です。

戦争はもとより、核は、本物の悪魔です。

不拡散、そして、廃絶へ。

力を合わせましょう。

 

(広島については、昨年、10月12日のブログにも書いていますので、よろしかったら。)

ではー。



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2月2日のブログで、このJUPITER-8のことを書きましたが、覚えていらっしゃいますでしょうか。えーっと、写真は上から、にー、しー、ろー・・・七枚目ね

えっと、話の流れ上、もう一度、あの日の記事を、そのまんま抜粋します。ごめんね、何度も読ませちゃって(笑)。

 

『あぁ・・・(クラクラ)。

僕にとっては、・・・神々しいを通り越して、「神」と言っていい一品です。これは日本製で「JUPITER-8(ジュピター・エイト)」と言いまして、1981年に発表されました。当時の定価で、98万円という超高級機。しかし値段はさておき、何よりも「厚見さんのJUPITER-8」といえば、あのVOWWOW(←ヴァウワウ。高校時代、僕が部屋にポスターを貼って毎日眺めていた憧れのバンド)のキーボードサウンドを構築したメインの楽器といっても過言ではありません。VOWWOWと言えば、JUPITER-8、これは知ってる人なら誰でも知っている一般常識問題です(笑)。本当に美しい機材です・・・ウットリ(←わからないでしょうねぇ(笑))。

これは僕が「あれ・・・今どうなってます?もしここにあったら、良かったら、ひと目見せてください」とリクエストして、見せてもらった一品です。「あ、見たい?いいよー」と軽くOKしてくれましたが(笑)。そしてこのJUPITER-8については、とんでもない後日談が付くんですが、それはまた近々改めて・・・。』

 

でねでね

これが、あのJUPITER-8が、今、ほら、なんと僕の部屋に!盆と正月が一緒に来ても、ここまでビックリはしませんが、JUPITERが来たとなったら、もう。

 

・・・これは、舞うしかありませんよ(笑)。

 

 

実はあの日、厚見さんに、「あー、川村君、もし良かったら持って帰って使っててもいいよ。最近全然使ってないから。」って言ってもらってたんです。

「はぅうっ!まっ、まじすか!」

「うん、いいよ、色々触って、遊んだら?」

「ぅあああーーp9あd△kpgふぇs9pj4@」・・・とまるで言葉にならない感じで、ケースから出してみると、なんと、長らく使っていなかったせいで接点不良を起こしていたんですね。パパからもらったクラリネットじゃないけれど、音の出ない鍵盤がある。楽器は、特にこういう古いアナログ楽器は、触ってないと(電気ものは、電源を入れてないと)、やっぱり不具合がでるんですよ。生きてるみたいに、ちょっとスネるんです。

そこで、、あの日、知り合いの修理屋さんに修理に出しに言って、めでたく先日、修理が完了したんですね。そして、厚見さんから、「川村君、修理代金はもう僕が払っておいたから、好きな時に引き取りに行って、そのまま持って帰って使ってていいからね。」という連絡が

 

そして、今、僕の目の前に

 

ルックスもポップでカッコイイですからね、例えば最近でも、アリシア・キーズの昨年のグラミー賞受賞作「No One」のPVでも、彼女自身が弾いてますね(40秒辺りから)。古い楽器ですが、個性的でポップなルックスが今、またカッコイイんでしょうね。

音はね、80年代に世界中のアーティストに本当に良く使われてましたので、挙げたらキリが無いほど。YMOなんかのテクノでのサウンドはとても有名ですし、デュラン・デュランとかジャーニーなんかの英米80年代ポップ&ロックでもメイン機材にしてるアーティストが沢山いました。当時はキーボード・ブームでもありまして、物凄く沢山のシンセが発売されていた時期なんですが、実はJUPITER-8は、どちらかというと「軽くポップなサウンド」なイメージのある機材なんです。

でも厚見さんは、あえて当時、これをハードロックに持ち込みました。そして、山本恭司さんのギターとの相性が抜群だったのもあって、本当にキーボード界がビックリしたんですよ。めちゃめちゃ衝撃的だった、プラス、そのプレイスタイルも含めて、斬新だったんです。とにかく、VOWWOWのキーボード・サウンド言えば、JUPITER-8だったんです。

