かるさんのgooブログ <北国たより>

身近な話題を画像といっしょに・・・

なつかしいTVドラマの再放送

2014-04-17 18:12:18 | 日記・エッセイ・コラム

――「夢千代日記」と吉永小百合――

 NHKのBSチャンネルで、映画やドラマ、自然の風景、美術・芸術などの放送を楽しんでいます。

 このたび昭和56年(1981年)に放映された『夢千代日記』が再放映されることになりました。これは「ドラマ人間模様」と言う題で三部作となっています。

主人公の「夢千代」にはごぞんじ「吉永小百合」が演じています。Img_5878

 ところで、「笑っていいとも・テレホンショッキング」がこの3月末で終了しました。最終テレホンゲストとして、自他ともに許す熱烈な「小百合スト」タモリが、「吉永小百合」を呼びたかったのだそうですが、彼女の撮影仕事の都合で「タケシ」に変わったのだそうです。

 昭和20年(1945年)生まれの彼女はまさに団塊の世代のマドンナ的存在で、この世代を中心とした「小百合スト」達は数多く、芸能人への「熱烈ファングループ」の走り的そんざいになっています。Img_5881

 昭和34年(1959年)14歳で「朝を呼ぶ口笛」で映画デビュー以来、平成26年(2014年)の「ふしぎな岬の物語」までにおよそ120本の映画に出演してきました。

昭和37年(1962年)に「キューポラのある街」で<ブルーリボン主演女優賞>を受賞しています。(17歳での受賞は最年少記録としてまだ破られていないはずです)

その2年後の昭和39年(1964年)に主演した作品「愛と死をみつめて」は全国民の紅涙をしぼり取ったものでした。Img_5893

レコードでも、デビュー作「寒い朝」や、橋幸夫とのデユエット「いつでも夢を」などの高人気ぶりはいまでも語り草になっています。

 子役から、青春女優と順風満帆で歩んできた「吉永小百合」でしたが、どうしたことかいつまでも「清純派女優」というレッテルを貼られ、「大人の役者」になり切れず今日まで来ているとの評があります。

 昨今もあいかわらず前評判が高い作品に主演していますが、どうも興行的には成功とは言えないようで、劇場でも気がつくといつの間にか「上映終了」になっている例が多いように感じます。Img_5900

 TVドラマも数多く出演していますが、そのなかでも小百合自身も満足感をお持ちでしょう「夢千代日記」は特筆すべき作品かと思います。

 この作品の前後から「原爆被害」に関心をもちはじめ、「反原爆、ノーモア広島」の運動に深く寄与しています。

 東日本大震災における「福島、原発事故」にも「反原発」の態度を明確にして被 災者への応援に尽力しているようです。Img_5922

415日、先の都知事選で一敗地にまみれた「細川・小泉両元首相」が「発ゼロ」をめざし、再生可能エネルギー普及を研究する「一般社団法人・自然エネルギー推進会議」を設立することが明かされました。 

両氏は「反原発」を標榜する地方の首長や議員の選挙を応援し、「推進会議」で得た成果を候補者の政策に反映させたい・・・との意向があるようです。Img_5930

 この「推進会議」の設立応援者の一人として『吉永小百合』の名が報じられているのです。

 再放送される「夢千代日記」を楽しみに待ちながら、想いを重ねた今日の雑記の内容ではあります。

Img_5963

 

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困った対岸の原発 

2014-04-13 10:49:45 | 日記・エッセイ・コラム

この11日、政府は原発を「重要ベースロード電源」と位置付け、再稼働を進める方針を明記して「エネルギー基本計画」を閣議決定しました。Img_6253

[再生エネルギー」導入の加速もつけくわえているものの、核のゴミ問題についての明確なものはなかった。

これにより前政権の「原発」ゼロ方針」をすてることになりました。

 43日北海道は函館市が、対岸の青森県大間町に電源開発が建設している「大間原発」の『建設差し止め』の訴訟を行いました。Img_6303

 大間町と函館の街は、津軽海峡を挟んでいるものの、最短距離で23㎞しか離れておらず、経済も人的交流も頻繁な関係にあります。Img_6293  

もしこの「大間原発」に重大事故が発生した場合、地形・風向きなどからして、函館は壊滅的な被害を受けると予想されます。

 函館市のこのたびの訴訟の趣旨は・・・・

 原発から30Km圏内の「緊急防護措置区域」にあるため、原発建設の同意手続きを立地自治体と同じように、周辺自治体にも説明し同意を求めるべき・・・ということなのです。Img_6283

