心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

久しぶりにgooに入る

2018年03月16日 | ほんのすこし
先週から色々とあって、ここに入ることも他の方の所を尋ねることもなかなか出来ずにいました。

突然の訃報が届き、気が動転してしまったのもありますが、これからの気持ちを思い測るとどうにも胸がさざめいて。
まだ逝くには早すぎる人。
そして残された人の気持ちを思うと、何もする気が起きませんでした。

残された若い人たちにはこれから長い日々が待っています。兄弟、家族で助け合っていってほしいと願わずにはいられません。

わたしもあれこれ思うことがあり、気持ちの浮き沈みが続いていました。寝不足のために昼夜逆転しそうになったり。
でも、今はこれからのことを考えていかなくては。
今年は本当に色々なことが起きそうです。
しっかり受け止めるためにも自分自身の身体のことを考えていかなきゃ駄目だよ、と母に釘を刺されているところです。

※※※

ヤリイカ、美味しい時期ですね。
ヤリイカはほとんど食べられるし、柔らかいので助かります。

写真はヤリイカのワタを軽く炒め煮。味噌味でネギと一緒に。卵もあってプチプチが所々に入りました。濃いめの味付けにすると温かい御飯のお供に。

エンペラーとゲソは酢の物に旬のワカメとキュウリで。酢味噌(母に多めに作っておくと色々使ってくれます)で。



胴体はお刺身。これまたワカメの茎と一緒に盛り付け。茎はわさびをちょっとつけても美味しい。



※※※




ギターを弾いていた名残

2018年03月09日 | ほんのすこし
高校生の時、溜めていたお小遣いと修学旅行のお小遣いの残りを足して、ギターを買った。
音楽に関係していたのは中学の途中から入部したブラスバンド、それも中学時代だけで終わったので、それからのわたしの人生では楽器を演奏するという機会はこのギター以外はほとんど無かった。
あっ、違った。独学のピアノ、学生の頃教員免許の副免選択科目を音楽にしたものだから、習ったことのないピアノをやる羽目になった。バイエル終了が単位修得となっていた。音楽棟には一台一台ピアノが置いてある小部屋が並んでいて、夜の11時くらいまで使用することができた。
教則本を買って、一から練習。見よう見まねで練習。
寮にもピアノがあったので、それでも練習。

まあなんとか単位を取ることが出来た。おかげで小学校の分も取得することが出来て。就職氷河期における世代にとってはかなり役に立った。だが、その後の人生でその役に立ったことを投げ出すことになったのだけどね。

そんなピアノ経験だったけど、ギターは高校時代から自分のそばにあった。教則本を見ながら指使いやら、慣れないギターの譜面を勉強した。学生になってからはますますギターが好きになった。一年の時、同じ研究室の先輩がギター研究会なるものがあるというので、行ってみた。そこには一年上の先輩がいてフラメンコギターを弾いていた。初めて聞くフラメンコギターにわたしはもうびっくり。
その情熱的な演奏に、普段物静かな先輩のどこにその力が潜んでいるのだろうかと危ぶんだものだ。
その先輩は途中でギターを極めたいと退学したのか、姿を見ることが無くなった。彼は今頃どうしているのだろう。名前すら忘れてしまったのだけど。

その研究室にわたしと同じく入学した医学部の方がふらっと尋ねてきた。そしてギターを手に取り、「アルハンブラの思い出」をつま引き出した。
その上手いこと上手いこと!
しかも平井堅似のイケメン(その当時平井堅はまだ現われていなかったけど)、もう女子が放っておかないって感じだったね。

あぁ、でもでも。声が・・・ごめん。
わたしの苦手なキンキン声だったの。

あれ、なんか違う。こんなこと書くつもりじゃなかったのに。

で、なんか違う研究会には入らず(笑)、ひたすら寮の仲間とギターを弾いて歌うという暮らしに落ち着いた。
その頃の名残が先日の母の棚整理で出てきた。山崎ハコの楽譜。



その中でも良く歌っていたのが「気分を変えて」だった。
今はもう演奏なんてできないだろうけど。
あの頃が無性に懐かしく思える。なんでだろう。最近こんなものに出くわすというのは、何か意味があるのだろうか。いや、意味を持たせたがっている自分がいるのだろう。


