ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




小さな旅に出ております。ピアノメインっちゅーわけではないのですが、でも素敵なピアノとの、豊かな音との出会いがありました。あぁ~やっぱいいなぁ~(涎)。青い空、お昼寝、ほっと息抜き、のどかな時間、まるで僕は・・・リラックマ(笑)。


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祭りの、あと。ふぅ(;^_^A、まだ血液がしゅぽしゅぽいってますわ。清木場俊介という、彼もまた、ずっしりと担ぎ甲斐のある素晴らしい大御輿。もっともっと大きく、重くなっていくことでしょう。こっちも鍛えとかにゃっ(笑)!


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いやいや、のび太くんじゃないし(笑)。超楽しかった~。「え~、次で最後の曲ですが」「え~っ(;_;)?」←これ僕(笑)。ライブって何でこんなに楽しいんだろか。なんでこんなに笑えるんだろか。何でこんなに感動するんだろか(喜)。

---追記---

ドラえもんね、すんごい飛びましたよ。天井に吊るされてるミラーボールのところら辺まで!7~8mはあるんじゃないかな。でもね、高く飛びすぎちゃって、途中で電波が届かなくなっちゃって、「ふらふらっ」って一瞬意識を失ったようになって、落ちかけたんですけど、またすぐ電波捕まえて、持ち直して、飛んだんです。なんかね、泣けた(笑)。そして、かっこよかった(笑)。

あ、楽屋でも飛んでもらったんで、見てあげてもらえます?ドラの勇姿

・・・後ろ向きだけど(笑)。

ではー。ぶぃーん。



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今日はまたサッパリとしに出かけてきました。しかしなんで美容室の鏡の前って、あんなに自分がみすぼらしく見えるんでしょうか。明るく照らされ、ピカピカの大きな鏡の前で、カットクロスから首から上だけ出した濡れ髪の自分を見るたびに、見ちゃいけない何かを白日の下に晒されたような、居心地の悪さというか、微妙な気恥ずかしさを感じるんですが(笑)。皆さんは、そんなこと、ないですか(笑)?それにしても、いつもより短めにカットしてもらったら、なんだか「ますだおかだ」の小さい方みたいだな、と。

写真は一週間ほど前の、ZEPP仙台にて、開場前。僕の左の方は、タラコ(TARACO)さん(以下、タラちゃん)、と言います。同じお名前ですが、某ちび○子ちゃんの声優さん、でないことは写真でなんとなく判っていただけるかと思います(笑)。

今や伝説のバンド「阿Q」のボーカリストとして89年にデビュー。解散後、主にギタリストとして大活躍、今は地元仙台を中心に後進の指導にあたられております・・・もーちょっと詳しいプロフィールとコラムを発見しましたので、今日の最後にURLを乗せておきますね。是非。

約6年ぶりの再会でした

今から、もう10年近く前、僕はバンドを辞め、サポートミュージシャンとして、あまりにも頼りない暮らしを始めたばかりの頃、最近では特命係長でお馴染みの、高橋○典くんのサポートバンドの一員として、タラちゃんに出会いました。タラちゃんは、○典くんがデビューしてすぐから、まさに彼の右腕的ギタリストでした。僕も○典くんとはその数年前の、彼の2ndアルバムのレコーディングに参加してから交流を持ちまして、その後、ツアーに参加することになったんです。

○典くんのバンドは、いつも凄腕のミュージシャンが集まっていて、exパーソンズの本田毅さん、exすかんちの小畑ポンプさん、ex.レベッカの是永巧一さん、高橋教之さん、F.O.D.の山田亘さんetc.、勿論皆さん最高にいい人ばかりですが、僕如きと違って、キャリアもバッチリあり、もう十分に世間的にも認知された、「本物のミュージシャン」ばかりだったわけです。

最初に関わったのが、たしか26歳でした。「すごいメンツとやれる。こりゃ勉強になる。神様ありがとう。」喜びで、最初はとにかく、無我夢中。何を考えて演奏していたのか、まったく思い出せません。ただ、今だからわかるんですが、音楽的には超未熟児。きっと皆さんにもご迷惑ばかりかけていたことと思いますが、それなりに可愛がってもいただき、ただただ、がむしゃらにやっていました。

ただのがむしゃらも、やり続ければそれなりにパワーになるようで、その後3年ほど、○典くんのサポートをさせてもらいました。しかしその3年後の、僕が参加した最後のツアーが、僕にとって、ひとつの「どん底」でした。

まぁ、ここで詳しく説明するのもアレなんでザクっと端折りますが、つまり、すっかり自信を、無くしちゃったんですね。年齢的にもそういう時期だった、とも言えるんですが、兎に角、長いツアーの中程だったのに、心が、折れかかっちゃってたんです。ステージに立っている間は、お客さんにもチカラを貰い、それなりに楽しくやっていたように思います。でも、ステージを降りると、なんだか辛くて、とにかく苦しくて。皆、何も言わないけれど、心の底では心配していてくれたんだと思います。そんな空気はうっすらと伝わってきていましたから。そんな中、タラちゃんだけは、全然いつもと変わらず、ニコニコと接してくれてたんですけどね。でも、うまく応えることは、出来てなかったと思います。

ある移動日の日、○典くんとタラちゃんと僕の3人で、どこか地方のホテルの部屋で、部屋飲みをしたんです。で、酔いもいい感じで廻ってきた頃、タラちゃん(当時32歳位かな)が「ぼくはねぇ、40歳になったら、他の仕事するんだー。人生で二つ、仕事したいから、半分の40歳で音楽は辞めよっかなー、って思ってる。」と言いました。