 

VOWWOWに関しては、もうどれを聴いても、JUPITERのサウンドは聴けるんですが、解り易いとろこで、二曲ほどご紹介しますね。勿論、VOWWOWでの、厚見さんのプレイから

1987年、イギリスで録音された(←当時、VOWWOWは日本からイギリスへ拠点を移して活動していたんです)「Don'T Leave Me Now」のPVから。

イントロからしてもう、JUPITER-8のアルペジオで始まります。曲中でも9割位が、JUPITER-8のサウンドで構築されています。映像でも、要所要所の厚見さんの手元のアップでJUPITER-8を弾いているのがわかります。かっこえーっすなー。

そして、もう一曲、こちらは当時のライブ映像から「Nightless City」という曲を。シンセのみならず、オルガンやピアノも駆使する厚見さんですが、こちらの曲でもやっぱりメインはJUPITER-8。そして注目は、2分40秒辺りからの、キーボードソロの映像です。厚見さんは、常に6~8台くらいの鍵盤を使っていましたが、いつだってJUPITER-8はステージ中央に向って、一番弾きやすい一番上にセッティングされていました。まさに、メイン機材ってわけですね。憧れましたよー

そして、この映像、ソロ終盤の3分3秒あたりから手元がアップになります。ここ、ポイントです(笑)。

・・・どうですか、今日のトップ写真でもおわかりの、黄色とオレンジのボタンの下に番号が書いたテープが貼ってあるのが見えますね。

そう、つまり。まさに。

この時の機材が、20年の時を経て、そのまんま今、僕の目の前にある、ってことなんですよ。どーですか、奥さん(笑)。

 

勿論、お預かりしているものなんですが、厚見さんに「引き取ってきましたよ。弾かせていただきましたよ。最高です。」って、メールをしましたら「そんなに喜んでもらえて、楽器にとっても幸せだと思うよ。弾いて遊んであげててね」って。

 

えぇ、えぇ、遊びまくりますってば。何して遊ぼっかー。あ、その前に、何か食べる(笑)?

 

しかしね、「家にドロボーに入られたくない」、とこんなにも強く思ったことは今までありませんでしたよ(笑)。JUPITER-8があるうちは、絶対に来るなよなー

 

・・・まぁ、できたらその後も来ないでね(笑)。たいして何も無いけど。・・・何のお構いもできませんので(笑)。

ではー。



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昨夜は、「あんまり早く寝すぎて、変な時間に目が覚めても厄介だ」と、結局10時過ぎくらいまでは頑張ったんですが、そこで落ちてしまい、15時間程眠りましたが、今度は寝すぎて少し眠いです(笑)。でも、かーなーりー復活しましたので、、追記シリーズ、今回は一気に書きました。宜しかったら、見てねー

 

さて、皆さん、色々な回答をありがとうございます。でも、残念ながら正解者はいらっしゃいませんでしたねー。まー、難しいですよ、皆さんご存知の、彼の今の姿とはかけ離れすぎてますから(笑)。

 

はい、もったいぶらずに、正解行きますよ。って、もう写真をご覧になってますね(笑)。そう、これは、「フィリックス(ザ・キャット)」なんですよー

昨日の写真のものは、このフィリックスの古いぬいぐるみなんだそうですが、これらは羽田空港第一ターミナル3Fにある「童心」というレトロなおもちゃ屋さんの前の廊下にディスプレイされています。ほかにもキューピーちゃんとかね、スーパーマンとか、古いものが沢山あって、見てるだけで楽しいですよ。羽田空港に行かれる機会がありましたら、是非。あ、でも飛行機に乗るときには、時間に余裕をもって空港へどうぞ。なんなら、空港に遊びに行くだけで見れますよー

フィリックス、1919年生まれと言いますから、もう90歳にもなる長寿ネコなんですねー。ちなみに、ミッ○ーマウスは1928年生まれですから、フィリックスの方が年上なんですね。