函館市はこれまでに、国へ再三再四細かい説明を求めてきましたが、ほとんど無視に近い状況に置かれてきました。

「そんな馬鹿な!!」と、初めての「地方行政が国を訴える」という事態が起こったのです。Img_6263

 この訴訟、地方行政組織が、国の行政を訴えることがはたして取り上げられるのかどうか?前段階で?と、注目されています。

ちなみに函館市は今回の訴訟費用の寄付を募っていますが、4月9日現在、道外からも含めて285件、約1250万円も集まったとのことです。

冒頭の「エネルギー基本計画」の閣議決定発表に関して、官房長官が、原発再稼働は「原子力規制委員会」が規制基準に適合すると認めたものから行うもので、政府の意向ではないと発言しています。Img_6310

――政府御用機関への丸投げスタイルです――

福島原発事故も一向に収束する気配もなく、逆に次々と問題、難題が起こっています。

多くの国民が「脱原発」を願っていますが、現政権はこれを無視する格好で「原発推進」を推し進めています。Img_6264

 函館市の訴訟を応援しながら、現政権の方針は将来のこの国に、大きな禍根を残すことになると懸念しています。

Img_6338

 

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切なる願いを叶えて・・・

2014-04-10 12:27:30 | 日記・エッセイ・コラム

 Img_6243 ――STAP細胞論争に思う――

 当然のことながら、人はその育った環境、今置かれている立場、暮らしの度合い、健康状態などで「考え方が違って」きます。 

京大の中山教授グループの「IPS細胞発見」ニュースに続き、「夢のSTAP細胞」発見の報に喜びを覚えました。

 これらの科学的発見が、もう20年も早かったなら、己が抱える病的悩みも、もしかしたら解消していたかも・・・・と夢想もしていました。Img_6250

 急転直下の「STAP細胞論文撤回方向へ」の話しです。

 「科学者失格」の烙印を押されようとしている小保方氏が、当該組織へ不服申し立てをし、きのう(9日)研究者としての未熟さと世間を騒がせていることを重ねて詫びながら、反論記者会見をしました。

 論文の肝心なところが「意図的不正・捏造」だったのかどうか、この時点で私達には判りません。 

判りませんが、記者会見を通して、「STAP細胞はある」と断言した小保方氏の研究に対する真摯な熱意と、さらに研究を進めて成果を挙げ「人々の役に立ちたい」という心根は痛いほど伝わってきます。Img_6257

 科学者としての常識の欠如、独特の研究態度への疑問符、研究資料の不足・・・

 などなど、氏を咎めるかずかずの言葉はあたかも「魔女へ射る弓の矢」のごとく突き刺さっています。 

ここで、私は最初に書いた「抱える病的立場」に立って、情緒を全面に出して「STAP細胞はある!!」という言葉に与することになります。 Img_6274

 歴史を紐解くまでもなく、後世に偉大な功績を遺した科学者や文学者、為政者、政治家、芸術家が生前いかな生きざまをしたかを伺うことができます。

 みなが順調に世に認められたわけではありません。

 ある人は「奇矯」と言われ、ある人は「偏屈者」と呼ばれ、場合によっては「住む社会から追放され」、「いのち」まで奪われた人も少なくはありません。

 小保方氏の研究手法や研究記録の保存方法が「一昔前の職人的・コツやレシピの駆使・手作業てき」だとしても、なんら咎められる筋ではありません。

 そんなことをウンヌンしながら、病気を抱えて苦しむ何千萬人という人々のかすかな希望を消して欲しくはないのです。Img_6284  

いま必要なことは、当該組織や業界の「組織防衛やつまらぬ矜持」を捨てて、

 小保方氏をも含めた、オールジャパンで「STAP細胞の存在」を確実なものにする研究を、さらに進める方向へ持って行って欲しいものと・・・春めいた小雨の降る外を眺めながら強く願うところです。