伸び放題

2018年03月08日 | ほんのすこし
食べようと思っていたのに、いつのまにか伸び放題に。
母の台所で。
窓のレースに春を待つ緑。
なんだか切り取るのがなあ、そう思って揺れる葉っぱを見ている。

上に伸びていたのが、だんだん重くなって垂れ下がるようになって。
それがなんだか観葉植物みたく見えてきて。

料理に使うのがなんだかなあ。
そう思えてしまった。
愛着が湧いたのか?
いえ、ただ単に料理するのが面倒になっただけ。
チャチャッと切り取って、最後に入れればいいだけなのにね。

でも母もきっとこの伸びた緑を見るのが好きなんじゃないかな。
だって、いつもだったらすぐにでも注意するはずだもの♪


あー!

2018年03月08日 | ほんのすこし
いつも朝はまず居間のストーブに火を付けて、部屋が暖まるまでベッドのある部屋に戻る。少しベッドに横になり、居間が暖まった頃に着替えしていく。
それがわたしの朝。

昨夜はどういうわけか9時過ぎになってから眠気があり、ベッドに行く。
そこですぐ眠れるか? と思ったらさにあらん。
でも今更居間に戻る気にもならず、そのままベッドで本を少し読み、それから眠りに入った。

早くに眠ったので、朝もかなり早く目が覚めた。4時過ぎにはベッドでスマホをいじっていた。目が覚めたならさっさと起きる支度をしたらよいものを。
でもいくらなんでも4時過ぎに起き出すというのは早すぎない?
そんな気分でオイルヒーターの効いているベッドの部屋にぬくぬくとしていた。まだ居間の暖房をつける時間じゃないって、ね。

それでもいつもよりは1時間も早く起きたのよ。
どれどれ、それではストーブを付けに行くかな。

ん?

台所のドアを開けたら・・・
暗い中にオレンジ色が揺れている?
赤々と

部屋も暖かいし

ぎゃー! なんてこと!
昨夜眠ることばかりに頭が行って、すっかりストーブを消すこと忘れていたんだ!
しかも温度設定が高めになっていたから一晩中お前は主のいないところで燃えていたのか!
慌てて灯油の残量を見たわたし。
そんなことしてもなんの慰めにもならないというのに、ね。

いつも通りに起きていたら、もっと悲惨だったね。オイルヒーター1時間早く消して良かったよと、慰めにもならないため息ひとつついたのでした・・・トホホ。


雪道を歩く

2018年03月07日 | ほんのすこし
年々、身体の衰えを感じてはいるのだけど。今年ほどなんというかなあといった感じの年はないのです。
特に雪道を歩くことがあると、その後に来る股関節やら腰やらに来る変な痛みというか違和感になんともいえない嫌な気分を味わうことに。
それが歩いた後に出てくるということに最近気がついて。母のところから湿布薬をもらい、貼り付けてしのいでいます。昨日も天気が良かったので、美容院まで歩いていきました。
舗道もきちんと除雪が行き届いてはいたのだけど、やっぱり影の部分が凍っていたりして、歩くときにどこか力が入っていたのでしょう。夕方には腰がなんともいえない感じになってしまいました。お風呂に入ってゆっくり暖まっていけばいいよ、と母に言われ、しっかりと暖まったのだけど。

これも普段運転ばかりしているからかなと思っています。
早く雪解けにならないかな。そしたらウォーキング始めようかな。
歩くのに慣れていれば、身体の不具合も出てこないような気がします。体重が増えたことも影響している気がします。
どんどん動けなくなるから、これからは心してかからなければ・・・