アメリカでは映画アニメのキャラクターとして勿論、ニューヨーク・ヤンキースのチームマスコットになったり、米空軍でもなんと勲章にのキャラクターにまでなっている程の人気なんだそうですね。

日本には1959年に入ってきたんだそうです。1960年代にはNHKでアニメ番組が作られ、その後、フジを始め全国ネットで放送された5分アニメ、「とびだせフィリックス」が、日本での人気を確定させたようです。あ、僕はさすがに本放送は観れていませんよ(笑)。

でもあの、アタリ付きの10円のガムは子供の頃しょっちゅう買っていましたから、馴染み深いキャラクターです

「ニックネーム"Tough Minded Cat"(不屈の精神をもつネコ)に示されるように、困難にぶつかっても必ず克服し、正義と希望、そして幸せをみんなにもたらせてくれるフィリックス。名前の由来はラテン語の「felis(猫)」、「felix(幸運、ハッピー)」で、「幸運をもたらすネコ」という意味が込められています。」(日本語公式サイトより抜粋)

いいですねー、フィリックス。「西洋版『招きネコ』」(同上)という説明はいいんだかどうだか判りかねますが(笑)、でも何だかお気楽で、明るい感じで、好きなキャラクターです。

YouTubeで、アチラのアニメのオープニング映像がありましたが、これ見て、もっと色々フィリックスものが見たくなりました。アッハッハッハ

 

 

番外編:ミッ○ーマウスじゃない?って方が多かったのはごもっともです。僕も一番最初は「何コレ?ミッ○ー?」って思いましたから。

でも、・・・まさかネズ○ーマウスをご存知の方がいらっしゃったとは(笑)。

ご存知のない方の為に、お教えしちゃいましょう。

僕は、ネズ○ーマウスを数年前に知って以来、ミッ○ーを見ると今でもこの歌が流れてきて仕方がありません。ってか、歌っちゃいます(笑)。

 

はい、衝撃の(笑劇の!)ネズ○ーマウスの映像は、・・・こちら

ある意味、トラウマになりますよ(笑)。

ではー。



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昨夜から溶解が止まりませんで、只今ちょうどこんな感じになってきています。

 

 

 

んなこたーない(笑)。

 

えー

山口から帰ってまいりまして、大相撲の千秋楽をテレビに齧りついて、歯型を付けつつ観終わりましたところで、突然、やたらと眠い自分に気が付きました

でも別に疲れが溜まってるとか、・・・トシとか、じゃ決して(←たぶんね(笑))、なくて。単純に一旦出し切った、とっても心地よい感じの、その余韻と言いますか

ツアーは勿論、まだまだ続きますし、ここまで約半分を終えて、何だかここからまたさらに上に行けそうな気がプンプンしております。ってか、確実に、行きますけれどもね

 

とは言え、今日は・・・眠いのです(笑)。ですので、今から、もしかしたらサザエさんとか観てて突然落ちちゃうかもしれないので(笑)、ちょっと早めの更新をねー

 

そして、今日はクイズです。

はい、どん。

 

Q:写真のワタクシは、一体誰でしょう?

 

はい、トップの写真だけで「あ、これ○○◇◇△△!」って即答できるツワモノな方も、きっといるにはいらっしゃるかと思いますが、今日は特別に、もう一枚ヒント写真を。

 

余計分からなくなりそうな写真ですけどね(笑)。皆さんきっとご存知の、とある有名な・・・アレなんですけどねー。ちなみに僕は、全然判りませんでしたー(笑)。さて、いかがでしょうかー。

答えは、明日。

・・・か(笑)、もしかして夜中にでも目が醒めて、冴えちゃったりしたらー(笑)。

 

あ、サザエさん、もう終わってるじゃないですかー(笑)。

ではー。



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吸い込まれそうだったですよ。


熔けそうだったですよ。


ってか、ちょっと溶けたかも。チェックしなきゃ。

 

 


いやー、ほんとどうにかなるかと思ったです。

 

何かになるかと思ったです。

 

・・・何によ(笑)。

 

いやしかし、とにかくありがとうでした、山口、

\(゜ロ\)(/ロ゜)/わわわわ~い!楽しかったねー!

