かるさんのgooブログ <北国たより>

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『名こそ惜しけれ』

2003-09-02 21:22:00 | インポート
鎌倉時代のそれより少し前、農民が武装化し「武士」という階級が生れてきた頃のことです。
関東の武士集団の中に『名こそ惜しけれ』という行動規範が存在しました。

ヨーロッパでは、社会秩序の維持にキリスト教的倫理観が生れ、「神に誓って・・・しない」とか「神がご覧になっているから・・・」と言ったように、宗教が人の行動規範として作用してきました。
この国の場合、人としての行動原理はキリストやお釈迦さん、マホメットではなく、どちらかと言えば「鎌倉武士」に人間としての美学を求めてきたようです。
鎌倉時代以降八百年あまり、武士を中心として引き継がれてきた『名こそ惜しけれ』の精神は、つい近年まで社会に通用する倫理観(行動規範)でした。
武士の時代は、疑惑を持たれたら「その場で立ち腹を切って」でも身の潔白を証しましたし、庶民の間でも「後ろ指をさされるな・・」とか「・・・として恥ずかしくない行いを」や「襟を正す」姿勢が当たり前のように言われもしました。

ここで歴史のおさらいや、受け売りの知識をひけらかす積りはありません。

つい先日、《疑惑の総合商社》と言われた「某氏」が仮釈放され、塀の向う側から出てきました。胸には今もしっかりと「金バッジ」が光っております。
数々の疑惑は、当然のことながら司法の場で争うことが認められている現代の社会の仕組みです。
当人が「私は潔白である」と主張する以上、それは仕方のないことです。
ですが、どう見てもその「潔白」は胡散臭く腐臭がただよいます。
折りしも「総選挙」間近かとささやかれております。地元の一部では出馬待望論があり、本人もその気のようです。

いつの頃からか、この国の為政者の多くが「国の為、国民のため・・」という美名に隠れて、目先の私利私欲に動く傾向にあります。地元への利益誘導の働きかけとそこから得る見返り。
そこにはいささかの「矜持」も無く、『名こそ惜しけれ』という行動規範のかけらすら見受けられません。
さらに言えば、そんな政治屋を生み出す地元の風土。「そったな精神論より生活が先だっぺ!!」と言いつのる人々。
そしていま、市民の間に蔓延する「自分だけよければ、其の時良ければ・・・」と言った思考への傾斜に暗澹たる思いがするのです。

ますますグローバル化して行くこの時代、世界に自信を持って臨むことの出来る日本の歴史と、同時に培われてきた行動規範 『名こそ惜しけれ』 の精神は、ほんの数十年という短い時間のうちに、この国の民みずからの手で葬り去ろうとして居るようです。

いま、あの世にいる、頼朝を筆頭とする「鎌倉武士集団」がこの国の様子を垣間見て、なんと嘆き合っているものか?と、一度ぜひ聞いて見たいと思ったりもするのですが・・・・。
コメント
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