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尼崎の整体院です|「かいつう館の日々是整体」 腰痛など慢性の痛みは当院にお任せください^^

尼崎・武庫之荘の整体院です。腰痛・股関節・膝痛、首痛や頭痛など大得意。回数券を必要としない、通えない方のための整体です

邪気邪気ジャッキー

2005-06-14 14:04:31 | 健康 整体
たまあに、聞かれます。こういう仕事をしててお客さんの邪気をもらうことはないんですか、と。

無いです。もらったことに気付かないだけ?いえ、仮にもらっても気にしない。気にしないから、「無い」のと同じ。

そもそもは「もらわない」と決めているんです。「もらうこともある」と決めたら、多分、もらうこともあり得ます。邪気を受けないからといって「邪気はない」とは言い切りません。「邪気はあるんだ」というひとには、確実に邪気は存在するもんですから。

確かに、「今日、なんで頭が痛いんだろー」と思っていたら、すぐあとに「頭痛なんですけど見てもらえますか?」なんて電話があったりしました。その方は電話予約の話をしている間に半分は治まったそうです。それを「僕がお客さんの邪気を受けた」と判断してしまえばそうなるだろうし、単に「頭が痛かったなあ、やれやれ」ですましてしまえばそれまでだし。この前の「なにが見えますか?」って話にもつながりますが。

腰が痛い、邪気のせい?でも、その痛みのおかげで動きが制限されてもっと悪くなるのを防ぐ事ができているのかも知れない。それを邪気と呼んじゃっていいのか?痛いから、異常に気付くんだし。だとしたら邪気もまた有りがたい?これは病の意味論、ですね。病をどう捉えるか、によってそれが邪気にも見えありがたいメッセージ(個人的には有りがたくはないけれど)にも見えるんじゃないでしょうか。

邪気がない、とは言ってませんよ?「邪気だ」と思ってるお客さんには「邪気を抜いてやれば」良くなるでしょう。その場合、当人同士は邪気の存在を確信するはずです。「祟りだ」と思ってる人には「祟りを祓ってやれば」良くなります。「気が不足」している人には補い、「気が滞っている」人は流してやり、憑き物がついてる人は落としてやる、、、伝えたい事、わかります?
夢枕獏という作家は「陰陽師」のなかで「それに『石』と名付けることでそれは石になるのだ。それが呪(しゅ)というものの本質だ。あなたは○田△男である、その名前がひとつの呪(しゅ)なのだ」というニュアンスのことを言わせています。(呪、しゅ、とはここでは呪い、のことではありません。)誰かがそれを「邪気」と呼ぶなら、、、それは邪気になる、という観方もあるんですよね。その場合、そこに「石」というものが厳然と存在するように、邪気もまた。
「あなたの腰痛は骨盤の歪みが原因だ」という呪をかけ、それを受け入れたなら(呪にかかり)歪みをとってやれば腰痛が消える、、、かも知れませんよね。また、あなたの腰痛は三代前のご先祖が腰を折ってなくなったからで、ちゃんと供養すれば21日後には癒えるであろう、ナウマクサーマンダ バーザラダン センダ マーカロシャーダー ソワタヤ ウンタラタ カンマン南無不動明王、願わくば真言の功徳をもってこの者を腰痛より救いたまえっっ、で21日後に良くなる事もある、、、。(うーん、悪乗りしすぎ。面白いテーマだがどんどんタイトルからずれていくぞ?)

そうそう、邪気の話でした。で、邪気はあるのかないのか?邪気をもらうことはあるのかないのか?僕のスタンスは、そんなこと、知りましぇーん、です。あってもなくてもかまわない、です。僕には関係ないです、というポジションです。これを、無邪気、と言います。おあとがよろしいようで。