火曜日、この日は野球応援でした。月曜日は海の日で祝日なので試合を行ってはいけないという話でした。そのため授業日である火曜日に大会が開催されることに。そのため1時間目だけ授業を行い(もちろん私も授業あり)、その後柳井まで移動という流れでした。うちの学校の目の前には野球場があるのですが今回は柳井球場での試合。対戦相手もうちのすぐそばの学校ですがわざわざ1時間かけて移動することになります。仕方ないですが。
柳井球場、実は非常に思い入れがある球場です。今の仕事について2年間、実は野球部部長でした。「うちは陸上に力を入れていない」と言われて野球をやれという話でした。そのため右も左も分からないまま野球部長をやることに。その時、3年生が1人で他は1・2年生のみというチーム状況でした。野球に力を入れ始めてやっと男子が集まり始めたというところでした。その前の年は人数が足りなくて新人戦の時には3年生にブルペンキャッチャーをお願いしなければいけないという状況もあったようです。
そのような状況で迎えた夏の大会、初めて柳井球場で試合。下馬評は対戦相手のほうが圧倒的に上でしたがその試合うちのチームが勝ちました。その盛り上がりと言ったら尋常ではなかった(笑)。私も初めてベンチに入り何もできないので選手と一緒に声を出していました。チームが一丸となって勝つという雰囲気を味わいました。良い経験だったと思います。
野球応援、応援する側も実際にやっている選手も非常に盛り上がります。「学校行事」として位置づけられていますが1年生にとっては良い経験となります。野球応援というのは色々な意味で特別なものです。通常であれば県大会の予選から応援団を設けて学校を上げての応援をするという事はほとんどありません。これに関しては色々と思うことがありますが、実際に応援に参加した生徒は非常に良い表情で応援します。チャンスになると声を枯らしながら全力で応援。こういう機会を設けることはある意味必要なのかもしれません。うちは体育祭という行事がありません。みんなで何かをするという経験が不足します。こういう場面で何かを思いながらやっていけるというのは大きいと思います。大変ですが。
しかし、野球応援の終わった瞬間の喪失感というのは計り知れません。一生懸命にやったからと言って必ず勝てるものではない。勝ったゲームは最後まで気持ちが高ぶっていますが「負け」に直面した時の何とも言えない雰囲気はやはり耐えられません。これは野球の部長の時はもっとすごかったですね。負けて泣き崩れている選手にどのような言葉をかけるのか?他のスポーツであれば関係者だけが見ています。野球応援は多くの生徒が見ているのです。生徒も野球部の選手になんと声をかけていいのか迷うはずです。難しいところだと思います。
生徒は「感動した」と涙を流していました。一生懸命に何かをやる姿というのは他者に感動を与えます。適当にやっている姿では誰にも影響を及ぼしません。「負け」とどのように向き合うかというのも大切なことだと思います。できることを全てやってそれで勝てなかったのか、不十分なままで勝てなかったのか。これにより「残るもの」が違うと考えています。「負けても仕方ない」と思うような練習ではダメです。勝つことだけを考えてそのために精一杯練習をする。やってやってそこで何を感じるかだと思います。
負けて涙も流せなような状態ではそれまでの3年間の「想い」がそれだけだということ。「負けても仕方ない」と思う中でやっていたら涙どころか感動さえもありません。「勝利至上主義」とは言いませんが「勝たなくていい」と思って練習するようでは絶対に強くはなりませんし、獲るものがない。「楽しくやりたい」という選手もいるかもしれません。高校の部活動では「趣味の延長で良い」と考える生徒も保護者もいるのかもしれません。しかし、本当にそれで良いのか?雰囲気だけで涙を流すような練習ではやはり「残るもの」がありません。だからこそ必死になって練習をするのです。そう考えています。
試合には負けてしまいましたが良い試合だったと思います。応援団も吹奏楽部も1年生もしっかりと応援できたと思います。
柳井球場、実は非常に思い入れがある球場です。今の仕事について2年間、実は野球部部長でした。「うちは陸上に力を入れていない」と言われて野球をやれという話でした。そのため右も左も分からないまま野球部長をやることに。その時、3年生が1人で他は1・2年生のみというチーム状況でした。野球に力を入れ始めてやっと男子が集まり始めたというところでした。その前の年は人数が足りなくて新人戦の時には3年生にブルペンキャッチャーをお願いしなければいけないという状況もあったようです。
そのような状況で迎えた夏の大会、初めて柳井球場で試合。下馬評は対戦相手のほうが圧倒的に上でしたがその試合うちのチームが勝ちました。その盛り上がりと言ったら尋常ではなかった(笑)。私も初めてベンチに入り何もできないので選手と一緒に声を出していました。チームが一丸となって勝つという雰囲気を味わいました。良い経験だったと思います。
野球応援、応援する側も実際にやっている選手も非常に盛り上がります。「学校行事」として位置づけられていますが1年生にとっては良い経験となります。野球応援というのは色々な意味で特別なものです。通常であれば県大会の予選から応援団を設けて学校を上げての応援をするという事はほとんどありません。これに関しては色々と思うことがありますが、実際に応援に参加した生徒は非常に良い表情で応援します。チャンスになると声を枯らしながら全力で応援。こういう機会を設けることはある意味必要なのかもしれません。うちは体育祭という行事がありません。みんなで何かをするという経験が不足します。こういう場面で何かを思いながらやっていけるというのは大きいと思います。大変ですが。
しかし、野球応援の終わった瞬間の喪失感というのは計り知れません。一生懸命にやったからと言って必ず勝てるものではない。勝ったゲームは最後まで気持ちが高ぶっていますが「負け」に直面した時の何とも言えない雰囲気はやはり耐えられません。これは野球の部長の時はもっとすごかったですね。負けて泣き崩れている選手にどのような言葉をかけるのか?他のスポーツであれば関係者だけが見ています。野球応援は多くの生徒が見ているのです。生徒も野球部の選手になんと声をかけていいのか迷うはずです。難しいところだと思います。
生徒は「感動した」と涙を流していました。一生懸命に何かをやる姿というのは他者に感動を与えます。適当にやっている姿では誰にも影響を及ぼしません。「負け」とどのように向き合うかというのも大切なことだと思います。できることを全てやってそれで勝てなかったのか、不十分なままで勝てなかったのか。これにより「残るもの」が違うと考えています。「負けても仕方ない」と思うような練習ではダメです。勝つことだけを考えてそのために精一杯練習をする。やってやってそこで何を感じるかだと思います。
負けて涙も流せなような状態ではそれまでの3年間の「想い」がそれだけだということ。「負けても仕方ない」と思う中でやっていたら涙どころか感動さえもありません。「勝利至上主義」とは言いませんが「勝たなくていい」と思って練習するようでは絶対に強くはなりませんし、獲るものがない。「楽しくやりたい」という選手もいるかもしれません。高校の部活動では「趣味の延長で良い」と考える生徒も保護者もいるのかもしれません。しかし、本当にそれで良いのか?雰囲気だけで涙を流すような練習ではやはり「残るもの」がありません。だからこそ必死になって練習をするのです。そう考えています。
試合には負けてしまいましたが良い試合だったと思います。応援団も吹奏楽部も1年生もしっかりと応援できたと思います。