AID STATION

今を精一杯生きたい

萩往還のエピソード

2010年04月08日 13時20分09秒 | インポート

距離が半端ではないので、大会中にいろいろハプニングが起こります。

① エイドで休んで、出発すると・・なんかさっきと違う。よくみるとライトをエイドに置き忘れていた・・・・あわてて取りにもどった。

② 青海島(おおみじま)(153km)でのこと・・・夜中疲れ果て、睡魔が襲っていた。竹林の横を歩いていたら、先にビルが見え、その前に人が犬を連れて立っていた。犬は危ないなと思い、少し避けて通り過ぎようとしてフト見ると・・・・・・何もなかった・・・・そこは竹林だけだった・・・・幻覚でした。

③ 笠山(206km)でのこと・・・・真夜中、細い道の横の草むらで用を足していた。足音が聞こえ、だれか来ているかもと思い、少し前へ出た・・・・そこは斜面だった・・・・1回転して落ちた。ライトもなくなり、大慌て。全身真っ黒になった。

④ 初参加のとき・・・・天気予報は雨、いつも着るウインドブレーカで大丈夫とたかをくくっていたら、全身びしょ濡れ。背負っていたバックを開けると、おにぎりがぼろぼろになり、バックの中はおかゆ状態。その中にオーディオ、地図があった。すべて捨てた。

⑤ 初参加のとき・・・・今まで走り過ぎて貧血になっていることを知らなかった。仙崎(163km)で休んで、立とうとしたら、ものすごいめまい。立っておられないので、横になった。30分してもめまいはとれず・・・・・心配になって、ついにリタイヤ宣言・・・・・翌朝まで宗頭で寝ていた。

⑥ 宗頭で寝なかったとき・・・・萩市内(3時ごろ)に入ったが眠たくてたまらない。真っ暗で今自分は寝ているのか、暗い中を歩いているのかの区別がつかなくなった・・・・気が付くと15分同じところに立っていた。

などなど、いろいろあります。日ごろ体験できないようなことが起こるのが、萩往還です。だから止められません。

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萩往還道の地名

2010年04月08日 10時20分45秒 | インポート

萩往還道は江戸時代、毛利氏が参勤交代のため切り開いた道。萩市内(萩城)から防府市までの53km。選手の完踏記を読むといろいろな地名が出てくる。地名について調べてみた。

●松蔭神社:幕末の武士、吉田松陰を祭神とする神社

●涙松(なみだまつ)跡:萩市内から萩往還有料道路に入るまでの道。「松並木から見え隠れする萩市をみて涙したという」ところから。

●悴坂(かせがざか)建場跡:萩往還有料道路料金徴収所(今はない)の1km先の所、萩城から1里のところ、休憩所がある。「悴」とは手がかじかむこと。それほど寒いところなのか。

●1升谷:登りきるのに1升の水が必要と言われている?

●釿ノ切峠(ちょうのぎり):釿とは大工道具で平ノミのようなもの。それで削ったような丸みおびた峠だから?

●新茶屋:釿ノ切峠からすこし先で国道左に離れる。そのあたり。昔宿があったそうな。

●首切れ地蔵:源助という人が地蔵のお告げで沼中から掘り出した。掘りだしたときに、首が離れていたので、この名がついた。頭がないわけではない。コースからちょっと入ったところにある。完踏祈願。

●板堂(いたどう)峠:板ぶきのお堂をこの辺に建てたことから付いた名。

●天花畑(てんげばた):天上界に咲く霊妙な花のこと?この辺は当時の風情を残しているとのこと。

こういうこと考えて走ると、また違った萩往還道として楽しめるかも。

コメント (2)
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