心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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古い歌なのに

2018年11月25日 | ほんのすこし
母が毎週楽しみにしているのが日曜日の夜。
BSプレミアムを午後6時から10時まで見ている。最後の韓国時代劇が一番の楽しみらしいのだけど、その間にある『新・BS日本のうた』も楽しみの一つだという。今日は何気なくつけていたら、その番組が始まっていた。今回は古賀メロディ特集。
わたしにとってはリアルタイムで聞いた歌は無い気がするのだけど、何故か知っている歌がある。
ついつい一緒に口ずさんでいると、ほろりと涙がこぼれた。

どうしてなのかな。歌詞とメロディにどこか共感するものがあったのか。
今のわたしの心境に寄り添うものがあったのか。

安心して聞いていることが出来る歌というのは嬉しいものだ。
この歌の数々が出来た当時とはずいぶんかけ離れた世界になってしまったけど、ついでに言えば来年は平成という時代も終わってしまうけど、歌に何かを感じる人間の中身はそう変わっていないのかもしれない。

今年は人生の中でアップダウンが激しく、それもわたし自身ではない部分でのアップダウン。
山有り谷有り、それが人生だと言うけど、あまりにも酷すぎる現実を目の当たりにして、何も出来ずにいる自分のふがいなさに打ちのめされることが多い。
当人の方がわたしよりずっと辛いだろうに。

人を恨むことは結局は自分に返ってくると、分かっているけど。今回だけはその気持ちが強い。そして恨みからは何も生まれないということもわかる。
でも、その気持ちに囚われて抜け出せない時間が・・・
それをどう乗り越えていけるか、それを自分との戦いだと思った。人には乗り越えられない試練は与えられないのだと読んだことがある。だとすれば、あまりにも過酷な現実が与えられたのだ。乗り越えた先にあるものは何だろう。
闇の中からもがき苦しんだ者に救いの光が届くことを願って。

人為による試練なら、その人間と同じ土俵には立たず、己を鍛えるのみ。
いつか、自分のことばで表現し、再生していく力強い生き方を世に問うことが出来たら、と思う。書けるだろうか、いや書くべきだろう。
いかに人間は小さいか、性格は年をとっても変わらないものだという、諦観と共にそれを踏み台にして経験値として生き伸びることが大事なのだと。

歌が心に沁みていくのは、そこに人に対する慈しみがあるからだ。時代を越えても。慈しみを知らない人には伝わらないだろう。もちろん、その人はこの番組を見ることもないと思うが。



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