――「夢千代日記」と吉永小百合――
NHKのBSチャンネルで、映画やドラマ、自然の風景、美術・芸術などの放送を楽しんでいます。
このたび昭和56年(1981年)に放映された『夢千代日記』が再放映されることになりました。これは「ドラマ人間模様」と言う題で三部作となっています。
主人公の「夢千代」にはごぞんじ「吉永小百合」が演じています。
ところで、「笑っていいとも・テレホンショッキング」がこの3月末で終了しました。最終テレホンゲストとして、自他ともに許す熱烈な「小百合スト」タモリが、「吉永小百合」を呼びたかったのだそうですが、彼女の撮影仕事の都合で「タケシ」に変わったのだそうです。
昭和20年(1945年)生まれの彼女はまさに団塊の世代のマドンナ的存在で、この世代を中心とした「小百合スト」達は数多く、芸能人への「熱烈ファングループ」の走り的そんざいになっています。
昭和34年(1959年)14歳で「朝を呼ぶ口笛」で映画デビュー以来、平成26年(2014年)の「ふしぎな岬の物語」までにおよそ120本の映画に出演してきました。
昭和37年(1962年)に「キューポラのある街」で<ブルーリボン主演女優賞>を受賞しています。(17歳での受賞は最年少記録としてまだ破られていないはずです)
その2年後の昭和39年(1964年)に主演した作品「愛と死をみつめて」は全国民の紅涙をしぼり取ったものでした。
レコードでも、デビュー作「寒い朝」や、橋幸夫とのデユエット「いつでも夢を」などの高人気ぶりはいまでも語り草になっています。
子役から、青春女優と順風満帆で歩んできた「吉永小百合」でしたが、どうしたことかいつまでも「清純派女優」というレッテルを貼られ、「大人の役者」になり切れず今日まで来ているとの評があります。
昨今もあいかわらず前評判が高い作品に主演していますが、どうも興行的には成功とは言えないようで、劇場でも気がつくといつの間にか「上映終了」になっている例が多いように感じます。
TVドラマも数多く出演していますが、そのなかでも小百合自身も満足感をお持ちでしょう「夢千代日記」は特筆すべき作品かと思います。
この作品の前後から「原爆被害」に関心をもちはじめ、「反原爆、ノーモア広島」の運動に深く寄与しています。
東日本大震災における「福島、原発事故」にも「反原発」の態度を明確にして被 災者への応援に尽力しているようです。
4月15日、先の都知事選で一敗地にまみれた「細川・小泉両元首相」が「発ゼロ」をめざし、再生可能エネルギー普及を研究する「一般社団法人・自然エネルギー推進会議」を設立することが明かされました。
両氏は「反原発」を標榜する地方の首長や議員の選挙を応援し、「推進会議」で得た成果を候補者の政策に反映させたい・・・との意向があるようです。
この「推進会議」の設立応援者の一人として『吉永小百合』の名が報じられているのです。
再放送される「夢千代日記」を楽しみに待ちながら、想いを重ねた今日の雑記の内容ではあります。