僕は、サポートの仕事をしてる、とは言え、まったく不安定で、ですから当然お金も無くって(当時吸っていたタバコ代にすら困ったこともあります)、「やり続けたい」っていう気持ちだけはあったんですけど、「じゃあどうしらいいのか」がさっぱり判らなくて、明日が不安で、不安で、ミュージシャンとしての自分にも全然自信が持てなくて、周りばっかりが良く見えちゃって。そんなネガティブな気持ちで一杯になりすぎちゃって、もはやその時の自分の足元すら、ちゃんと見えなくなってさえ、いたんです。

当時、絶好調に仕事をして超売れっ子だったタラちゃんの口から「ミュージシャンを辞める」なんて言葉を聞いて、内心とってもビックリしたんです。え、これって、辞められるものなの?ってか、辞めても・・・いいの?って。

そして僕の口から出た言葉が。

「じゃあ俺も、もう辞めよっかなー。」

・・・ものすごい甘え、そして、ずるい一言。タラちゃんは、前向きに、他の仕事もしてみたくて選択する「辞める」。僕のは完全に、ただの逃げ、でした。言った自分が、自分で胸が潰れそうなほど判っていましたけど。でも、それを肯定してもらったら、楽になれる。そんな気持ちがあったんだと思います。

するとタラちゃんが、

「あ、ダメだよー。ケンちゃんはね、えっとー、すくなくとも35(歳)までは続けなきゃ、ダメ。35までは、やんなさい(笑)。」

「え、35・・・まで?」

一体どうやったらこの厳しい業界で、そんなに遥か先まで(約6年先)続けることができるのか、皆目見当もつきませんでした。ただ、そう言われてしまって、「そうなのか、大変だな。」と漠然と思ったことだけは憶えています。

35歳。誕生日を、初参加だった安室ちゃんツアーの初日を数日後に控えたゲネプロ会場で迎えました。このツアーは追加に次ぐ追加で、最高に盛り上がった台湾、韓国を含む40本もの長いツアーになりました。そしてそれが終わるとすぐに柑橘系の「夢の地図」そして「1~ONE~」。こちらも合わせて40本を越える、忘れられないツアーでした。合間にはへきるちゃんのツアーもあり、とってもとっても、充実した一年でした。そして次の年明けには、今まさにツアーを廻っている、清木場俊介くんと出会いました。

とは言え、決してそこまでがずっと順調だったわけじゃありません。それなりに悩みまくりましたし、そんなに強い人間じゃないんで、明日を諦めかけたことだって、やっぱり何度かはあったんです。でも、そんな時、必ずいつも救ってくれる人との出会いがありました。本当に人の縁って、不思議です。その結果として、まぁこうしてそれなりに楽しい充実した毎日を送ることが、出来ているんです

そりゃこの先にだって、不安が無いと言えば嘘です。ってか、本当は不安だらけですよ(笑)。でも、ちゃんとやっていれば、きっと誰かが見ていてくれている、って信じられるようにはなりました。焦らず、でもサボらず、えっちらおっちらでも、毎日美味しくゴハンを食べて、明るく笑って生きていけたら、そして少しずつでも成長していけたら、こりゃあ楽しそうだな、と今は思っています。音楽、今とっても楽しい。絶対に、辞めたくなんか、ないです。

タラちゃんね、

「えっ?ケンちゃん、バンマスなの!?うわ、すごいすごい!やったーっ!」って、両手でガッツポーズして喜んでくれたんです。「あはは。実はね、去年の安室ちゃんでも、やらせてもらったんだよ」って小声で言うと、「よっしゃあーっ!」って、もう一度、ガッツポーズ。

あのガッツポーズ、絶対にずっと忘れられません。がんばって、よかった。辞めないで、よかった。そんでもって、もっとがんばろう、って、そんなクサいことを、心の底から思いました。そして、僕はまた何だかこの人に救われてしまったような気がします。僕にとってタラちゃんは、本当に、本当に恩人です。

「あ、んじゃ、ぼくそろそろ、行かなきゃ。本番、頑張ってね~。」と若いバンドのプロデュースの為に(ノーギャラでやってるって言ってました。って、タラちゃんも40をだいぶ越えてますが、結局音楽は、辞められなかった、ということなんですね(笑))ふらりと出て行ってしまいました。ライブは見てもらえずでしたけど、きっといつか、また。

あ、そして帰ってきたら、凄く久しぶりに、突然○典くんから電話がありました。「いやー、どーしてっかと思ってさー。」だって。わらっちゃう程の、このタイミング(笑)。30分ほど、近況やら、よもやま話を。こーいうのも、絶対にタラちゃんパワーだと思いますわ

僕も、誰かのために、あんな風にガッツポーズができるような人に、なりたいなぁ。

さて、明日、明後日は「清木場祭」の最後を締めくくる、東京公演です。気合いれて、祭ってきます。楽しむぞぉー。

ではー。うっしゃ。

「仙台カフェ」(タラちゃんの情報があります)

http://www.sendai-cafe.com/modules/navi/singlelink.php?cid=271&lid=510



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少々気が早いかもしれませんが、冬には鍋っ。冬じゃなくても、肌寒い日には鍋っ

鍋・・・「な」を煮る「へ」。「な」とは菜の花とか、肴(さかな)の「な」、転じておかずの総称ですナ。「な」を煮る為の、容器・瓶(かめ)を「瓮(へ)」と言いました。合わせて、なへ→なべ。

