今朝、四時前から眠られなくなって、まだ起き出すには早すぎるなあ、と思い。
自分の過去記事を読み始めた。ここ一年半ぐらい前からの分を。更新がずいぶん途絶えていたなあとか思いつつ、それでも少しずつはアップしていたんだなって。数年前は結構ひんぱんにアップしていて、マウス画とか、ポエム?みたいなものも書いていた。
でも、一年前ぐらいの記事はほとんど母に関するものが多かった。読みながら、そういえばこういうことあったあった、可笑しかったよなあ、とか。そのときの母との会話や素振りが色あせることなく思い出された。
元気な母の姿を思い出すことができた。体調はずっとすぐれなかったけど、それでも庭仕事の監督をしたり、テレビを一緒に見たり、スポーツ観戦(テレビ)に興じたり、元気になれることは結構あった。そういうものを見つけることも上手な母だった。
思った。
ここに書いてきて、良かったなと。
ここがなかったら、書いてこなかったら、あの日の母の姿がこんなに鮮やかに浮かんでくることはなかったに違いないと。言葉に書いておくことの大切さを、改めて感じた。
gooに出会って、何度も挫折を味わって、もうこれで終わりにしようと何度も思ってきた。そのたびに、いや、待てよ、止めることはいつでもできる、放っておいたままでもいつか復活することができるんじゃないか? 終わりにしたら、これまで書いてきた言葉は消えてしまうよ(保存しておけばいいのだけど、いつからかそれもしていない)、もう少し後でもいいんじゃない? そういう気持ちが残ってここまできたのだった。
だから、今は、あのとき退会しなくて良かったと思える。これから先も沈下することはあるだろうけど、これまで書いてきたことの中に在る「わたしの思い」が読み返すたびに蘇るだろうから。
キュートな母の言動、弥次喜多道中みたいなふたりのこと、こども達の結婚のこと、今同じように書けるとは思えない。そのときどきの一瞬一瞬を切り取っているから、胸に蘇るのだ。
これから、どんな言葉をここに書いていけるのか。未来はわからないけど、未来の自分が読み返したときに、ここがあって良かったと思える自分がいてほしい。