柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

素敵な一夜

2008年10月31日 | 音楽など
 昨夜は「りゅーとぴあ」で、素敵なひと時をもちました。

 「天満敦子と小林亜星のおしゃべりコンサート」でした。
なんと、そこで無線の「新津クラブ」の方、それに「シニア大学」の同期生の方にもお会いしました。うれしいものですね。

 ヴァイオリニスト「天満敦子さん」のコンサートは、数年前 東京駿河台の「日大カザルスホール」で聴く機会がありました。
長男からのチケットのプレゼントでした。
そのときCDを買って、天満さんから「サイン」をいただいていました。
「CD 祈り」、「CD 愛のあいさつ」の2枚でした。

 ステージでの情熱的な、またあるときは癒されるような演奏に魅せられ、サイン会での飾らない気さくな人柄に、すっかりほれ込んでいたのでした。
           

 昨夜のコンサートの第一部は「小林亜星さん」の作曲・編曲による作品の演奏でした。
 「ねむの木の子守唄」、「地平を翔る風」、「過ぎ去りし日々」、「愛の賛歌」、「タンゴ・ハポネス」、そしてなんと「北の宿から」でした。
亜星さんによるトークと曲目紹介などがありました。

 さて、第二部の始まる前に「CD 祈り II」を買いました。
彼女の最新のアルバムです。今までになかった「パイプオルガンとの共演」です。
「Jupiter(ホルスト)」や「G線上のアリア」などが入っています。

 第二部は天満さんの本領が発揮されました。
長年のピアノ伴奏の「吉武雅子さん」との息の合ったコンビは最高でした。
「ロンディーノ(クライスラー)」、「シャコンヌ(ヴィターリ)」、「アヴェマリア(シューベルト)」、「タイスの瞑想曲(マスネ)」などおなじみの曲がつづきました。
「タイスの瞑想曲」などは、その昔、家内の身ごもったときの「胎教」によく聴かせたものでした。なつかしい曲です。

 そして「独奏ヴァイオリンのための譚歌 I・II(和田 菫)」では、人とは思えない超絶技巧的演奏となりました。
でも、「天満さん」ならではのエンディングはもちろん「望郷のバラード(ポルムベスク)」でした。

 何度聴いても心洗われる曲です。彼女がほれ込んだ、この曲は「ルーマニア」に留まらず全世界が共有する「心情」を奏でているように思います。
心ならずも「故郷を離れいている難民」や「心の故郷に思いを馳せるとき」、涙なしには聴けないのではないでしょうか。

 どうも「いい世の中」ではなくなりつつある、このご時勢にささやかな「しあわせ」を噛みしめて帰りました。

Re.カメラ三昧

2008年10月30日 | フォトギャラリー
 朝、廊下にはカーテン越しに日差しが入り込んでいた。
これぞ「レンブラント」ライティングだ!と小躍りしてカメラをセッティング。

     
   僕なら最近話題の「フェルメール」ライティングとでも言おうか。
         

            
 
  

                

   お借りしていた「D200」は、お返ししてきた。
多くのベテランの人たちが愛用しているカメラだけのことはあった。
 僕の愛機「D80」は、もっと経験をつんでその機能や写りに限界を感じ、更なる世界を切り開きたいという時まで、大事にしようと思っている。

カメラ三昧

2008年10月29日 | フォトギャラリー
 ときどき時雨れる合い間を、「Oさん」からお借りしている「D200」と過ごしました。

 まず、「Kさん」の奥様からいただいた「トルコキキョウ」を撮ってみました。
廊下に出ているテーブルの上に飾ってみました。
雑に投げ込んでいたお花を、ちょっと家内がアレンジしてくれました。
わざとアンティークな雰囲気で狙ってみましたが、いかがでしょうか。
  