Img_6309

 

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デジブック 『新館のふきのとう文庫』

2014-04-09 18:16:32 | 日記

小さな文庫の大きな存在    

――ふきのとう文庫の新スタート―― 

 札幌市の郊外、山すその清流がながれる閑静な場所にあった「ふぃきのとう文庫」が、このたび街の中心地に新築移転しました。(2014年3月6日・新開館)

 「ふきのとうとう文庫」は、創設者の「小林静江氏」が、1970年に自宅で「身体障害児」のために、読書や外出の機会を持ってもらうことを念頭にした「こども文庫」から始まりました。

それからおよそ4年後、札幌市の郊外山すその閑静な地に移転し、ほぼ40年もの長い期間活動してきました。

 好環境ながら、建物の老朽化やアクセスの難点を解消すべく街中への移転が計画さました。

公的な助成金に、企業や一般の人たちの賛助金、寄付などで、今回の新規会館となったのです。

 障害を持つ児童を中心に、当然ながら一般児童の利用も銃です。

この図書館の特徴はなんと言っても「布の絵本」「拡大本(目の不自由な人に)」「大きな絵本」などの豊富さでしょうか。

 「布の絵本」の作成は、デザイン、材料裁断、手縫い作成などをすべてボランテイアの人々が行っています。

その素材をキットにして、作成レシピと共に頒布しています。

長い間、全国各地からの求めに応じて来たとのことです。

ちなみに、「ふきのとう文庫」のロゴ絵は、画家で詩人の「故坂本直行氏」から直接使用許可をもらったものだそうです。

 この小さな文庫が、これからも長い間、地域や全国の多くの児童に対し、大きな役割を果たしてくれることを願ってやみません。

 ――図書館の内の画像をデジブックにしてみました――

 デジブック 『新館のふきのとう文庫』

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小さな文庫の大きな存在 

2014-04-06 12:03:49 | 日記・エッセイ・コラム

 ――ふきのとう文庫の新スタート――  

札幌市の郊外、山すその清流がながれる閑静な場所にあった「ふきのとう文庫」が、このたび街の中心地に新築移転しました。(201436日・新開館)

 

「ふきのとうとう文庫」は、創設者の「小林静江氏」が、1970年に自宅で「身体障害児」のために、読書や外出の機会を持ってもらうことを念頭にした「こども文庫」から始まりました。

それからおよそ4年後、札幌市の郊外山すその閑静な地に移転し、ほぼ40年もの長い期間活動してきました。

 好環境ながら、建物の老朽化やアクセスの難点を解消すべく街中への移転が計画されました。

公的な助成金に、企業や一般の人たちの賛助金、寄付などで、今回の新館が完成しました。

 障害を持つ児童を中心に、当然ながら一般児童の利用も自由です。

 この図書館の特徴はなんと言っても「布の絵本」「拡大本(目の不自由な人に)」「大きな絵本」などの豊富さでしょうか。

 「布の絵本」の作成は、デザイン、材料裁断、手縫い作成などをすべてボランテイアの人々が行っています。

 その素材をキットにして、作成レシピと共に頒布していて、 長い間全国各地からの求めに応じて来たとのことです。

 ちなみに「ふきのとう文庫」のロゴ絵は、画家で詩人の「故坂本直行氏」から直接使用許可をもらったものだそうです。

 この小さな文庫が、これからも長い間、地域や全国の多くの児童に対し、大きな役割を果たしてくれることを願ってやみません。

 ――図書館の内の画像をデジブックにしてみました

http://www.digibook.net/d/eed4c1d3915a28f8e165b8254a79654b/?viewerMode=fullWindow&isAlreadyLimitAlert=true

 

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