今日はまたサッパリとしに出かけてきました。しかしなんで美容室の鏡の前って、あんなに自分がみすぼらしく見えるんでしょうか。明るく照らされ、ピカピカの大きな鏡の前で、カットクロスから首から上だけ出した濡れ髪の自分を見るたびに、見ちゃいけない何かを白日の下に晒されたような、居心地の悪さというか、微妙な気恥ずかしさを感じるんですが(笑)。皆さんは、そんなこと、ないですか(笑)?それにしても、いつもより短めにカットしてもらったら、なんだか「ますだおかだ」の小さい方みたいだな、と。
写真は一週間ほど前の、ZEPP仙台にて、開場前。僕の左の方は、タラコ(TARACO)さん(以下、タラちゃん)、と言います。同じお名前ですが、某ちび○子ちゃんの声優さん、でないことは写真でなんとなく判っていただけるかと思います(笑)。
今や伝説のバンド「阿Q」のボーカリストとして89年にデビュー。解散後、主にギタリストとして大活躍、今は地元仙台を中心に後進の指導にあたられております・・・もーちょっと詳しいプロフィールとコラムを発見しましたので、今日の最後にURLを乗せておきますね。是非。
約6年ぶりの再会でした。
今から、もう10年近く前、僕はバンドを辞め、サポートミュージシャンとして、あまりにも頼りない暮らしを始めたばかりの頃、最近では特命係長でお馴染みの、高橋○典くんのサポートバンドの一員として、タラちゃんに出会いました。タラちゃんは、○典くんがデビューしてすぐから、まさに彼の右腕的ギタリストでした。僕も○典くんとはその数年前の、彼の2ndアルバムのレコーディングに参加してから交流を持ちまして、その後、ツアーに参加することになったんです。
○典くんのバンドは、いつも凄腕のミュージシャンが集まっていて、exパーソンズの本田毅さん、exすかんちの小畑ポンプさん、ex.レベッカの是永巧一さん、高橋教之さん、F.O.D.の山田亘さんetc.、勿論皆さん最高にいい人ばかりですが、僕如きと違って、キャリアもバッチリあり、もう十分に世間的にも認知された、「本物のミュージシャン」ばかりだったわけです。
最初に関わったのが、たしか26歳でした。「すごいメンツとやれる。こりゃ勉強になる。神様ありがとう。」喜びで、最初はとにかく、無我夢中。何を考えて演奏していたのか、まったく思い出せません。ただ、今だからわかるんですが、音楽的には超未熟児。きっと皆さんにもご迷惑ばかりかけていたことと思いますが、それなりに可愛がってもいただき、ただただ、がむしゃらにやっていました。
ただのがむしゃらも、やり続ければそれなりにパワーになるようで、その後3年ほど、○典くんのサポートをさせてもらいました。しかしその3年後の、僕が参加した最後のツアーが、僕にとって、ひとつの「どん底」でした。
まぁ、ここで詳しく説明するのもアレなんでザクっと端折りますが、つまり、すっかり自信を、無くしちゃったんですね。年齢的にもそういう時期だった、とも言えるんですが、兎に角、長いツアーの中程だったのに、心が、折れかかっちゃってたんです。ステージに立っている間は、お客さんにもチカラを貰い、それなりに楽しくやっていたように思います。でも、ステージを降りると、なんだか辛くて、とにかく苦しくて。皆、何も言わないけれど、心の底では心配していてくれたんだと思います。そんな空気はうっすらと伝わってきていましたから。そんな中、タラちゃんだけは、全然いつもと変わらず、ニコニコと接してくれてたんですけどね。でも、うまく応えることは、出来てなかったと思います。
ある移動日の日、○典くんとタラちゃんと僕の3人で、どこか地方のホテルの部屋で、部屋飲みをしたんです。で、酔いもいい感じで廻ってきた頃、タラちゃん(当時32歳位かな)が「ぼくはねぇ、40歳になったら、他の仕事するんだー。人生で二つ、仕事したいから、半分の40歳で音楽は辞めよっかなー、って思ってる。」と言いました。
僕は、サポートの仕事をしてる、とは言え、まったく不安定で、ですから当然お金も無くって(当時吸っていたタバコ代にすら困ったこともあります)、「やり続けたい」っていう気持ちだけはあったんですけど、「じゃあどうしらいいのか」がさっぱり判らなくて、明日が不安で、不安で、ミュージシャンとしての自分にも全然自信が持てなくて、周りばっかりが良く見えちゃって。そんなネガティブな気持ちで一杯になりすぎちゃって、もはやその時の自分の足元すら、ちゃんと見えなくなってさえ、いたんです。