それにしても雪道を歩くのは慣れたものだと思っていましたが、わたしの場合はどうも経験は役に立っていないみたいです。



まだまだ雪が残っている道路。国道は雪は無いけど、小路に入るとこんな風。
お彼岸過ぎないと春が来ないって、本当だね。

※※※

今日は最近ずっと気になっていたことが氷解して、ホッと一安心。
これでぐっすり眠れます♪
 
※※※

残ったちらし寿司は

2018年03月07日 | ほんのすこし
ひな祭りの日。
どういう気まぐれからかちらし寿司を作ったのは記憶に新しい。
その後、母のところにもちらし寿司とイクラと蒸しエビを持っていって、上に飾ってから食べてねと置いてきた。早速母は晩ご飯に食べて美味しかったと話していた。

部屋に戻り、それでもまだちらし寿司が沢山残っている(一体どんだけ作ったんだ?)。
イクラも蒸しエビも母のところに持って行ったので無い。
そのとき生協で購入していたいなりあげがあったことに、はたと気づいて。
せっせといなりあげに具を詰め込んだ。うまい具合にちょうどいなりあげが10枚。

上にはでんぶを乗せる。錦糸玉子もね。でんぶはスナップエンドウのスライスの上にもふわっと。

後は二個ずつラップで包み冷凍に。

お腹がすいた時にチン♪
冷凍に何かあると思うと、ちょっと嬉しくなる。

※※※

今朝から天気が良くて、暖房を止めた。窓を開けたらまだ冷たい空気が入り込む。
それでもどこか春めいているよな気がするから不思議だ。外はまだまだ白い雪が沢山あるというのに。

※※※

今日のBGMは、PINK 「ビーム・ミーア・バック」amazonの「休み明けの疲れを癒やす洋楽」というジャンルを流している。懐かしい曲も流れてサクサク作業が進む。
次はボブ・ディラン「時代は変わる」
いいね~♪

※※※

一杯のカクテル

2018年03月06日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

思いもかけないものを混ぜて
ステアしたら
出来たのは
なんとも豊かな味わい

出会うってそういうこと?
自分の感性では作れ得なかったものが
他の人間の感性で寿がれていく
豊かな日々を小刻みにして
グラスに溶かしているのね

シェーカーを振る
出来上がりを期待されているのを知りつつ
口に含む瞬間に広がる喜びを想像しつつ

熟練の技に酔いしれるのは
目の前のわたしたち

一杯のカクテルに
芳醇な夢を溶かし込んで

※※※

そろそろ起きてくださいよ
もう眠っているのは飽きたんです
ほら、
冷たい雪は溶けていますよ

太い幹に少しまとわりついている白い雪が
春の陽気に消えるのも
あとわずかのことに違いない

春の訪れを待つ
人も動物も花も草も鳥も
自然界の全てのものが待つのは
春以外に無いと思える
まるで恋人を待つ人のようにね

※※※


懐かしいものに触れて

2018年03月06日 | ほんのすこし
昨日の記事で、カセットテープを発見したことを書きましたが。昨日はもっと色々と発見したのでした。
例えば、このチラシ。



同じチラシが古いノートに挟まっていました。チラシが欲しかったわけではなく、チラシの裏に作詞を書いていたようです。たまたま同じチラシが何枚もあったのはなぜだろうと記憶を呼び戻そうとしたのですが、どうにも思い出せません。
学生の頃、県都に住んでいたのですが、そこにあるホテルにあるお店がどこかにオープンするというチラシ。
バーガーが150円。ジュースが100円。それでもホテルのお店だというから味もいいのでしょうね。
もしかしたらアルバイトしたのかな・・・学生の頃は様々なアルバイトをしたので、どこだったか・・・

ここではないのですが、お弁当やさんでアルバイトしたこともあります。でも苦い思い出しかありません。当時の雇い主だったか、上の人がやることなすことにケチをつけて、駄目だしばかりする人でした。いい加減やる気が失せてしまい、早く終わってほしいと思ったのでした。
若かったですね~。
今だったら、なぜ駄目なのかということを考える余裕があったなと思います。若さに溺れていて、注意されるとカチンと来てしまう、そんな自分だったのではないか、それが態度に表れていたのではないかと想像しています。

