このまえ、古くからの友達が来てくれた。その彼の知り合いの女医さんは、浴びるように酒を飲むのが好きなんだって。それで、彼の方が「そんなに飲んだら体に悪いんちゃうん」と言ったら「たまには肝臓をいじめないと怠けよる」とか言ったとか(ちょっと、違う人がはいってるな、ここだけの話)
健康法って、ある一面だけをクローズアップしてるとこがあんのよねー。たとえば、「良く噛むこと」が大事だと言われてます。噛むと顎の発達に良い、脳に刺激がいくので活性化する、唾液には発癌物質の生成を抑える働きがある云々。でね、こういう意見もあるの。「噛むと胃が仕事をしなくなる。固いものを噛まずに食べることで胃が必死になって消化分解しようと、俄然働きが良くなるのだ」。もちろん、「噛まない事で胃が『余計な仕事』をしないといけなくなる」という意見もあるわな。ものは言いようか?と突っ込みたくなったりして。○○健康法、ってだいたいが「それだけ」に特化してたりするしね。それがたった一品の食材や健康食品であったり、たったひとつの器具や運動法であったり。
こうやれば人間は120歳まで生きられる、というテーマの本もあります。ただ、その人も120歳になってから書いたわけじゃなく(笑)編集の人が本のタイトルを決めちゃったりするから、余計にややこしい。
いろんな健康法があるけど、誰も死ぬ間際に書いたわけじゃないから、本当のところはわからないよねー。今やってる健康法が来年には否定されてるかもしれないし。(ジョギングブームを巻き起こした人がその最中になくなったのは有名な話。あ、、、ジョギングブームって知りません?あは、古すぎましたか)
それでも、ある健康法にピンときたんなら少なくとも、それをやってる間は信じきってやったほうが良いような気はするな。流行とかじゃなく、ピンときたんなら、ですよ?。
いろんなテレビで「あれが良い、これが効く」ってやってますよね。でも、食べ物としては八割は知ってるものでしょ。つまり、いままででもカラダにいいものはちゃんと食卓に上ってたんですよ。だから、いまさらなにを、とも思うんだけれども、「効果を知って食べる」という『効果』は馬鹿にならないような気もするのね。脳とカラダがその気になるからね。健康法も、そういう面があると思う。
あとは、カラダの声の反応や「快感覚」があるかどうか、が基準になるかな。「たまにはいじめなあかん」といっても翌日、二日酔いでしんどいなら虐め過ぎでしょ、ふつー。肝臓はアルコールを分解したくて存在してるんちゃいますからね。「飲みすぎでっせー」というあまりにもわかりやすいカラダからの声ですよね。「そればっかり」食べて全体にすっごく快調、ならいいけど、「ここはよくなったけど、こんどはあそこがしんどくなってきた」んなら、それはなんかおかしいですわ。カラダからいわせれば「ここ、も、あそこ、も」境界はないので、良くなるときは全体に調子がアップしてくるはずですからね。血液が全身を巡ってるわけで、そこだけ、に効くことのほうが珍しいですもん。
僕なら「人間が人間であるまえに生き物だ」と考えたらどういう健康法が合うだろう、もし人間が野生動物だとしたらなにを食べるだろう、そういうアプローチをします。この歯はなんのためにあるのか?この手や足には本来どういう機能があるのか?肝臓はなんのために存在するのか?それをしたら生き物としてのカラダが喜ぶか?本当か?理性や知識でなく、カラダが本当にそうしたい、と感じているか?
まあ、でも、、、こんだけ健康法がある、ということはある種救いでもありますよね。いくらでもやりなおしがきくわけですから。
健康法って、ある一面だけをクローズアップしてるとこがあんのよねー。たとえば、「良く噛むこと」が大事だと言われてます。噛むと顎の発達に良い、脳に刺激がいくので活性化する、唾液には発癌物質の生成を抑える働きがある云々。でね、こういう意見もあるの。「噛むと胃が仕事をしなくなる。固いものを噛まずに食べることで胃が必死になって消化分解しようと、俄然働きが良くなるのだ」。もちろん、「噛まない事で胃が『余計な仕事』をしないといけなくなる」という意見もあるわな。ものは言いようか?と突っ込みたくなったりして。○○健康法、ってだいたいが「それだけ」に特化してたりするしね。それがたった一品の食材や健康食品であったり、たったひとつの器具や運動法であったり。
こうやれば人間は120歳まで生きられる、というテーマの本もあります。ただ、その人も120歳になってから書いたわけじゃなく(笑)編集の人が本のタイトルを決めちゃったりするから、余計にややこしい。
いろんな健康法があるけど、誰も死ぬ間際に書いたわけじゃないから、本当のところはわからないよねー。今やってる健康法が来年には否定されてるかもしれないし。(ジョギングブームを巻き起こした人がその最中になくなったのは有名な話。あ、、、ジョギングブームって知りません?あは、古すぎましたか)
それでも、ある健康法にピンときたんなら少なくとも、それをやってる間は信じきってやったほうが良いような気はするな。流行とかじゃなく、ピンときたんなら、ですよ?。
いろんなテレビで「あれが良い、これが効く」ってやってますよね。でも、食べ物としては八割は知ってるものでしょ。つまり、いままででもカラダにいいものはちゃんと食卓に上ってたんですよ。だから、いまさらなにを、とも思うんだけれども、「効果を知って食べる」という『効果』は馬鹿にならないような気もするのね。脳とカラダがその気になるからね。健康法も、そういう面があると思う。
あとは、カラダの声の反応や「快感覚」があるかどうか、が基準になるかな。「たまにはいじめなあかん」といっても翌日、二日酔いでしんどいなら虐め過ぎでしょ、ふつー。肝臓はアルコールを分解したくて存在してるんちゃいますからね。「飲みすぎでっせー」というあまりにもわかりやすいカラダからの声ですよね。「そればっかり」食べて全体にすっごく快調、ならいいけど、「ここはよくなったけど、こんどはあそこがしんどくなってきた」んなら、それはなんかおかしいですわ。カラダからいわせれば「ここ、も、あそこ、も」境界はないので、良くなるときは全体に調子がアップしてくるはずですからね。血液が全身を巡ってるわけで、そこだけ、に効くことのほうが珍しいですもん。
僕なら「人間が人間であるまえに生き物だ」と考えたらどういう健康法が合うだろう、もし人間が野生動物だとしたらなにを食べるだろう、そういうアプローチをします。この歯はなんのためにあるのか?この手や足には本来どういう機能があるのか?肝臓はなんのために存在するのか?それをしたら生き物としてのカラダが喜ぶか?本当か?理性や知識でなく、カラダが本当にそうしたい、と感じているか?
まあ、でも、、、こんだけ健康法がある、ということはある種救いでもありますよね。いくらでもやりなおしがきくわけですから。
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