写真は先日お邪魔した博多で食べたモツ鍋です。

モツとキャベツ、ぶつ切りにした大きな大蒜をタップリ。唐辛子を廻しかけ、あとは少々煮るだけです。この鍋に蓋は無くて、その代わりが、この大量の韮。この山盛りの韮が、蓋の役目をするんですよ。

モツ・・・臓物(ぞうもつ)のモツです。動物の内臓ですね。これを「ホルモン」とも言いますが、この語源、本当はドイツ語の「Hormon」、ほら、そのまま男性ホルモン、や女性ホルモン、副腎皮質ホルモン、なんかのホルモン(体内化学物質の総称)なんですが、まぁ「関西でなー、この内臓は昔は食べないで捨ててたからなー、まぁ「放る(捨てる)物っちゅーことで、ホルモン、ちゅーんよ。」という良く聞くお話のほうが、飲み会向きですよね(笑)。

モツ鍋をいただく時は、僕は大好きな大蒜をめちゃくちゃ大量に入れちゃいます。健康にいいですしね。体も本当にポッカポカしてくるし。生姜も身体を温める効果がありますが、こちらは即効性(生姜湯など)で、大蒜は遅効性。なので生姜よりも長~く温まります。ま、匂いはご愛嬌ですけどね。ラーメン屋さんのカウンターにおろし大蒜が置いてないと、僕はちょっと寂しく感じます。侘(わび)しくなります。切なくなって、さらにはひもじく・・・って、いくらなんでもそれほどじゃないだろ~っ

えー、でも。でも(笑)?お鍋って、本当に美味しいですよね。ヘルシーだし。メルシーボークー。いや、えー(笑)、み、皆さんはどんなお鍋がお好きでしょうか。僕は、まぁ闇鍋以外なら何でも好きですが、昆布出汁と醤油のサッパリした鍋なら、冗談抜きで三ヶ月毎晩でもOKです(笑)。やーほんと鍋うまーい。鍋おいしーい

おいしい・・・「いし(美し)」とう「美しい」という意味を表す言葉に「い」が付き、「いしい」に。それに接頭語の「お」が付き、「おいしい」になりました。本来は物事が「素晴らしい」とか「優れている」「見事だ」という時に使われていたのですが、昔の女性が、食べ物が美味な時にこの言葉を使い出し、広まったんだそうです。そして男性は「うまい」を使っていたそうですね。こちらは元々男性言葉のせいか、今でも「おうまい」とは言いませんね(笑)。「うまい話」、「おいしい話」などと言いますが、これ同じ意味なんですが、なんとなく「お」が付いている分、「おいしい」の方が丁寧な感じがして、ちょっと真実味があるというか(笑)。いや、最近何かと危ないですからね、「おいしい話」にも簡単に乗ってははいけませんよ~(笑)。

さて、あらかた頂いたら、残ったスープでちゃんぽんか、雑炊を作っちゃいましょう。鍋の楽しみって、この味の二段ロケットみたいなところにも、ありますよね。さあさあっ。どっちにしましょ。

ちゃんぽん・・・リンガーハットの長崎ちゃんぽんで有名ですが(安くて美味しいので良く行きます。辛味噌を少し入れるのがお気に入りです。)、もともと「混ぜる」という意味の朝鮮語、ポルトガル語、オランダ語から。これらみんな同じ語感を持っているって、面白いですよね。北京語でも「Chan(チャン)」で、混ぜる、という意味があるそうです。沖縄の「チャンプルー」とも同義語だそうですね。そういえば、あれも色々混ぜて、炒めてありますね。

雑炊・・・お米に水を入れてかさを増す「増水」から来ています。色々具を入れるようになって、「雑炊」という当て字が生まれ、これで定着したんですね。ちなみに「米」は、元々「ヨネ」と呼んでいたそうでですが、「米」には神聖なもの、生命力が宿っているということで、「籠(こ)められたもの」、そこから「籠める」、「こめ」、と呼ぶようになったんですね。そういえば「一粒のお米には七つの神様がいるんだよ」って、習いましたよね。ってことは世が世なら、あのカッコいいバンドは、「ヨネヨネクラブ」(笑)。

となりの鍋で雑炊を、こちらではちゃんぽんを作り、両方しっかり頂きまして、さすがにそろそろ、ご馳走様。ぷぅ。お腹一杯です。思ったよりすぐ減りますけど(笑)。

ご馳走様・・・「馳走」、呼んで字のごとく、走り回ることなんですが、これはお客さんの料理を用意する為に走り回る、という意味が元になっています。そこからお客さんを「もてなす」、という意味になりまして、食べた側は、そのもてなしに感謝して「御(ご)」と「様(さま)」を付けて、ご馳走様~っ、というわけなんですね

ではー。いっただっきまーす。って今からかい~。



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公園を散策した後、学校に行くときや、遊びに行くときにいつも通っていた、家の裏手の細い路地を歩きました。ほとんどの家が建て直しをしたりして、幾分風景が変わってはいましたが、鼻をつく、この匂い。特別何の匂い、ってワケじゃないんです。でも、確かにあの頃に嗅いでいた匂いと、同じ匂いがしたんです。「そんなはずはないだろう」、と思おうとするんですが、以来他のどこの町でも嗅いだことのない、ここだけの匂い。ここだけの風。こんなことって、あるんでしょうかね