 車で5分、秋葉山の「噴水公園」です。
入り口、階段のところに「ナナカマド」が「もう秋の暮れですよ」なんて言っているようでした。
       

          公園内には「山茶花」が咲き乱れ、蜘蛛の巣に「木の葉」がひっかかったりしていました。
             

 思わず「ドキッ!」として歩けなくなりました。
なんとも毒々しい「女郎蜘蛛」に、身が引けてアップを躊躇してしまいました。


 まもなく10月も終わりそうです。
この「晩秋」時期の彩りや、風情を撮りに出かけたいと思いながらも、ちょっと「我が家の大事」を控えて遠出のできない日々となっています。
 それと、お借りしていた「D200」も堪能させていただきました。
そっとお返ししなければならないなあ、と思っています。

福島潟散策(2)

2008年10月28日 | フォトギャラリー
 福島潟では、ちょっと日も傾いてきていました。
         
               
                  
          

 この「福島潟散策」では、何人もの「プロ や ハイアマチュア」とでも言うべき人たちと出会いました。
新しい刺激、新しい世界との遭遇を予感したりしています。
時間をとめる、空間を切り取る、主張をしてみる、それこそ、このような世界を知りました。ありがたいことだと、あちこち感謝感謝です。

福島潟散策(1)

2008年10月27日 | フォトギャラリー
 この時期、「福島潟」には「オオヒシクイ」や「白鳥」たちが飛来して来ていて、朝夕には幻想的な風景が見られ、そして野鳥たちの飛翔でにぎわうようです。

 私たち写友二人で、午後の「静かな福島潟の趣(おもむき)」に挑戦してみました。

           
                 
        
                   

いよいよ時雨れて

2008年10月26日 | フォトギャラリー
 今日は、朝から曇り空でしたが、夜に入り雷鳴と雨となりました。

 いよいよ時雨の季節に入ったようです。
さいわい、数日前にカメラ散歩をしていました。「秋葉湖」周辺です。
           
          桜の木が落葉を始めていました、また冴えない葉っぱの色具合でした。

       ここ秋葉山には、知る人ぞ知る、どこよりも早くみごとに紅葉する「もみじ」があるのです。
            

       ちょっと夢中になって撮っていたら、ぬっと顔を出した「野良」。
「なんだよ、俺を撮るのかい。ギャラは高いんだぞ!」
      

  ところで、お友達が北海道に出張中です。
「旭川から見える大雪山」を携帯からでしょうか。送ってきてくれました。
彼は、私のタワーにも登り、アンテナをメンテナンスしてくれた高所作業のベテランです。
たぶん、高い鉄塔の上で写して送ってくれたのでしょう。
   

ギャラリー「夢のくら」

2008年10月25日 | 日々これ好日
 私は、いくつかの「SNS(ソシアルネットワーク)」に入っています。

 ある日、あるSNS(Slownet)で知り合いになっていた方から、新潟市で「個展」を開いています。「どうぞ」と言うご案内をいただいた。

 確か、その方は九州の方でした。どうも、ご出身がこちらの方のようです。
そのために、私が新潟市在住であることから、ご案内があったようです。


 23日(木)、あらかじめネットで「ギャラリー夢のくら」を検索して、車のナビにセットして出かけました。

 「ギャラリー夢のくら」は新潟市南区西白根にありました。
農業用倉庫を改築されて昨年4月にオープンされた「貸しギャラリー」でした。
外見は、写真を見ればわかるとおり、とても素敵な建物で、まさに「夢のくら」の名にふさわしい佇まいでした。

              

 おずおずとギャラリーに入ってみました。
一階には大きなギャラリーに「(アトリエY) 山本 美世 作品展」、小さいほうに「布遊びいろいろ」がありました。
二階には「創作クラス作品展」がありました。
 いずれも、素敵な作品の展示ばかりでした。

 私へのご案内は間違いなく「山本 美世 作品展」だと確信しました。
モダンな画風、女性らしい感性あふれる作品が多数展示されていました。
一巡して、また巡り、三度も巡って作品を味わいました。
私の好きな写真でも、絵心がとても大切です。そんな観点からも作品を鑑賞させていただきました。とても楽しいひと時となりました。

                 