 

---追記。---

この日は、ライブの後、全スタッフさんも交えてのツアー中打ち上げ(「なかうちあげ」、と読みます。ツアーの真ん中くらいでやるんです)だったんです。

飲みに飲んで、食べに食べて、笑って、騒いで・・・、

 

会場を後にするバスに乗り込んで、ふと時計を見上げると。

「AM 5:41」の文字が。でたー、朝までコース。いや、この現場にしては、まだまだ浅い方かもですが、それでも(笑)。

 

ホテルに帰って、シャワー浴び、昨夜のライブの録音をチェックして。気が付けば、もうすっかり外は明るくなっておりましたが、・・・寝て。

 

起きて。

ベッドに腰掛けつつ、寝ぼけた顔で、「ヨーグルト 健康」を。他に種類が無かったのもありますが、名前が気に入ったのもあって(笑)。

 

空港で、カキフライ定食を。頭がボサボサだ。・・・あ、いや、髪の毛が、か。いや、この時は頭も全然、ボサボサでしたので、両方、ボサボサ。でも食欲だけはあり(笑)。

撮影、「カメラ貸せ。撮ってやるよ。」と、金髪さん。

 

この日は山口は雨でしたが、やはり雲の上は、雲ひとつ無い、晴れ。

それにしても、この日の雲上の景色は、とてもカメラでは納めきることが出来ない位、素晴らしいものでした。

空、空、空。どこまでも続く、怖い位なめらかな、真っ白い雲。飛んでいるのはずなのに、スケールが違いすぎて、景色がまったく動かない。

あぁ、窓を開けたいなぁ(←あり得ない位の大迷惑)、顔を出したてみい(←即死)。でも(笑)、本当に、そう思っちゃうくらい、素晴らしかったんですよ。

隣に座っていた金髪ケンさんと「これ、操縦席で180度のパノラマで見たら、やばいですよね」と話しました。

「龍とか、ありえないもの、見ちゃいそうですよね」

「だな」

「・・・ドラえもんとかも(笑)」

「・・・いそう、いそう(笑)」

 

いや、ほんと、そんな気にさせる神秘的な空だったんです。神秘的な空見て、出てくるのがドラえもんってどーよ、って話ですけど(笑)。

 

とにかく、ほんとに、ありがとう!

ではー。



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なんかつい最近、聞いたような言葉ですが(笑)。


・・・広島駅にて、またもや発見。

デキタテアツアツブーム到来かヘ(ё)ヘヤッタネ。

 

しかし。


「あのー、この『デキタテアツアツのあなごめし』一つ下さい」


って言ったら、お姉さん、


「はい!ありがとうございます!」


って、横に山積みしてあったやつから一つ(笑)。

 

・・・まぁあなご焼くのは時間がかかるもんね(笑)。


でも金髪さんの頼んだオニギリは、その場で握ってくれてましたよ・・・お兄さんが。


でも、このあなごめし、とってもうまーでしたよ。ほんのり温かくて(笑)。


さて、山口へ・・・一駅30分の旅~。

 

---追記。---

証拠。

看板の右側の白字にご注目。

「◇当店自慢 出来立てをお届けします◇」

 

 

・・・ってか、しつこいな、僕も(笑)。

食べ物のうらみはなんとやら、かいな。

いや、たぶん、神戸の(ステーキ弁当の)後じゃなかったら、ここまでは言ってないですよ。あれがインパクト凄すぎたんですなー(笑)。

でもね、考えてるんですけど、今度行った時には「すみません、焼きたてが食べたいんですが、焼いてもらえますか?何分かかりますか?」って訊いてみようって思って。待つ時間があったら、ですけどね(笑)。たぶん、焼いてくれそうな予感がするんですよね。

うまいぞー、きっと・・・

 

・・・やっぱり、しつこいな(笑)。

ではー。



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盛り上がりましたなー。


ぶち暑かったですなー。


ぶちお腹すいたねー(←僕だけか)。


でもほんと、


・・・ぶち楽しかった!