途中、とある角に建つ家の前を通る手前で、反射的に「ギクリ!」と足を止めました。

あのね、ここにね。必ずバカでかい声で「ワワワンッ、ワワワワンッ!!」吠えかかってくる、大きな犬がいるんです。毎日毎日、どんなにそっーっと通っても、必ず吠える。犬、大好きだから出来れば仲良くしたいんですけど、こやつは、ダメみたい(笑)。たまに「お、今日は静かだ。寝てるのかな。よしよし。」と思って、油断してると、塀の下から突然現れて、吠えられたこっちはいつもの倍も飛び上がるわけです(笑)。

それを思い出したんで、気をつけて、覚悟して通りました。でもね、静かなままでした。もう、居なくなっちゃったみたい。ちょっと拍子抜けしましたが、まぁ考えてみりゃ、そりゃそうですよね、そんな長生きな犬は、居ないですよね。なんだ、もういっぺんくらい吠えられてやっても良かったのに。飛び上がってやったのに。

これまた久々に叔母の家にお邪魔しました。挨拶もそこそこに二階にある従姉妹の部屋へ案内してもらいました。この写真のピアノ、当時僕が住んでいた家の建て替えと共に、近所にある叔母の家に引越しされてきていたんです。そ、これが僕が最初にピアノを練習したピアノです。ちょっと赤黒い塗装がキレイな、YAMAHAのピアノ。叔母が子供の頃に買ってもらったというピアノなので、もうかれこれ半世紀近くは経っているはずですが、手入れがいいのか、まったくきれいなままでした。蓋を開けると、これもまた、あのころと同じ匂い。いやー、ピアノの匂いって、いいですねー。昔は大っ嫌いでしたがー(笑)

8月7日のブログに書きましたが、僕が嫌いだったピアノをやめてからは、叔母の二人の娘がこのピアノで、こちらは僕と違って大層真面目にクラシックに取り組み(笑)、「二人とも音大にいけるんじゃないか」なんてくらいまで上達したようです。愛情を持ってちゃんと弾く人に、ちゃんとピアノは応えてくれるものなんですね(笑)。僕のことは、もう許してもらえるでしょうか(笑)。

この写真を撮ってくれたのが(ちょっと鏡に映りこんでいますが(笑))、その従姉妹の姉の方のS子で、お年頃は二十台半ば、結局音大には行かず、看護婦になり、今は献血カーで(出た、献血!(笑))働いております。何か弾いてよ、とお願いしたのですが「もー、全然触ってないからー。ってか、ケンちゃん何か弾いてよ。」と、うまく逃げられました。妹のT子の方は、昨年から保母の仕事をしていますので、こちらは子供の前で童謡を弾くのに役立っているとか。どんなゴージャスかつテクニカルな童謡を弾くんでしょうか(笑)。

そして、ちょっと変な話なんですが、この二人に共通してるのがですね、

 

これを読まれてる多くの方々には結構馴染みの深い言葉かと思うんですが、

 

なんと。

 

ゆ○っ子、

 

なんですよ(笑)。しかも、僕が彼らのサポートをする、以前からの。

「ケンちゃん、今度は誰の仕事やるの?」

「えっとね、ゆ○っていう二人組みの。知ってる?ほら、君を自転車の後ろに~って唄、聴いたこと、ない?」

・・・。」

「ないか。まぁ、とにかく」

「ゴメンゴメン、今、なんて?ゆ○?って言った?」

「うん」

「あのね、ケンちゃんがゆ○と一緒に、やるの?」

「うん。なんで?」

「はぁ・・・、あのね私達ね、ゆ○のファン。ファンクラブにだって随分前から入ってるんだけどー!」

「あら(笑)。」

まぁ、そんなわけで、彼女達は、僕が参加した「スミレ」ツアー以降も、全てのツアーに皆勤賞。しかも、毎回ちゃんとチケット買って(笑)。とは言え親戚なんで、終演後に楽屋で会うんですが、昨年の日産スタジアムの時には黄色いシャツに黄色い帽子というイデタチでしたので、会った瞬間に結構大笑いしましたら、「え?ダメ?ダメなの?」って少々うろたえておりました(笑)。まぁ、というカワイイ従姉妹なんで、えー、どこかイイクチがありましたらですね、よろしくお願いします。って、ここでお婿さん募集しても・・・あれか(笑)。いやいや、どこで何が幸いするかわかりませんからねー。って、これ読んでたら、ごめんよ(笑)。がんばれー(笑)。って、小さな親切大きなお世話を焼いてみた

で、タイトルの答え。何故、ピアノにレースをかけるのかといいますと、昔は、ピアノは楽器というより、一種の家具だったからなんですね。なので、サイドボードやソファ、高級車のシートにレースをかけたりするのと、同じ発想なんですよね。その証拠に。

今じゃ楽器で有名なヤマハですが、元々、タンスとか作ってた家具屋さん、山葉家具店さん、だったんですよ。ま、これが証拠ってことは無いですけど(笑)。

では。ポロン。



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親戚事があって、長く育った北区の町に足を向けました。家の前の公園、何百回と滑り降り、駆け上がった滑り台、後ろにこけ落ちて背中をしたたか擦りむいたブランコ、フラフラと「世界一周」をした鉄柵。あまりにもそのままの、風景。

---追記。---

電車に揺られ、うたた寝をしながら懐かしい夢を見たような気もします。今帰りつきました。ただいま。お帰り。

この公園には、本当に沢山の思い出があります。3歳から、小学校4年生くらいまで、ずっと住んでいた家の前にあった公園で・・・、いや、公園はずっとあった。今でもありました。僕がこの公園の前に、その期間住んで居た、ということなんですよね。