 このギャラリーには気のきいた「喫茶コーナー」もあります。
「シフォンケーキとコーヒー」をいただきながら、ギャラリーのオーナーと奥様、お二人と楽しくおしゃべりをさせていただきました。
このコーナーに「山本さんの作品(九州 由布岳)」が架けてありました。
数年前、まさにこの絵の景色の中をドライブしたことを思い出して懐かしくもありました。
 
 お会いしたことも無い「山本さん」を通じて、このギャラリーを知ることができました。
(こんなところで、僕も写真の個展がもてたら、などと夢の夢をみました)
すばらしい一日をもてたものだと感じ入りながら、失礼をしました。
 

秋深し

2008年10月23日 | フォトギャラリー
 不思議なくらいよいお天気がつづきました。

 そのときでもないのでしょうが、「冬囲い」の前の樹木の整理をしました。
思い切った「剪定」と庭の掃き掃除、少しは庭も私もすっきりしました。
             
          
          我が家のもみじが、ちょっと色づき始めました。

 県立植物園から、お便りが届きました。行事などの案内です。
その表紙に「ムラサキシキブ」の紹介がありました。
 我が家には2種類の「ムラサキシキブ」があるとばかり思っていました。
「ムラサキシキブ」と「コムラサキ」であることがわかりました。
ほっとしました。

                       

 実は、写真のお友達から「D200]をお借りしました。
その人は「D300]でじゃんじゃか撮りまくっています。
そこで、お借りした「D200」の重量感にしびれながらシャッターをきっています。このページの写真がそうなのです。
使い慣れていないということもあるでしょうが、お借りした高級カメラを使っているのに、どうも「腕が悪い」ことが立派に証明されたようです。 


                 
       とはいえ、「いけばな(家内の作品)」を撮るということは、けっこう難しいことですよね。ほんとは、かなり細工(ライテングなど)をする必要があるのでしょうね。

エレキー製作

2008年10月20日 | アマチュア無線
 昨日、19日(日)はアマチュア無線クラブの「新津クラブ」がホスト役になっての「JARL新潟県支部の地区研修会」でした。

 会場は「新津健康センター」でした。
上越市、小千谷市、見附市などからも参加者があり10人ほどでスタート。
そのほかに私ども、地元「新津クラブ」のスタッフが「講師や世話係」となっていました。
 私も、お湯を沸かしたり、司会進行を勤めたりしながら楽しんでいました。

 今回の研修会のテーマは「エレキーの製作と使い方」でした。
実は、私どもは以前にCWも運用できる「3アマ養成課程の講習会」をやりました。
昨年は「実践的CWの運用・体験」をする「地区研修会」も行いました。
今回の研修会は、それらの延長上にあるわけです。

 ベテラン講師の説明の後、いよいよ「エレキーの製作」です。
エレキーというのはCW(トンツー電信)をリズミカルに打ち出す装置です。

 ほんとに小さな電子部品を小さな基盤に半田付けをしていくわけです。
最後に小型のプラスチックの小箱に実装します。



 もう皆さんは夢中になって製作に取り組んでいました。
昔から「ラジオ少年」として半田ごてを握ってきたみなさんではありますが、シニア世代となってみると、小さな部品を半田付けする作業は簡単ではありません。

 それでも、お昼過ぎになると完成して「ピーピピッピ」などとやっている人も出てきました。

 やがて、後半の部になりました。
指を動かしてエレキーを働かせる「パドル」の手作り名人が、わがクラブにはいます。
実にさまざまな資材とアイデアで作られた「パドル」とその操作についての話。

 時代はコンピュータの時代、コンピュータを使っての「トンツー」の解読、送信の実演をして、皆さんを呻らせる、わがクラブのスタッフ。

  

 完成したエレキーや製作中のものを目の前にしながら、ちょっとしたラウンドチャットの時間です。
ちょうど元支部長の「電信の神様」みたいな人もみえました。
よほど好きなのでしょうね。じっとしておれなくて出てきたのでしょう。
仲間に入ってもらいました。

