JO7TCX アマチュア無線局

せんだいSD550  山岳移動運用 

災害のリスクヘッジ

2011年05月28日 | 東北大震災

 いつか来るのではないかと恐れていたことが現実となって、あっという間の2ヶ月半が過ぎていきました。千年に一度とか、数百年に一度とか、諸説あるにしても、自分の人生において、こういう災害と巡り会わせてしまったことの仕儀について、なんらかの形で気持ちを整理する時間は必要なのだろうと思ったりもします。これだけの災害が起こったのだから、もうしばらく何もないだろうと考えたくなる気持ちもわかるし、今回のことは次の災害への前触れに過ぎず、これから何が起こっても不思議ではない、と考えるのもわかります。

 原発にしても地震後数日の内に3基がメルトダウンになっていたそうだから、今起こっている本当のことをリアルタイムに知らされることはないのだ、ということだけはわかりました。最近は仙台ですら、原発事故や震災の報道が少なくなっています。自分も震災直後の異様な緊張感は消え、原発のことだけ頭から離れない、という状態が続いています。一定の緊張感を維持し警戒し続けるというのは常人には難しいことで、「災害は忘れた頃にやってくる」と言われるのももっともだと思います。報道が少なくなると、行政や専門家と言われる人たちが知恵を出し合って、何か良い方向に向かっているのでは?などと何の根拠もなく楽観的に考えたくなるのですが、現実はまったく逆のようです。

 これから起こりうる地震に関連した災害リスクを挙げてみると、仙台周辺に限っただけでも、
 1)M8クラスの誘発地震の発生と女川原発からの放射能もれ
 2)福島第一原発の冷却化の失敗
 3)長町利府断層による直下型地震の発生
 4)蔵王(活火山)の噴火、などなど。

 どれも勘弁してほしいわけですが、特に過大というわけでもないと思うのです。

 長町利府断層は仙台市中心部の東側を南北に走る断層で、我が家からわずか数百メートルの距離です。2千8百年以前に活動し、活動の間隔は推定4千5百年とか。自分が生きているうちは大丈夫かと思いましたが、今回の巨大地震でバランスが崩れてしまったのでは?などと、心配し始めるとキリがありません。蔵王に関しては、1867年(慶応3年)と1895年(明治28年)に噴火があり、山頂の御釜が沸騰、火山泥流や広範囲の噴石が発生した記録があります。

 これまで特に調べもせず、意識することもなく暮らしてきたのですが、震災を機に、過去の災害ということにも関心を持つようになりました。いろいろなことがあって、多くの人が亡くなり、そしてたくましく生き残る人がいて、自分もその子孫の一人なのだ、などと見知らぬ先祖の壮絶な苦労に思いをめぐらせてみたり・・・。ほんの少し歴史をひも解いてみただけでも「災厄は常に隣にいる」ということがひしひしと伝わってきます。

 さて、今回の震災でありがたかったのは、宅配の復旧と同時に、関西や九州にいる知人が食糧や物資を送ってくれたことです。日本全体が災害に見舞われればアウトですが、各地に分散して親戚や知人がいるというのは、それだけでリスクヘッジなのだと思いました。古くからの地元商店や農家をもっと大切にしなければとも思いました。地産地消、歩いて買い物ができることのありがたさも身にしみました。平成の大合併の影響で行政の手がまわらない過疎地域が多いとも聞きます。言われているように、集積とか集中とか大型化とか、そういうことに突き進み過ぎたのかもしれません。分散、小規模、少人数でも成り立っていける世の中の方が様々なリスクに対応できるのでは?素人ながらそんなふうに思えてきました。


 昨日、NHKで気仙沼市の大浦という集落のことが報道されていました。地震直後の津波に加え、船の重油などで大規模火災が発生し、全滅に近い状態となりました。情報が途絶え、完全に孤立した中、高台の数軒の家に、逃げ切れた人が避難し身を寄せ合って過ごしたそうです。そのうち、長老の記憶を元に、山の沢から水を引き、薪とドラム缶で湯を沸かして、寒さを凌いだとのことでした。食糧は自家栽培の野菜や冷温貯蔵していた魚までありました。想像を絶する悲惨な状況にもかかわらず、何だか楽しそうに暮らしているのです。「なあに、昔の生活に戻っただけだよ」と。



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