夏休みの朝には、この公園でラジオ体操をやっていました。ハンコを貰いに、6時だかに起きて、行ってました。一日寝坊して行きそびれると、その次はなんだか行き辛くて。

学校から帰ると、毎日のようにこの公園で遊びました。イロオニ、タカオニ、ケイドロ、カンケリ。泥団子作りに、さっきも書いた「世界一周」。なんのことはない、公園の周りの柵の上を歩いたり、ジャングルジムの中を「こっち、こっち!」と歩いたり。公園を一周するだけなんですが(笑)。「お前、世界、知ってる?」「うん、知ってるよ!こっちだよ。」。知りもしないのに、先頭に立って、よく歩いたものです。

砂場では、上級生の作るトンネルがやけに大きくて、きれいでかっこよく見えて。水を使って、上手に固めるんですよね。ぼくら低学年には出来ない芸当で。真似してみるんですけど、大抵水を付け過ぎて、グチャッって、崩れちゃうんですよ。

夏にはバケツに水を溜めて花火、それから夕涼み。夜中に目を覚ますと、隣に居るはずの家族が皆んな居ない。寂しくて、心細くて泣きながらも見当は付いていて、寝巻で公園にタッタカ行くと、皆、団扇(うちわ)片手におしゃべりをしてる。「あれ、起きちゃったの?」なんて言われながらも、妙に安心したりしてもうニコニコしてて。

自転車の補助輪を外して練習をしたのは、写真手前側にある道路でした。

写真右奥にあった大きな空き地では、野球。軟球でしたけど、キャッチャーをやって受け損ねて目玉に思いっきり当たって、本当に火花が出て、痛くて、痛くて。それからキャッチャーは二度とやってません。

夕暮れに、中学生同士でケンカをしているのを見たことがあります。2人くらいに10人以上が寄ってたかって。ケンカというより、あの頃の言葉で「リンチ」ってやつだったような気がします。ボコボコにされて、涙でくしゃくしゃになりながら、大声を上げて泣く中学生。僕達からしたら大人のその中学生を、何をするでもなく、遠巻きにじっと見ていた記憶があります。

突然大声を上げる怒りんぼうの、ちょっと変なおばちゃんがよくこの滑り台の横にあるベンチで日がなタバコを吸ってました。今思えば、ちょっと「うすい」人だったと思います。でも僕らを見ると「坊、今日は何して遊ぶんだ?ケッケ。」なんて声を掛けてくれました。あのおばちゃん、いっつもニコニコ笑ってた。でも、さすがにもう、いないんだろうな・・・。

思い出の一杯詰まった公園。今日、20数年ぶりに訪れて、なんだか玉手箱を開けたような気持ちになりました

では。もわもわ~ん。



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昨夜、どうしても高倉健さんの映画が観たくなり、「駅~STATION~」という名作を(深夜二時位から)観ました。劇中、雪の北海道、年の瀬12月30日のシーン、倍賞千恵子さん演じる桐子の小さな居酒屋での、二人の出会い、そしてそこから10分ほど続く二人のやり取りを観るだけでも、十分にこの映画を観る価値がある、と言い切りましょう。切ない、渋い、大人、男、女、日本。オススメします。どうぞ、是非。

今日は夕方から早々に湯船にお湯を張り、一汗かきました。明るいうちに入るお風呂は、また格別ですなー。今日の入浴剤はバブCOOL(ライチ)でした。ウチにはバブが常時10種類以上用意してあります。バブ好き。バブーバブー。なんじゃそりゃ

そして湯上りに、ちょいとお寿司をつまみに出かけました。とって安くて、それでいてなかなかに美味しいお店へ。ビバ。庶民の味方。

父の方針や、母が料理好きだったこともあり、よそに比べて外食の少ない家に育ちましたので、長いことお寿司というと、祝儀、不祝儀ごと、あとは引越しの時に食べるもの、という印象が強かったですね。珍しくて、美味しくて、ちょっと贅沢なもの。オトナになって、初めて自分のお金でお寿司を食べたときは、嬉しかったなぁ。もちろん、グルングルン廻ってましたけどね。でも、本当に美味しかった。ってか、回転寿司って、全然、本当に美味しいですよね。僕、大好きですわー。

そうそう、そもそもご飯って、とにかく自分のお金で食べるのが一番美味しいと思うんです。廻ってたって、ラーメンだって、ナンだって。そりゃあ、決しておもてなしに預かるのが嫌だってわけではないんですが、どんなものでも、自分で一生懸命働いたお金で食べるご飯が、ご馳走になる時の二倍も三倍も美味しく感じられる気がするんですよね。あ、とか言ってますけど、でも美味しいものご馳走してくれるなら、いつでも喜んで走って行きますけど(笑)。まぁ、僕はともかく、この舌とお腹が勝手に行きたがるんで、僕は仕方ないのでついていくんですけどね(笑)。

あれ?話がそれましたね。お寿司です、お寿司。

威勢のいい職人さんの声。酢の匂い。そして、ガリ食べ放題。いいっすねぇ。いつもガリ、容器の半分は食べます。ガリだけに、ガリガ・・・おっと(笑)。

白身、イカ、旬の秋刀魚を頂いてから、大好きな光り物を3種類ほど(鯖、小肌、鯵)。旨いっ!で、この辺から「サビ」に入ります(笑)。マグロの漬けに、白魚(踊ってないやつ(笑))、ネギトロ、んで盛り上がってきたところで、クライマックスにちょっと贅沢にイクラ。そして「大サビ」に、甘い煮詰めを塗ったアナゴを頂き、エンディングっつーかアウトロっつーか、まぁとにかく最後の〆に巻物を。