ぶちぶちぶいぶい~(´∇`)V。


あ~、まだテンションが変(←いつもか(笑))。

 

広島、ぶち最高!

 

---追記。---

お腹はいつだって空くのですが、この日はライブが暑かったせいか、またやたらとでした。

そもそも昼間、平和記念公園を4時間近く歩き回ったというのもありまして(←会場に着いたらカズさんに「あれ?ケンちゃん、日焼けした?」と言われました(笑))、お昼からお腹がペコペコ。

 

こちら、お昼ご飯です。

この日はハンバーグ弁当だったのですが、ご飯は「ジャーからお好きなだけどうぞ」、というシステムだったので、僕は三人分ほどいただくことに(他のメンバーとの比較(笑))。絶対におかずが足りなくなるので、なめたけと、鮭フレークと、ごはんですよ(山のアチラ側に(笑)、ごっそりかかっています)の三色がけ。

それでも、ライブ後には、お腹が減って減って、お好みを・・・

あ、お好みについても、また日を改めて書きましょう。

ではー。



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誰が何と言おうと、120%間違いだったと、

心から思う。

---追記。---

沢山のコメントを、本当にありがとうございました。

 

広島、そして長崎にに原爆を落としたことで、それが「とどめ」のような役割をしたことで終わったとされている、第二次世界大戦。

日本は、あれから一切の戦争を放棄しました。

 

では、世界には平和は訪れたのでしょうか。

・・・例えば、日本に原爆を落としたアメリカは、あれから現在までの63年で、世界中で12回もの紛争、戦争に関わっています。あれからも、およそ5年に一回のペースで、ずっと戦争をしているのです。そして毎年、軍費を増やし続け、兵器を作り続け、今も、今日も、今夜も、戦争中です。

 

今回の広島でのことについては、また改めて時間をとって、書きたいなと思っています。

 

写真は、元安川にかかる平和大橋から。左の建物が平和記念資料館。右手奥に、原爆ドームが見えます。

ではー。



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美味しそうに見えませんが(←パンダの限界(笑))、牛蒡(ゴボウ)の揚げたので・・・劇的にウマーなんです。

 

↑パンダの限界、保存しておきましょう(笑)。

 

お好み焼きは今日はお預けですが(ё_ё)、この牛蒡は凄いですよ。


牛蒡の揚げたのの概念が変わります・・・


って、


無いか(笑)。「牛蒡の揚げたの」のスタンダード・イメージなんて(笑)。

広島の新たなる名物に推薦です。

 

お供は「焼き芋焼酎」です。いやー、初めて頂きましたよ。

焼き芋って(笑)。


むしろ食べたいですよ(笑)。


バターたっぷり塗ってね(笑)。

 

あー('-'*)。

 

---追記。---

これが、焼きいも焼酎だ。

 

割と、良心的なお値段。

遠くで、ドラムスの亘さんが何かを説明してくれていて、圭ちゃんがそれを熱心に聴いています。

・・えー、決して踊っているとか、そういうのではありませんよ(笑)。亘さんに限って、いくら酔ってもそういうことはありえません。僕じゃあるまいし(笑)。

 

僕も別に、酔ったからって毎回舞うわけじゃあありませんが、確実に毎回、お腹の中では色んなものが舞うことになります。

この日は和風の居酒屋さんだったにも関わらず、「言ってもらえば何でも作りますよ」というマスターに甘えて、「あ、じゃあこのメニューの『大葉と明太子パスタ』が食べたくて、でもこっちの『じゃこめし』も食べたいので、パスタにじゃこをトッピングしてもらっていいですか?ダメですか?」

と伺うと、

「えぇ、ダメじゃないですよ(笑)。いいですよ」

と快く言ってくださいました。おまけに、海苔まで乗せていただきました。

「じゃ、僕もそれ!」とマリオさんが乗ってきたので、言いだしっぺの僕は、明太子とじゃこの取り合わせが本当に美味しいのかどうかは少し不安だったのですが、・・・なかなかのものでしたよ。だって両方とも魚なんだし、合わないはずはないですよねー(←この理屈が毎回通るとは思えないけど(笑))。

ではー。

 



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