 参加者の皆さんから、これからの「ハムライフ・憧れのCWへの思い」など語っていただきました。老いも若きも、夢多き「ラジオ少年」でした。

 みんなで「記念の写真」を撮って、See yuo again! 73

 夕方より、新津クラブ・スタッフは会場を改めて、ビールで「グググーイ!」。
これで、来年もきっとまた何か「研修会」を企画することでしょう。

 

久々のCW

2008年10月17日 | アマチュア無線
 久しく「アマチュア無線」関連のことなどを書いていませんでした。

 このところ、数年間くらいは太陽活動も穏やかで、太陽からのエネルギーで作られる地球上層の「電離層」の生育が不十分です。
うまく短波帯の電波を反射してくれません。

 短波帯での無線運用が主である私の「無線活動」は開店休業中(冬眠状態)です。

 この9月から10月いっぱい、「受信環境クリーン月間」です。
電波環境をきれいにしよう、というキャンペーンの一環として「記念局」が私どもアマチュア無線家により運用されています。
9月は「長野県」、10月は「新潟県」の担当です。
そして10月8日から一週間が、「新津クラブ」が運用を担当でした。
私も14日(火)、記念局(コールサイン・8N0CLEAN)を運用できました。

 何しろ久々の「トンツー通信」ですから、体や耳が訓練不十分です。
午前中のひと時でしたが、「CQ CQ de 8N0CLEAN/0 K」と呼びかけてみました。
さいわい、次々と呼んできていただきました。ロシアの局からも呼ばれました。
久々に味わう「快感」でした。ちょっとハムとして目覚めたのでしょうか。

 やがて、お昼近くになってきたら、電波雑音のレベルが上がってきました。
また、電波の伝播が変化してきたようでした。呼ぶ局も聞こえなくなってしまいました。

 ところで、次の日曜日(19日)は「新津クラブによる研修会」です。
テーマは「エレキーの製作と使用法」です。
私もコーディネーターとして企画・運営を担当しています。

 「トンツー通信」に興味をお持ちのハムの皆さんが、たくさんおいでになります。
一日楽しい有意義な研修会としたいものです。その準備に張り切っている、今日このころです。

 先日、広角レンズを装着したままのカメラを持って、お天気に誘われて植物園でウォーキング、そしてスナップでした。







 
 植物園はいつ来てもいいですね。
「里の紅葉」はいつころになるでしょうか。
さあ、今年はどこへ撮りに行こうか。

上高地散策その3

2008年10月12日 | お出かけ
 「明神池」から梓川の右岸のトレッキングコースを川下に向かいました。

 梓川と林道にはさまれたコースは、すでに紅葉の始まった木々が目に鮮やかです。
         

 しかし、日差しが大きく西に傾き、薄暗くなり始めていました。
それがまた、なんともいえない風情をかもし出してくれていました。
            

             

 一時間ほども歩き続けたでしょうか、コースの途中、野猿を何匹も見かけるようになりました。
私たちが近づくと、そっと藪の中に逃げるのに、この小猿だけは動こうとしなかったのです。
夕闇の迫る中で、背中を向けて佇むその背中が、なんともいえないものを訴えかけているようで、通り過ぎることを一瞬ためらってしまいました。
「はやく!みんなのところにお行き!」と追い払って、ようやく通り過ぎたのでした。
             

 そして、出発点の「河童橋」まで戻ることができました。
とても心地よい疲れが爽やかでした。

 やがて暮れなずむ「上高地」に別れを告げたのでした。



上高地散策その2

2008年10月11日 | お出かけ
 「河童橋」をスタートして梓川左岸を上流へと歩きました。

 やがて左手、梓川に架かる「明神橋」を渡ると「明神池」です。
   
 
 ここには「穂高神社奥宮」があります。
¥300を払って、神域に入れてもらいます。
そして目の前に「一之池」があらわれました。
静寂な水面に、巨大な山塊「明神岳」が写っていました。
           