「はいよっ!キムタクじゃないよ、トロタクっ!」

う・・・そうきたか(笑)。おもろいじゃないか、職人さんっ

トロタクって意外にマイナーかもしれませんが、マグロの中落ちと沢庵を海苔で長巻にしたものです。マグロの脂と甘味が沢庵のコリコリした食感と塩っ気と相まって、非常に美味しいんですよ。グーです、グー。中トロとかだけ10カン、なんて、さすがにしつこくって絶対に食べれないけど、このトロタクなら行けます。なんなら最初から最後までこれだけでも良いって位、バランスのいいお寿司だと思っています。未食の方は、是非

お寿司って、実を言うとお酒は、合わないんだそうです。どれも強すぎちゃって。やっぱりね、お寿司にはお茶、が合うんだそうですね。なるほど、このお酒大好きの僕が、このときばかりはお酒よりもお茶が飲みたくなりますし、しかも本当にいつにも増して、お茶が美味しく感じられます。そう、お酒が無くても、満足度が下がらないんです。これほんと。

あ、お勘定の時「おあいそ」って言いますよね、お寿司屋さんなんかだと、よく。あれの元々の意味ってご存知でしょうか?

昔、どこでも、「掛売り」つまり「ツケ」で飲み食いするのが当たり前だった時代、給金日になると、前月の飲食代を支払いにくる(または集金人が来る)わけですが、そのときに、例えば3万円のツケがあったら、2万5千円だけ払う。少しまた次回支払い分に繰り越すんです。これは「これからも来るから。また、そん時な。」っていう意思表示でして、3万円の請求に、まんま3万円払う、ってのは「これで全部な。おうっ、もうお前さんとこには、金輪際(こんりんざい)来ねぇからよ。」という、意思表示でもあったんです。つまり、全額払ってしまうことは、「愛想(あいそう)を尽かす」という意味だったですね。この名残で「おあいそ」というわけなんですが、もちろん、今じゃあ、単純に「全額支払う」という意味だけで、愛想を尽かす、という意味では使われてはいませんけれどね。あくまで、語源ということで(笑)。

しかし、お寿司を食べると、喉が渇きますよね。うーん、こ、こりゃあ・・・ぷしゅ、が美味いなぁ(笑)。

ではー。ぷ・・・。



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大阪~名古屋~博多~一旦戻るも、何やかや慌しく。そして~札幌~仙台~。参加している清木場俊介君の「清木場祭」、地方6公演を無事に終えて、帰ってまいりました。残す「祭」は東京2公演のみ。もっとも、すぐに本ツアー「それ行け!オッサン少年の旅(全22公演)」の準備に取り掛かるわけですが、長いツアー、少年オッサンとしては気を引き締めて、頑張らねば、なわけです

ここ数年、わりとメンバーの固定したツアーに参加することが多かったのですが、今回の俊くんのサポートバンド「キヨキバンド」では初めて一緒に音を出すメンバーが個々に多かったんです。ですから最初は完全な手探り状態。どんな楽器を持ってくるのか、どんな音を出すのか、どんな事を言うのか、どんな格好で現れるのか、ってこれはまぁどーでもいいんですけどね。一応、なんか着てれば(笑)。

看板、俊くんが26歳、ベースを弾く俊くんの実兄である清木場次郎くんが28歳。ギターの高橋圭一氏、西尾智浩氏、ドラムスの松本淳氏が皆40代。で、僕が俊くんと同じ干支の申年なので・・・そう、14歳。んなわけあるかいなー(笑)。えっと、セリーヌ・ディオンと同じ37歳。ちなみに最近、ヴァイオリニストの葉○瀬太郎さんが同ぃ年生まれと知って、ちょっと2、3歩後ずさりしましたが(なぜか(笑)。なぜ、なのか、は解りませんっ。)、えー、まぁ置いておいて、結果、唯一の30代。なかなか世代ヴァリエーションに富んだバンドなんです。

で、ひょんなことから、今回バンマスを任されまして、えー、バンマスってのは、そう、「バンドマスコット」の略ですよね。ね、じゃなくてー(笑)。バンドマスター、バンドの現場監督みたいなものですね。まとめ役。「音の仲人」とでも言いましょうか。「はいは~い、仲良くしてくださいねー、はいっ、んじゃあとは若いお二人でー」みたいな(笑)。

俊くんの素晴らしい唄を、どうしたら一番かっこよくお客さんに届けられるか、ミュージシャンそれぞれが一生懸命考え、感じて、音にしてきたものを、バンマスというのは、俊くん本人はもちろん、プロデューサーや舞台監督さん、PA(音響)さん、照明さん達と相談したりもしながら、基本は楽しく、でも時には厳しく、心を鬼にして、ニッコニコ笑いながらNGを出したりもしなければなりません(笑)。もう、先輩、後輩、関係なく、音、最優先で。

リハーサル時には、考えすぎて胃が痛くなることもありましたが(ストレスって、胃にたったの数秒で何万個とかいう数の穴を開けるそうですね。怖。)、なんのなんの、本番が始まってみたら、見る見る内に、面白いくらいに良くなっていきましてね。本当に、集まって一ヶ月位しか経っていないメンバーなのに、何度も鳥肌が立つほどの最高のステージになってきているんです。仲人さんも、これには、本当にビックリですよ。あー、ほんと、みなさんにもチャンスがあったら観て欲しいなぁ・・・

