ピアノって、楽しいなあ。
ずっと弾いていたいなあ。
そう思うことが、年々多くなりました。
昔は、……そうですねえ、
これは緑ちゃん倶楽部の課外授業でもお話しさせて頂いたのですが、
子どもの頃の思い出があまりよろしくなかったせいか、苦手意識の方が強くて(人間、なんでもあまり長く引きずるものじゃありませんね。損をすることが結構ありそうです)、
どうも、素直に、「ああ、なんて楽しいんだろう」とは思えなかったんですよね。
これは、プロになってからも。
いえ、キーボードは好きだったのです。
オルガンとか、シンセとかもありますから、キーボード全般は、好きだったんですが、
こと、ピアノ、と絞ると、「オルガンの方が(・・・おそらく、楽に思えて)好きですねえ」なんて思っていたのです。
実際、「川村くんはキーボードの中で何が一番好きなの?」と、某有名バンドのボーカリストの方に訊かれて、
「オルガンです」と、即答したこともあります。
そしたら、「あ、そうなんだー。ピアノじゃないんだね。」と返され、
なんとなく、「(あ、期待外れの答えを言ってしまったのか)」と、自分のコンプレックスとも相まって、ちょっとチクリと胸が痛んだことがありました。
30歳を超えて、柑橘系二人組のお仕事で、完全に“ピアノ担当”という役割になり(もう一人、シンセ、オルガンを主に担当するバンマス伊藤氏がいたので)、
ここで、半ば強制的に(というのも変ですが。今思えば、縁あって……という感じでしょうか。)、改めてピアノに向き合うことになりました。
この時の気持ちはどうだったかといいますと、別に「嫌だなあ」というものでは全然なくて、
「さて、困ったぞ。出来るかな」という感じ。
「でも、やるしかないしな」と。
勿論、二人組さんたちも、他のサポートメンバーの皆さんも(僕が入った時は、他のサポートメンバーは、長年ずっと同じ方達でした)、それまでの僕のプレイをライブで見て(某有名グループのボーカリストKちゃんのソロライブに、皆さんで来て)くれたりしていたので、知っていてくれて、それで、「川村くんはどうかな」と選んでくれていたわけで、
そのステージでもピアノは弾いていたので、
「じゃあ、大丈夫なのかな」
とも思ったりもしたのですが、実際、やってみると、これは思いのほかハードルが高かったわけです。
「仕事というのは、常に、自分の実力より、ちょっと上のものがくるものです」
これはタ〇リさんの言葉。
ちょっと頑張らないと出来ない、そのままの自分では通用しない。
仕事というのは、そういうものだ、というこの言葉が、まんまその時も当てはまったわけですね。
(このタモ〇さん言葉は、この前も後も、ずっと正しい、と思っています。)
そして、色々な葛藤があった中で、キースジャレットとの再会があったりもして、
勉強するようになったら、
面白いように、だんだんと、ピアノ好きになりました。
「ピアノが好き。本当に好き」
という感情をしっかり自分で意識して思えたのは、人生で、この頃が初めてだったわけです。
すでに35歳とか。遅いなー(笑)。
勿論、柑橘系二人組にもとても感謝です。
ずいぶんと長く一緒にやらせて頂きました。日本中のアリーナで、何度も何度も、1万人の前でピアノを弾く経験なんて、そうそうできるものではありません。
スタジアムでは、7万人の前で、一人でピアノを弾く、なんてことも経験させてもらえました。
しかも、ちょうどその時(二日目でしたか)、雨が降ってきて、鍵盤が濡れてつるつる滑ったりしてねえ。どきどきしました(笑)。
まあ、このあたりのお話しは、色々と思いがあり、長くなりますので、またいつか、
それこそ、みどり通信なりで、でも。
そしてここ数年は、本当にピアノを弾くことが楽しいのです。
特に、時期的になのか、やはりそうなのかはわかりませんが、
緑ちゃん倶楽部を始めた昨年からも、この思いがどんどん強くなってきたようにも思います。
好きと感じるには、そこには、理由がありますよね。
これは、わかっているんです。
面白いんですよ、本当に。
そして、知れば知るほど、楽しくなるんです。
「こうなってるのか!」
とか
「あ、あの響きって、こうやって押さえると出るのか!」
とか。
あるいは、そういう発見だけじゃなくて、時には、ただ自分でぽろぽろと弾いてて、
「きれいだなあ」
なんて。
こんなふうに思える日が来るなんて、少なくとも、10年くらい前には、想像もつきませんでした。
そして、気づけば、もういいト〇になってまいりましたが、
この先、「これはもっと面白くなるぞ」ということが、“はっきりと”わかってきました。
課外授業で、「キースジャレットは、なぜあんなに苦しそうにピアノを弾くのか」という話になりました。
僕も一緒に考えましたね。
その後も、色々と考えた結論から申し上げますと、
「彼は苦しんでなんかいない」
ということになりました。本人に訊いたわけではありませんが……。
今、キースの本を読んでいますが、その中で、若いころのキースのことを
「キースはピアノと恋愛関係にあるんだ。」と書いた記述がありました。
この言葉を言ったのは、今年、トリオで一緒に来日するドラマーのジャック・ディジョネット氏。
発言自体は、30年も昔のことで、彼が、20代の頃のキースについて語ったセリフです。
その本の中で、キース自身も、「僕はピアノに向かっている間だけは、全ての感情表現が自由にできるんだ!」と語っていました。
このキースの言葉、
もう、レベルは、木星と石ころくらい僕なんかとは違いますが、でも…………わかる、と思えた言葉でした。
もしも、ピアノがなかったら、弾かなかったら、弾けなかったら、
ずいぶんと困ったことになっていただろうな。
と、これまた、以前では、ましてや子どもの頃では考えもつかなかったようなことを、思うのです。
この楽しそうなキースのアルバムは「SOMEWHERE BEFORE」。
キース、24歳の時、1968年、僕が生まれた年に収録された、トリオのライブ・アルバムです。
ゆるーいキース。ただただ、楽しそうなキース。いいですなあ。しかし、二曲目のバラッドなんて、もう、今みたい。このあたりの感性、音楽性は、すでに出来上がっていたんですね。
最近購入した20歳のころのアルバムとか聴いても、凄いんですよね…。天才は凄い。
あと、天才は変化する。
これは、どうやらキースに限らず、真理のようです(考えてみれば、例が沢山見当たります)。
この後、帝王マイルス・デイヴィスのバンドに参加するのですね(マイルスはこのトリオを何度も見に来ては「キース、おれのバンドへ入れ」と口説いていたそうです。……何度も断っていたそうですが(これちょっと、衝撃の事実でした)。
そして、ソロへ。そして、そして。
5月に、日本で、渋谷で、この人に、また会えるのです。
うひょー。
ピアノ、面白い。
キースも、面白い。
人生って、面白い。
ではー。