          私たちが訪れた前日(10/8)には、奥宮例祭(御船神事)が行われ、
二艘の船を浮かべて平安絵巻のような様子を見ることができたのだそうです。
                

       奥の方には「二之池」があり、これまた静かに秋の空を写しこんでいました。
       

 心洗われる思いをしながら、私たちは梓川右岸のトレッキングコースを下り、河童橋を目指しました。

上高地散策その1

2008年10月10日 | お出かけ
 昨日9日(木)は朝5時前に起床。

 新津駅西口から大型観光バスに乗車、さらに、新潟駅などで参加者を拾って、合計42名の人たちが乗車。
この中の11名が、私たち「シニア大学同期の里山グループ」のメンバーです。

 一路、高速道で「上高地」を目指した。朝食(パン)も昼食(弁当)もバスの中でした。
実は帰りの夕食(おにぎり)もバスの中、なにしろ、3食付日帰り観光バスの旅です。何んといっても「安い」料金ですから、文句は言えません。

 松本ICで下りて上高地「バスターミナル」に到着したのが、午後1時ちょっと前。

 私たちは4時までの自由散策時間を、リッチな「帝国ホテルで休憩」、健脚の「大正池・明神池往復」、それに写真を撮りたい「河童橋・明神池往復」とそれぞれの希望でグループを作りました。
 私とお友達は、写真を撮りたいグループでした。


 歩き出してすぐに、あの懐かしい絵のような「明神岳・穂高連峰・河童橋」という風景が見れました。
すばらしいお天気に感謝です。でも、もう午後です、穂高の山並みの頂上付近は雲でした。
       

 河童橋は、大勢の観光客や岳人などが、引きも切らさずに記念撮影、なんと言ってもここ一番のスポットです。
           

 私たちは、「梓川」の左岸をあちこち「カシャリ・カシャリ」と撮りながら明神橋から右岸に渡り、「明神池」へ。
そして右岸の道を川下へ、始まった「紅葉」を愛でたり、「お猿さん」に出くわしたりしながら再び河童橋へと戻りました。
           

            
 すでに午後の4時ころ、さすがに観光客などの数もすくなくなって静かな「河童橋」でした。 

 私どもは、4時半ころ「上高地バスターミナル」を出発して、一路新潟へとなりました。
県内に入り、あちこちでお客様をおろしては、また次へということで、新津駅で下車したのは夜の11時過ぎでした。

 次回は「明神池」、その次には「トレッキングルート」でのスナップなどを載せようかなと思っています。            

金木犀

2008年10月06日 | 音楽など
 我が家とお隣の両方の庭に「金木犀」が咲きました。
おいでになった人が異口同音に「すてきな香り!いいですね」とおっしゃいます。
その甘い香りに酔う感じです。「幸せの匂い」かな、などと思ったりしています。
   (ちょっとピンボケで大きくできません!)


 ところで、どうしても書いておきたいことがありました。
10月1日(水)、この日は午後から「にいがた音楽鑑賞会」企画のコンサートでした。
「りゅーとぴあ」にいそいそと急ぎました。

 「日本フィル・名曲コンサート」でした。
この日を待ち焦がれたのは、指揮者「西本 智美」、ピアニスト「田部 京子」だからでした。

 演奏曲目は
シベリウス:交響詩「フィンランディア」
モーツアルト:「ピアノ協奏曲代21番 ハ長調」
ムソルグスキー(編曲ラヴェル):組曲「展覧会の絵」でした。

 私は、午前中、我が家の「CDライブラリー」の中から、演目の3曲を聴いてみていました。
特に「フィンランディア」のCDは前回の「日本フィルのコンサート」で求めていました。

 今日の私の席は、本来なら「オーケストラボックス」になるはずのステージから2列目、やや右手でした。コントラバスのグループが目の前でした。

 オーケストラのチューニングも済み、万来の拍手の中颯爽と指揮者「西本 智美」登場です。
なんということでしょう、宝塚男性役スターにも負けない容姿の方でした。

 曲(フィンランディア)が始まって、重々しい出だしから「テンパニー」へと続きました。
確かな、華麗で美しいその指揮が「日本フィル」の演奏を最高に引き出していました。

 2曲目は、以前にも「音楽文化会館」での演奏を聴いたことのある、美人ピアニスト「田部 京子」を迎えての「モーツアルト:ピアノ協奏曲21番」でした。
オーケストラとも息の合ったピアノ演奏で、指揮者の心配りがよかった。