というわけで、無事に胃の穴も塞がりつつあることと思いますし(笑)、昨夜はホテルでニヤニヤとライブの音源を聞き返しながら、サッポロポテトを食べて一杯やっておりました。一応、深夜だから、ちっさい袋ね。そして、常時モグモグしながら(これ絶対に止まらないんだもん。)、これだけの期間でここまでできるんだから、よっしゃ、もっともっとスピードを上げて皆で高みを目指そう、と固く心に誓った仲人なのでした。

ちなみに昨日の入浴剤は「きき湯(青)」でした。いい感じ。あ、辛さ6倍のはね・・・なんか、そんなじゃなかったかもー。もっとね、湯船に足から入るそばから、噴水みたいに汗が出るのかと思ってたからなんですけどね。そんなわけ、ないですよね(笑)。

ではー。



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昨日は牛タン(&ビール)後に「今寝たら夜寝れなくなる(汗)」と暗くなるまで6時間、怪しいほどの半目で仙台市内をフラフラ歩き続け、この「吸い込まないように」と注意書きがある入浴剤のお風呂に1時間沈み、爆睡。ライブも最高×6倍っ!


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昔から時々ピョーンピョーンと飛んでる夢を見ます。昨夜は、ライブの後に友人のライブを観に行ってまた大盛り上がり。帰ったら朝8時(笑)。9時には起きて今日は他力で空を飛びまして、お昼に大好きな牛タンをもるもる頂きました。ウマカッタ!


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昨夜は市内の温泉に行ってサウナにアカスリ、3時間で2キロ絞り、餃子でビールを2本、味噌バターコーンに半チャーハン。いい感じで一旦ホテルに帰るも、また飲みに出てワイン、朝方帰り寝酒にカンチューハイを1本。しかして今日のライブは・・なまら最高っ~(^^)!!


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隣席の若い夫婦が柑橘系の「トビラツアー」のトートバッグを持っていました。僕は参加してないツアーなのだけど、何だか妙な親近感を覚えたりして。沢山の「他人」が同じ声、音、空気を共有することで「仲間」になる。素晴らしい事ですよねー。


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昨夜のタイムスリップからまた現代に、リアルな今の世界に。今夜は前回、前々回と参加させてもらっていた某スーパーディーバのライブを初めて客席から。物凄いオーラ、信じられないダンス、歌もかっくいかった!風船も頂きっ、て俺はファンかっ(笑)!?

---追記---

なんつってもバンド全員「超」知り合いだし、ダンサーさんも今ツアー初参加組以外は「すみずみまで(笑)?)」当然知ってるし、スタッフさんなんかもう、みんな「やばいくらいに」家族みたいなもので・・・なんだか、旧友に逢った昨日とは感覚の刺激される部分は微妙に違うんですけど、やっぱり懐かしい、嬉しい、楽しい!なライブを堪能して、そして楽屋訪問をして、そのあと、金髪さんにご飯をご馳走になってただ今帰ってまいりました。

満員の代々木体育館。「うっわー、こんな人数の前で演奏するの?怖~っ!こりゃ緊張するべなー。」と、考えてみれば自分も経験したことのある位のキャパシティなのに、客席から観るのとステージから見るのの違いを改めてひしひしと感じました。そういえば、2年位前に横浜アリーナに某Mr.子供さん達のライブを観に行かせていただいた時にも、やっぱり同じように感じました。

「なんじゃこりゃ!お客さん、凄い数っ!こんなにいるのっ?こんなとこで、演るのっ?」って。

この感触の違いの謎はいまひとつ解けてませんが、とにかく僕には、客席で見るほうが、会場が3倍は大きく、お客さんの数は5倍ほどにも感じるんです

しかし、何度も一緒にステージで演っている仲間のこと、たぶん一万人強のお客さんの誰一人として気付かないようなトコロに、むしろやけに目が行ってしまい、面白くて、時には可笑しくて(笑)。「あはは。やってらー。」と誰も笑ってないところで笑ってみたり、「おおーっ、今のは凄いなー。」って、時には「プロの仕事」にしみじみと感心してみたり。

後で楽屋で皆それぞれに「やってたでしょー(笑)」って話すと、「おー、良くわかったなー!あれはさー・・・」なんて話に花が咲きまして、観てたこちらも二度ご満悦で(笑)。まぁこればっかりは、同業者の役得、と言いますか。でも、ま、その分僕も見られてるってことなんで、気をつけなきゃなー(笑)。

この場でアレなんですが、奈美恵ちゃん、バンドの皆んな、ダンサーの皆んな、スタッフの皆んな、今日は皆んなの「いちファン」として、とっても楽しませてもらいました。そして、明日への元気、もらいました!あ、風船も、もらいました(笑)!音楽って、ライブって、本当にいいですね。

ではっ。しゃきーん。



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昨日、あんなにしっかり寝たのにね、また○○時間も寝てしまいました。目覚ましを確認すると、ちゃんと予定の時間にセットされているまま。どうやら、ちゃんと鳴っていた模様。ってことは、止めたんですよね、自分で、何度も。こりゃ~いけんです