まあ、そんな苦い思い出があった頃ののチラシの裏。
当時、自分の中では作詞作曲ということが流行でした。
ギターを見よう見まねで演奏していたことも懐かしい思い出です。4年間のうち3年間は寮生活でした。仲間が集まればギターを持ってきてワイワイと流行の歌を歌ったこともあります。仲良しと一緒に寮の屋根に登りそこでギターを鳴らしたこともあります。あれは近所迷惑だったことでしょうね~。

ギターを弾いていた名残。



これは誰かに書いてもらったような気がします。



他にノートに書いていたのは



作詞したものを即興で歌ってみて、それを音に写すというやり方をしていたらしい。(これはピンぼけ、わざと/笑)

なんかすご~く懐かしい。


昔のカセットテープ

2018年03月05日 | ほんのすこし
数日前から、母がテレビの後ろにある棚を整理したいと。
自分であれこれ出していたのだけど。テレビの後ろだけは動かせなくて、わたしに出来るときでいいからと頼んでいた。そこで何日か前から時間を見つけて整理。
そこで見つけたのが、昔のカセットテープ。昔といっても数十年前ぐらいね。
たぶん、結婚した間もない頃とか、独身時代とか、そのぐらいのとき。

うわぁ、懐かしい・・・
この頃はジャズよりもポップス?
興味のあるのは、ジャズじゃなかったんだなと自分のことを振り返る。
カセットテープって、CDにダビングできないのかしら。

去年、再ブレイクした荻野目洋子さんのものあったりして。
洋楽ではスティングのがあったね。

なんか、こういうのを見ると昔の自分がどうだったのかって振り返ってしまうけど、実は案外はっきり覚えていないことも。若い時はあっという間に過ぎて、その時々の自分の輝いていた時期なんてあったのかって思う。
でも確かに自分にとって輝いていた時期はあったのよ。
そう思いたい。

若いは若い。それだけで過ぎた時期もある。そして若いが故に出来た事もある。
そう、無謀な時代もあったんだ。

そして、今に至る。
そうなんだよね。
今年、昔の自分を再発見していることも何か新しいものに繋がる気がする。
時代は変遷しているけど、根底にいる自分というものの姿はどうなんだろう。変化しつつも、変わらないものあるだろう。変わらない自分の中で嫌なものもあるだろう。自分って何?
そんなことを古いテープを見ながら思った。あの頃の自分を思い出しつつ。

あまりにも早く時は過ぎてしまったね。


国会中継

2018年03月05日 | 母のこと
最近、ラジオを聞くことが多くなった。
母の影響もある。
母は目が疲れるからと一日の内でラジオを聞く時間が結構ある。ベッドに横になっているとき、眠るわけではなく身体を横にすることで楽になるらしい。
そんな時はラジオか好きなCDをかけて聞いている。

コタツに座り、何か針仕事(手が不自由なので他の人の何倍も時間がかかる)を広げているときなどはテレビよりラジオの役割は必須だ。
わたしもラジオの方が台所に立っていてもわかりやすいなと思っている。
そういう母のラジオ生活を目にして、わたしも部屋にいるときにラジオをスマホで聞くことが多くなった。こうしてパソコンに向かっているときなどは特にラジオの方が作業が進む。これがテレビだとそうはいかない。何か気になったものがあると目が画面に向いてしまい、作業が中断してしまう。

ということで今日も作業しながらラジオを・・・と思ったのだけど、テレビをつけてみた。
国会中継が入っている。
それを聞きながらのキーボード叩き。画面を見なくてもラジオのように聞き流して。

ふと思い出した。
母が
「国会中継はラジオが一番だよ」と言うので
「なんで?」と聞いた。
「テレビだと居眠りしている人が目について気になって仕方が無いけど、ラジオだったら声だけ聞いていればいいからな」

周りの人間が見えなくていい、そうか、そういうこともあるんだな。と思った。
それにしても、見えなくていいのが「国会中継」だなんて、それもなんだかなあ・・・

今日も母はラジオで国会中継を聞いているだろうね。