心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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少しずつ少しずつ

2018年04月17日 | 母のこと
母の庭も少しずつ少しずつ・・・
ちらほらと緑が見えてきました。雪に埋もれて斜めになっていたプランターには菊の小さな芽がぴょんぴょんと伸びていて、斜めを元に戻し、土をかけてあげました。もちろん、母の指示でね。
わたしはそういうことは全然疎くて気がつかないけど、母が物置の窓を開けて庭を見たら、そこに無残にプランターが斜めになって見えて、わたしに出動命令が下ったというわけ。母は窓から顔を出し、わたしにあれこれと指示。プランターがまっすぐになるように下の石をならすことから始め次は根が見えそうになっている部分に土を探し、かけてあげることを指示。

娘のわたしは偉大なる(笑)母の指示には逆らえない。
なんといってもガーデニング○○年の年季が入っているものね。父はそういうことには疎くて、あっわたしは父に似たんだね。
逆に亡くなった弟が母とは趣味があっていたね。弟もガーデニングはよくやっていて、二人であぇでもないこうでもないと。母に頼まれてよく花の苗を買いに行っていた弟だった。可愛い草花を見る事も写真に収めることも好きだったね。

同じ姉弟なのに、趣味というか興味の対象が違うって面白いね。わたしは父に似ていたんだろうなあ。でも囲碁は出来なかったけど。
父がガーデニングには少しも興味がなかったので、母はまだ体が丈夫だった頃(といっても痛み止めが効いていただけだけど)レンガや土を自分で好きな風に使って裏庭と前の庭を自分なりに作り上げた。それが今では小さな草さえも取るのが困難になっている。どれだけ悔しいことだろう。
最近、母の口癖は
「今年も○○(母の妹)、来てくれるよな」だ。叔母は草取り大好きで、母のところに滞在している間、庭がきれいになった。母も嬉しかったに違いない。
その叔母がいつ自分のところに来てくれるのかと心待ちにしているこの頃だ。
それというのも、娘のわたしが不甲斐ないからだけど。草取りの仕方も分からない。これって覚える気がないからだろうね。今年こそはちゃんと覚えようと思っていたんだけど、母には全てお見通しのようで、叔母に期待をかけている。わたしは眼中に無い、頼りにならないと思っているようだ。

その叔母がいつやってくるか、首を長くして待っている。わたしも母も♪
遅すぎた春は、叔母と共にやってくるのかもしれない。