とは言え、長く眠れるということは、これはこれである意味良いことですからね(強く正当化)。いつかきっと、本当に身体が衰えて、深く眠る体力すら無くなる日がやってくる、というのは生理学的、生物学的に仕方のないことですからね・・・今のうちに、眠れるうちに。って、なに自分で薄ら寂しくなること書いとんね~んっ、っと一人ツッコミをしてみたり(笑)。

さて、なんでまたこうもまた、トシだのマッチだの(書いてない)何だのと、書いてるのかと申しますと、まぁそれなりの理由があるんですよ、ヨっちゃん、じゃない、皆さん。(そもそも、タノキントリオなんて、ご存知ですかね(笑)?三国志と同じように歴史上のトリオになってませんかね。まぁ、僕と同世代の、へたすりゃ「哀愁デイト」がソラでだいたい歌えちゃう世代の方には懐かしい名前ですよね。)

写真は、ちょうど今くらいの気候だったでしょうかね、とある秋の日、高校3年生の時の体育祭にてのひとコマです。そう、僕にも人並みに高校生の時があったんです(笑)。とは言え今から、なんと20年(!)も前ということになりますね。これを読んでくださっている皆さんは、果たしてお幾つくらいのころなのでしょうか。まだ生まれてないねぇ、って方も、いそうですよね

左から、サッカー部の人気部員でもあり、一緒にバンドもやっていて、とにかくよくモテた(笑)「N野」、野球部のキャプテンだった「I川」、僕、この頃ずっと教室で席が隣同士だったバレー部の「K田」、そのバレー部のキャプテンだった「I岡」。全員、18歳、こう見えて。あ、僕は誕生日前なので、まだ17歳、こう見えて(笑)。ぼくは、8月7日のブログで書いたひょんなきっかけからバンドを始めて、多いときには7つを掛け持ち、この写真の頃にはどういう流れか、軽音楽同好会の会長になっていました。

この体育祭、高校三年生の最後の楽しいイベントだったように思います。これが終われば、一応いわゆる進学校だったので、あとは年明けに、苦しい受験が待っている。でも、この日ばかりは、もう全員がまさにお祭り騒ぎ、ドーパミン全開、皆の脳から出たエンドルフィンがグラウンドの上空に舞っていたんじゃないか、というくらい爆発的に楽しかった思い出があります。

僕は応援合戦のダンス(といえるシロモノではかったかもですが)の振り付けを担当し、曲はお気楽で陽気なサーフ・ミュージック、「カリフォルニア・ガールズ」のDaveLeeRothバージョンに、今見たら、恥ずかしくて悶絶死しそうな、奇妙かつ珍妙な振り付けだったと記憶していますが(笑)、皆、「もうこれでいくしかない」という、切羽詰った時間の問題もあったのでしょうが、やけに協力的で(笑)。結果は、見事優勝。あのダンス、もはやこの世のどこにも映像としては残っていないでしょうから、まぁ安心して生きていこうと思っていますが、ほんと、かなり変でした(笑)。でも、とにかくこの日は、僕にとって思い出の多い、楽しかった高校時代の中でも、また格別に楽しかった特別な一日でした。

さて、なんで突然今日、この写真、このお話かといいますと。

写真左から四番目、卒業後、見事現役で難関大学に合格、高校時代から成りたい、と言っていた経営コンサルタントになり(変わってますよね、高校生の夢としては(笑))、今はあの某世界一のOSを作り出したマイクロ○フト社に勤めている、高校生当時、松○聖子さんの大ファンだった(笑)K田。

そして、一人だけ違うグリーンの体育着を着ている、仲間内の人気キャラではあり、よくコイツの家でタムロしていたのですが、そのやけに飄々とした性格から、なんとなく皆の心配の種でもあり(笑)、案の定、受験では人一倍の苦労を強いられ、それでもまだなお飄々としており(笑)、さらに皆の心配を買うのですが、しかし結果、見事某名門大学の医学部に合格、現在は医師として人の命を預かるという重職に着いているI岡。

しかし当時の友人ならわかってもらえる気持ちだと思いますが、I岡がメスを握っている姿をみたら、僕は必死で止めそうです(笑)。なんてね(笑)。いやいや、でもきっと一生懸命努力したんでしょうね。そんなこと言ったら、僕が人前で一丁前にピアノ弾こうとしたら、全力で止められそうですからネ、この頃の友人には(笑)。

今夜、今から、この2人にね、卒業して初めてちゃんと会うんですよ。

正確には、卒業後一年ほどして一度クラス会があったのですが、僕は用事があって遅れてしまい、着いたときには皆、駅の改札でバイバイのタイミングだった、という(笑)。みんなの顔は見たけど、ひとつも話をしていない、最初で最後のクラス会。その後1~2度行われたクラス会には、仕事で行けず仕舞いでした。

でも、どこかで「このクラスの奴らなら大丈夫」と思わせてくれる信頼関係が、あるんですよ。いつでも、あの日に戻れる、ってね

昨年、ひょんなきっかけで、I岡と電話やメールで連絡を取るようになり、「会いたいね」と言い出してから、お互いの都合が合うまで、また早一年以上が経ってしまいました。高校生の時は、毎日、教室で顔を合わせていたのにね。オトナになるって、友達との距離が、だんだん遠くなっていってしまうってことでもあるのかもしれませんね。

さてさて、今夜はどんな話になるのやら。約20年ぶりに友人と会う。こんな経験、なかなか出来ないので、少し照れくさいやら、なんだかくすぐったいやら。勿論それよりも、単純にまたこうして彼らに逢えることの喜びの方が、遥かに大きいのですが

ではー。行ってきますー



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