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尼崎・武庫之荘の整体院です。腰痛・股関節・膝痛、首痛や頭痛など大得意。回数券を必要としない、通えない方のための整体です

霊障なのか?

2005-09-08 09:47:19 | 健康 整体
「霊障だ、って言われたこともあるんですよ」と彼。

関東の彼とそんな話をしていたのでした。
四代前の先祖が、どうにかしたらしい。それ以外にも何体かの霊を取ってくれたらしいが、まだまだ時間がかかりそうだから、しばらくおいで、と。ほっとくともっと不幸になるよ、と施術家。それ以外にも友人の知り合いの宗教家からも同じような事を言われていたらしい。

僕は、霊の話、大好きです。こんなに好きなのに、見たことも感じた事も、なーんにもありません。だから、霊が憑いてるのもなんもわからないのですが。ですが、ひとつ言えるのは、施術家がお客さんを脅かしたらいかんやろ、ということです。脅かして不安にさせて通わせるなら、霊感商法に堕してしまう。

そう断った上で。
そんなに簡単にとっちゃっていいのかなー、と僕は言いました。なぜなら、一つ前のブログに書いたように、「意味を奪うことになるんじゃないの」と思うからです。憑いてる霊にしたって、もしかしたら、なにかを学んで成仏するチャンスだったかも知れない。憑かれた方も、なにかに気付いて成長する機会だったかも知れない。それをいとも簡単に潰しちゃっていいのだろうかと。また、霊を祓うにしろなんにしろ、大層なことは必要ないんじゃないの、とも思うんです。霊だってもとは人、人だってもとは霊。そう考えたら「ふつうの言葉」で通じる相手なわけですよね。古語を使うこともサンスクリット語を使わねばならない必要も、あんまり僕は感じませんが。
コドモだって、抱っこから下ろそうとするとしがみついてきたりします。抱っこしつづけると、下ろせ-と言います。引っぺがすだけでなく、満足させ、成仏することのメリットを教えてやればいいだけなんじゃないんでしょうか?

もっとも、霊をエネルギーと観る人もいて。その人達は、霊を祓うとかではなく、「霊、というイメージをもつエネルギー」を浄化する、なんて言う考え方になるんですね。

どちらにしろ、また、ここに戻ってくるわけです。「他人が、他人についた他人の霊を、『意味を全うすることなく』祓っちゃっていいのか?」それが幸せにつながるのか?目の前の不都合を取り除けば、幸せと言えるのか?

僕も、霊障だ、という人(自己申告。トランス状態になって、「こいつ(本人ね)を許すまじ」と口が勝手にしゃべったり、とかはあるらしい)を施術したことはあります。良くはなりましたよ。でも、霊障なのに、整体で良くなったら、ツジツマがあわなくなりますよね。その人にとっては、これから先、痛くなったときに苦しい選択を迫られるかも知れません。霊障だー、と言って良いのか、もしかしたら「単なる痛み」なのか、、、。

また、こんなこともありました。腰が痛い、というママさん。少し残る、というので「痛くなる前になんかありましたか?」と聞くと「宿題をやならいからコドモをきつく叱ったことがある」と。だもんで、僕は手を当てながら心の中でお母さんの代わりをしてあげました。「○○ちゃんのことが嫌いでおこったんちゃうからね。ママはあなたを愛してるよ。ママはいま、腰痛で困ってるから、○○ちゃん、ママに力を貸して」数秒後には腰痛はきれいさっぱり無くなってました。
残念ながら、僕はなにも感じないし、みえないので、この現象に解説を加えることはできません。コドモの想いがママの腰にきていたのか(生霊とでも名付けますか?名付ければ僕も今日から霊能者っっっ)、ママのキツクあたってしまったという後悔の念が腰にあったのか、単に僕の手から気でも出ていて、改善したのか。

さて、わからないものはそのまま置いといて。
霊障、という「現象」を否定はしませんが、それを「障」だと捉えて良いのか?そこが僕の最大の疑問です。
うーん、三回では終わらんな。次は「患者さんの悪いものを、もらう?もらわない?」です。その次は、「結局、彼がどう良くなっていったのか」という話になって、終わる、、、、かな。このシリーズが終われば、ブログもいったん休もうかしら。なんか、整体のブログじゃ無くなってる、、、。

コメント
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