 第2部の「組曲・展覧会の絵」は、最高の指揮だったのではないでしょうか。
その美しい指揮ぶりに聴き惚れて、いや見とれていたというのがほんとのところでした。

 もう私だけではありません。会場から感嘆の声、それに拍手が鳴り止みません。
リクエストにこたえて、くるみ割り人形から「花のワルツ」が演奏されました。
そして、その指揮は先ほどまでの「きりり」とした顔つきから、ときには微笑みももれる、にこやかな「指揮ぶり」となりました。
このことがまた聴く人に深い感銘を与えたのではないでしょうか。

 才色兼備でカリスマ性も感じられる、このような指揮者が日本にいたことが、とてもうれしく思われました。
なぜか、久しぶりに興奮したように思います。 

湯殿山から米沢へ

2008年10月04日 | お出かけ
 このところ、私にしては珍しく、忙しい日々でした。そして、もう10月となっていました。

 先月末(29,30日)、山形県は「湯殿山神社そして米沢市へ」と450kmほどを走ってきました。

 湯殿山神社には、毎年参拝してくる慣わしが家内の実家にはあるのです。
今年も、私がドライバーを引き受けて、実家の兄夫婦、もう一人の姉、そして私ども五人が一台の車でした。
車中は「おしゃべりエネルギー」が充満、海岸線をどんどこと北へ走り、あっという間の「湯殿山神社」でした。

 この神社は「神社の様子を人に聞かせたり、写真に撮ることは禁止」です。
専用バスでさらに山奥へ。そして歩いて10分ほどで「奥の院のご神体」です。
さすがに「聖域」という風情です。お祓いを受け、さらに「湯のあふれるご神体」に登りました。これで、身も心も清らかとなったようでした。

 午後は、私の提案で「米沢市」経由で帰ることにしました。
私としては「天地人」ゆかりの米沢を案内したかったのでした。
 
 まず、「林泉寺」に案内しました。
ここには、柵に囲われた墓地に「上杉一族の奥方や家族の墓」があります。
また別の墓地の所には「上杉家代々の武将たち」のお墓がありました。

 その一角に「直江 兼続」とその奥方「お船(せん)」の墓が並んで建っていました。夫婦の墓が並んで建っているというのは特別のことです。
       

 すでに夕方近くとなっていました。
みんなで急きょ、ここ米沢で一泊することとしました。
姪から今宵の宿を「インターネット」で予約してもらって、ひと安心!
携帯電話とインターネットと便利な世の中です。

 そして、「上杉神社」へと到着です。
「上杉謙信と鷹山(ようざん)」を祭神としているようです。
「なせば成る・・・・」の格言が、「九代藩主・鷹山公」によるものであることを知り、一同感銘を受けることしきりでした。
かの「ケネディー大統領」も尊敬する日本人として挙げた「鷹山」なのでした。
困窮を極めた「米沢の復興」に尽くした名君であった人です。
          

          

 この後、「代々の上杉・米沢藩主の廟所」に行きました。
すでに、5時をちょっと回っていたのです。見学時間は5時締め切りでした。
ところが、私たちが新潟から来たことがわかると、案内の方が扉を開けてくれて、とても丁寧親切に解説をしてくれたのでした。
米沢の人々は「新潟の人」には特別な好意を持っていてくださることが、実感できたのでした。
 
 その夜は、米沢のホテルで夜景を見ながらやすみました。
さて、翌日、私どもは再び「上杉神社、上杉博物館」へと足を運んで、米沢を堪能したのでした。
新潟からの私たちに、地元高校生が親しく語りかけ、彼女たちが勧めてくれた「米沢ラーメン」がけっこうおいしっかったのもうれしいことでした。
とても気に入った「米沢」でした。

 午後になって、ようやく帰路に着きました。小国町経由でした。
旅を共にした皆さんから、「充実したよい旅だった」と喜んでいただきました。
次なる目標は、やはり「天地人」ゆかりの「上越市」という風に決まりました。