当時、絶好調に仕事をして超売れっ子だったタラちゃんの口から「ミュージシャンを辞める」なんて言葉を聞いて、内心とってもビックリしたんです。え、これって、辞められるものなの?ってか、辞めても・・・いいの?って。
そして僕の口から出た言葉が。
「じゃあ俺も、もう辞めよっかなー。」
・・・ものすごい甘え、そして、ずるい一言。タラちゃんは、前向きに、他の仕事もしてみたくて選択する「辞める」。僕のは完全に、ただの逃げ、でした。言った自分が、自分で胸が潰れそうなほど判っていましたけど。でも、それを肯定してもらったら、楽になれる。そんな気持ちがあったんだと思います。
するとタラちゃんが、
「あ、ダメだよー。ケンちゃんはね、えっとー、すくなくとも35(歳)までは続けなきゃ、ダメ。35までは、やんなさい(笑)。」
「え、35・・・まで?」
一体どうやったらこの厳しい業界で、そんなに遥か先まで(約6年先)続けることができるのか、皆目見当もつきませんでした。ただ、そう言われてしまって、「そうなのか、大変だな。」と漠然と思ったことだけは憶えています。
35歳。誕生日を、初参加だった安室ちゃんツアーの初日を数日後に控えたゲネプロ会場で迎えました。このツアーは追加に次ぐ追加で、最高に盛り上がった台湾、韓国を含む40本もの長いツアーになりました。そしてそれが終わるとすぐに柑橘系の「夢の地図」そして「1~ONE~」。こちらも合わせて40本を越える、忘れられないツアーでした。合間にはへきるちゃんのツアーもあり、とってもとっても、充実した一年でした。そして次の年明けには、今まさにツアーを廻っている、清木場俊介くんと出会いました。
とは言え、決してそこまでがずっと順調だったわけじゃありません。それなりに悩みまくりましたし、そんなに強い人間じゃないんで、明日を諦めかけたことだって、やっぱり何度かはあったんです。でも、そんな時、必ずいつも救ってくれる人との出会いがありました。本当に人の縁って、不思議です。その結果として、まぁこうしてそれなりに楽しい充実した毎日を送ることが、出来ているんです。
そりゃこの先にだって、不安が無いと言えば嘘です。ってか、本当は不安だらけですよ(笑)。でも、ちゃんとやっていれば、きっと誰かが見ていてくれている、って信じられるようにはなりました。焦らず、でもサボらず、えっちらおっちらでも、毎日美味しくゴハンを食べて、明るく笑って生きていけたら、そして少しずつでも成長していけたら、こりゃあ楽しそうだな、と今は思っています。音楽、今とっても楽しい。絶対に、辞めたくなんか、ないです。
タラちゃんね、
「えっ?ケンちゃん、バンマスなの!?うわ、すごいすごい!やったーっ!」って、両手でガッツポーズして喜んでくれたんです。「あはは。実はね、去年の安室ちゃんでも、やらせてもらったんだよ」って小声で言うと、「よっしゃあーっ!」って、もう一度、ガッツポーズ。
あのガッツポーズ、絶対にずっと忘れられません。がんばって、よかった。辞めないで、よかった。そんでもって、もっとがんばろう、って、そんなクサいことを、心の底から思いました。そして、僕はまた何だかこの人に救われてしまったような気がします。僕にとってタラちゃんは、本当に、本当に恩人です。
「あ、んじゃ、ぼくそろそろ、行かなきゃ。本番、頑張ってね~。」と若いバンドのプロデュースの為に(ノーギャラでやってるって言ってました。って、タラちゃんも40をだいぶ越えてますが、結局音楽は、辞められなかった、ということなんですね(笑))ふらりと出て行ってしまいました。ライブは見てもらえずでしたけど、きっといつか、また。
あ、そして帰ってきたら、凄く久しぶりに、突然○典くんから電話がありました。「いやー、どーしてっかと思ってさー。」だって。わらっちゃう程の、このタイミング(笑)。30分ほど、近況やら、よもやま話を。こーいうのも、絶対にタラちゃんパワーだと思いますわ。
僕も、誰かのために、あんな風にガッツポーズができるような人に、なりたいなぁ。
さて、明日、明後日は「清木場祭」の最後を締めくくる、東京公演です。気合いれて、祭ってきます。楽しむぞぉー。
ではー。うっしゃ。
「仙台カフェ」(タラちゃんの情報があります)
http://www.sendai-cafe.com/modules/navi/singlelink.php?cid=271&lid=510