JO7TCX アマチュア無線局

せんだいSD550  山岳移動運用 

鳥海山

2011年08月26日 | 奥山 移動運用


 この山は、5度登って、天気に恵まれたのは2度のみ。残りの3回は雨やガスで断念したり、登ったものの何も見えなかったりで、あまり相性はよくありません。昨年も登山口まで行ったものの、豪雨と強風で1歩も登らず(車から出ることもできなかった)撤退しました。

 標高2236m。7エリアで2番目の高峰。日本海から一気にそびえる独立峰で何も遮るものなし。東北は地味な山が多い中で、この秀麗な姿はひときわ目をひきます。雪解けのころ、新庄神室あたりから眺めた山容は富士山そっくりで、写真に撮って、富士山だと言われたら信じてしまうかもしれません。

 いつか、その山頂で無線をやってみたいと思いつつ、実現できないでおります。仙台から日帰りする人もいるようですが、距離的にきつく、無線運用の時間を考えると、できれば山中1泊して早朝に登頂を果たし、1〜2時間のQRV、昼前には下山を始める、そんな行程なら理想です。

 今年は、お盆の休暇が好天に恵まれそう、ということで、上記の行程(湯ノ台コース)プラスαの計画を立てて、昨年のリベンジに挑むことにしました。




 1日目。晴天。酒田方面から山の全容が見えていました。この日は、滝の小屋泊。本当は河原宿小屋まで登りたかったのですが、小屋が閉鎖されているとの情報得て、断念しました。時刻はまだ3時。寝所を確保して、少し登った見晴らしから無線運用してみました。北に山頂を背負っているものの、それ以外は遮るものはありません。標高1500m程。QTHは飽海郡遊佐町。

 1時間半ほどのQRV。秋田、山形、宮城、新潟各局に交信いただきました。秋田は仙北市。宮城は大崎市や登米市など中間部と相性が良いようです。新潟は新潟市、長岡市。このロケーションなら9エリアも、と期待したのですが、信号は伸びません。



軽量化のため、装備はハンディ機DJ-S57とJ型アンテナのみ


滝の小屋

 2日目。登頂の日。小屋の窓から外を見ると、あいにくのガス。山頂は見えません。風も強い。小屋の管理人さんによれば、昨日がシーズン最高の天気、今日から徐々に崩れるのでは?とのこと。結果的には、その言葉通りとなりました。

 ガスの中出発したものの、第一雪渓のアイスバーンでいったん断念。ここで1時間程、様子をみながら1回目の無線運用をしました。そのうち、雪面が緩み始めたのを確認して、第一雪渓、さらに第二雪渓をトラバースし、伏拝岳(2,130m)の直下から、2回目の運用となりました。1回目はJ型アンテナを設置する余裕がありましたが、2回目は山の斜面で、時間的に余裕も無くロッドアンテナ(RH770)での運用。

 1回目は、宮城、山形、福島、新潟各局。最長距離は福島県白河市と55-52。約200Km。2回目は、30分の運用。新潟、宮城各局に交信いただきました。最長距離は新潟県上越市と56-59。約250Km。お盆と言ってもこの日は月曜日。山岳移動の局も少なかったのかもしれません。



 なかなか山の神様は微笑んでくれません。6回目の鳥海山、登頂ならず。無線の方も今ひとつ手応えがないまま、下山となりました。次回いつになるかわかりませんが、時期を変えて、再挑戦してみたいと思います。



 さて、下山後もう一泊して、秋田県の象潟まで足を伸ばしてみました。

 ここは江戸時代中期まで湖だったところです。かつては「東の松島、西の象潟」と称され、大小いくつもの島が浮かぶ景勝地として、それは美しい入り江(潟湖)だったそうです。1689年に松尾芭蕉も奥の細道の目的の一つとして、ここを訪れています。ところが、1804年6月4日、午後10時頃、マグニチュード7.1の大地震が発生。一夜にして、この風光明媚な景勝地は失われ、陸地と化してしまいました。広大な湖は地震よって約2mも隆起し、干上がってしまったのだとか。

 江戸時代のことで写真もないのですが、象潟郷土資料館には地震前の姿が模型で再現されていました。海水と鳥海山からの伏流水が混じった澄んだ浅瀬に百を超す島々が浮いていたとのこと。その一つ一つに名前が付けられていました。

 当時からの古刹である蚶満寺にも足を運んでみました。地震前は湖に突き出た岬だったところで、芭蕉もここから眺めたのだとか。今は田んぼの中に、松林が点在しているのみです。かつて鳥海山の爆発によって湖が生まれ、その約2千年後、地震によって消滅・・・。地球の営みのダイナミズムを刻んだ地として、象潟は国の天然記念物に指定されているそうです。


象潟 九十九島(蚶満寺より)


コメント (5)
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